〜七月七日浪漫〜 第8話

「・・・宗志さん・・・?」  

にこやかに話し続けていた涼一が、当惑に満ちた瞳を大きく見開いて俺に向けた。  

彼の黒瞳に見詰められて初めて、俺はテーブルの下にある彼の左手をギュッときつく握りしめている事に気が付いた。

「あっ?ご、ごめん。つい・・・」  

なにしてんだ・・・俺?  

体中の血がカッと騒ぐ。  

狼狽してガタンと椅子をならして立ち上がった俺は、食事の途中にも関わらず、挨拶もそこそこに部屋から飛び出してしまった。  

痛ましくて見ていられなかった。

理由は解らないが、自ら道化の役を買ってでている涼一の姿が余りにも悲しくて・・・  

力一杯抱きしめて、背中を優しく撫でてやりたかった。  

無理をしている涼一に『もういいんだよ』と言ってやりたかったんだ。  

部屋に戻って、庭に面した障子を開けると、うっすらとまだ明るい夏の夜空には、一番星が一つ輝いていた。  

今夜は七夕・・・あまりに深い恋の海に溺れたために神の怒りに触れ、天の川の両岸に引き離された織り姫と牽牛が、一年に一度の逢瀬を許される日だという・・・  

会えなかった一年間を埋め合わせるように深く愛し合うのだろうか?お互いの心や身体に己を刻みつけるように・・・・

これからまた訪れる一年の空白を耐え抜いていけるように・・・・  

どのくらい時間が経過しただろう、すでに遅い夏の夜も更けあたりは暗闇にしっとりと包み込まれていた。

ぼんやりと星々が煌めき始めた夜空を眺めている間に、俺はあることを思いついた。少女趣味かも知れないがさっきの短冊にもう少し書き加えたくなったのだ。  

家人が縁側から庭に降りるために置いてある草履を借りて、俺は広い庭園を前庭の方へとぐるっと母屋を回り込んでいく。  

石灯籠が微かに照らす中、微かに玉砂利を鳴らしながら茶室の辺りまで来たときに、闇に包まれた茶室の裏手から小さな声で言い争うような声と、ガサガサと梢を揺らし、人がもみ合う音が漏れ聞こえてきた。

こんな時間に・・・こんなところで・・・何事なんだ?

不審に思った俺は、茶室の陰に身を置き、耳をそばだてた。

「いやや・・離して・・・」

涼一君?!飛び出し掛けた俺の耳に聞き覚えのある声が飛び込んで来て俺の足をその場に止まらせた。

「なに言うてんねや。ずっと会いたかったんやで。なんで居留守までつこて僕を避けるんや?好きなんは涼だけやて言うてるやろ・・・ええ加減機嫌なおしいな」  

暗がりの向こうから、尋常ではない間柄をほのめかす高見沢の甘いささやきと含み笑いが聞こえてきたからだ。

「機嫌直すも何も、あんたは楓香姉さんの夫やないか。今更、僕に構うのんはやめて」

「涼・・・意地はりな。ほんまは可愛がってほしいんやろ。お前は僕のもんや。そうやろ?」

「勝手なことばっかり・・・離してて言うてるんや!」

「なぁええ加減大人になりや。楓香と結婚したんも涼とずっと一緒にいたかったからや。僕が宗家を継いだら、涼が僕の右腕になってくれたらええんや」

「嘘つき<結婚するときも形だけやていうたや無いか。姉さんには指一本触れへんて言うたくせに!ややこまで作っといてようそんな口からでまかせがいえるなぁ?」

「しかたなかったんや。時々は楓香の機嫌もとらんとな。

好きやで涼・・・会いたかったんや・・・」

甘い声で高見沢が涼一を諭す。

「・・・口では何とでも言える。あんたはそうやってすぐ僕を丸め込もうとするんや」

さっきまでの憤りを示す尖った声が、甘いささやきに溶かされていき、涼一の声が切ない震えを帯びた。

「アホやなぁ、妬く事なんかないやないか・・・・・・僕が好きなんは涼一だけなんやで」 

「ぁ・・・い、いや・・・・あか・・ん」  

不意に沈黙が訪れて布がこすれ合う音がしたかと思うと、俺の背丈ほどもある大きな山梔子(くちなし)の木を揺らして、ほの白い浴衣を身につけた涼一が、俺の目の前にガサッと飛び出してきた。  

六つの花弁を持つ白い山梔子の花が放った濃厚な甘い薫りの中で、涼一のつぶらな瞳は熱を帯びたように艶々と潤み。

『あっ!』と小さく開かれた桜色の唇は紅く濡れていた。  

咄嗟に涼一から目を逸らした俺は、高見沢が気づかぬうちにと、早足に目的の場所に向かった。   

綺麗に飾り付けられた笹の木に、やっとの思いでたどり着いた俺の胸は、早鐘のように激しく波打っていた。  

これで全てが繋がった。  

昨日の籐子と涼一の会話も。

夕餉の席での涼一の態度も。

てっきり秀太郎の事だとばかりおもっていた、涼一を不安にさせている人物が実は高見沢だったこと。  

俺は頭を抱え込んで、笹の木の根本に座り込んでしまった。  

短冊に書き加えようと思って部屋を出たんだ。  

あの短冊の言葉の後に・・・・『彼の恋が成就しますように』と・・・・それなのに、真実を知ってしまった今は、もう書けない。  

彼に幸せになって欲しいのに、俺はあまりにも無力だ・・・・  

目の奥がカッと熱く燃えた。

涙など流したのは一体何時だった?  

こんなにも俺は脆かったのか?  

誰よりも恋いこがれる唯一の相手に、一年に一度、たった一日だけ会えることは果たして幸せなんだろうか?いっそ永遠に会えない方が諦めがつくんじゃないのか?  

決して答えてくれるはずもないのに、涙でにじんでキラキラと輝く天の川を、俺はぼんやりと眺め続けていた。    

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「・・・・・・・宗志さん」  

小一時間ほど庭先で過ごした俺が、重い腰をやっと上げて、部屋に戻るために草履を縁側の前で脱いでいると、暗がりからさっきと同じ白い浴衣姿の涼一が現れた。  

ただの錯覚かも知れないが、ふんわりと山梔子の残り香が漂ってくる気がした。

「わざわざ口止めするために待ってたのか?心配しなくても他言はしないよ」  

縁側にひらりと飛び乗った俺は、障子を開け後ろを振り返ることなく部屋に入った。  

カラコロと鳴る桐の下駄を脱いだ涼一は、

「入ってもええか?」   

縁側に立ち、指をかけた障子の戸から、半分身体を覗かせて尋ねた。

「ここは君の家だ。好きにするといい」  

素っ気なく俺が答えると、涼一はパタンと後ろ手に障子を閉め、部屋の中へ入ってきた。

「このまま・・・誤解されたまま、別れとうないんや」  

部屋の真ん中に胡座をかいた俺の前まで来た涼一は、きっちりと膝を折って正座をすると、真剣な顔を俺に向けて口を開いた。

「明日帰ったら二度と会うことがないやろうて、今日宗志さん僕に言うたやろ?」

「ああ、そう言った」

「僕もそう思てる。宗志さんにとって僕はただの旅先案内人にすぎへん。たった2日間のガイドや。

さっきまで、それでええておもてた。

明日になったら初めて逢うた新幹線のホームでニッコリ笑ろて『さよなら』しようておもてたんや」

「俺もそのつもりだ。とても親切にしてくれて有り難いと思っている」

「これから先、もう二度と会われへんてわかってる。そやから僕の気持ちを口にさえ出さへんかったら、宗志さんに惹かれてる事なんかすぐに忘れてしまえるて僕は思うてたんや」

「涼一君・・・何を?」  

いったい、何を言い出すつもりだ?

「僕にこんなん言われたら、迷惑なんは百も承知や。知りおうてたった二日で好きや言われたかて、信じられへんのは当たり前やし、まして僕は男や。そんな風に見てくれてへんことはわかってる。  

せやけど、さっきあんなとこ見られてしもて・・・宗志さんには知られたなかったんや・・・僕のこと京都で知りおうた普通の男の子やてずっと思てて欲しかった・・・義理の兄に手ぇ出す、いやらしい子やて思わんとってほしいんや・・・

ほんまに違うんや!さっきのキスかて高見沢が無理矢理!!

・・・・・ぼ・僕・・・なに言うてんねやろ・・・」  

白い肌が桜色を帯びて、口元に手をやった涼一が俯いたまま言葉を無くした。

「何も心配しなくていいといっただろ?俺は楓香さんどころか誰にも言うつもりはない」  

考えたくはないが、これは彼流の口封じなのか?  

俺に惹かれてる?好きだって?

涼一にそんなことを言われたら、たいていの奴は舞い上がってしまうよな。  

俺だって、夕食の席での涼一とさっきの言い争いさえ見てさえいなければ、コロリと今の言葉に騙されていただろう。

「さあ、用は済んだだろ。部屋にお帰り」  

俺は座卓の上に出しっぱなしにしてあるパソコンの前に行こうと立ち上がった。

「いやや!!」  

小さく叫んだ涼一が俺の手首をきつく掴んだ。

「何度言えばわかる?俺は誰にも言ったりしない。・・・色仕掛けの必要なんか無いんだ」

もう一度片膝を折って、涼一の前に跪いた俺は、涼一の白磁の頬に手を掛けた。

「色・・・仕掛け?何のこと?」

「口封じのために、俺に気の有るふりなんかしなくてもいいと言ってるんだよ」

「宗志さん・・僕のこと・・・そんな子やておもてたんや」  

俺の胸が苦しくなるほど、涼一の顔が辛そうに歪んだ。

「君を責めてるわけじゃない。あんな所を俺に見られて動揺してるんだって解ってるからね。驚いたのは確かだけど、俺は君の私生活に口を挟むつもりも、まして権利も無いんだから」

「口封じなんかやない!僕はほんまに宗志さんが好きなんや。高見沢とはもうとっくに終わってる。それだけは信じて欲しい」

艶めいた表情で見上げた涼一の長い睫毛に煙る瞳が切なげに揺れる。

「そんな切なそうな顔をして、俺を惑わすのは止してくれ。俺をからかって楽しいのか?今、君が高見沢と付き合ってるのかどうか俺は知らないが、君はまだあいつに惚れてるじゃないか!」  

哀願する涼一を見ているうちに、怒りに似た感情が俺を支配し始めた。

「惚れてなんかない!!そんな価値なんか高見沢にはないんや!僕がいま好きなんは、宗志さんやていうてるやろ?」

「百歩譲って君の今の言葉に偽りが無いとしたら、それはただ単に、君がそう思いこみたいだけなんじゃないのか?

手近な俺、後腐れもなく明日になれば二度と会うこともない俺をダミーにして、自分を裏切った恋人を忘れたいんだろ?」

「あんな奴、恋人なんかやない!」

「じゃあ。なぜ、楓香さんが妊娠したと知った途端にあんなに動揺するんだ?とっくに終わったというんなら、まして今は俺のことが好きだというんなら、君にはもう関係ないはずだろう?」

「ち、違う・・・」

黒髪を揺らして涼一は大きくかぶりを振った。

「心の中で君は期待してたんだ。高見沢が楓香さんには指一本触れていないと言った言葉が口先だけでないことを。

この結婚は形だけのもので、本当に愛してるのは君だけだと、いつかあいつが証明してくれることを」

「違う・・違う!あんな奴大嫌いや!!」 

「涼・・・・・・」  

これ以上俺に真実を突きつけられたくなかったのだろう。白い袂を蝶のように翻した涼一の腕が俺の首に巻き付き、身体毎ぶつかるように唇を合わせてきた。  

静かに唇を離した後、激しい口づけに答えようとしなかった俺に、

「僕が・・・嫌いか?」  

肩に顔を埋めた涼一が涙声で尋ねた。

謎はすべて解けたましたか?あはは・・・すみません、謎なんてもんじゃないです(><)さてこの後のふたりの行く末はどうなるんでしょうか・・・・

涼一の気持ちは果たしてどこにあるんでしょうか・・・・・

ラストまで後しばらくおつきあいくださいませ。。。