唇までの距離ディスタンス 〈五話〉
結局居場所だけは変えて、そのまま午後の授業をふけた僕は、教室に戻ることなくどよんとした気持ちのまま仕方なく部活に行くことにした。
2時間掛けて考えても僕の貧相な頭では結局これといって山崎先輩を怒らせてしまった原因は思いつかなかった。
重い足取りの僕が校庭を横切ってドーム型のプールに向かって歩いていると、背後から同じクラスの日野勝(まさる)が剣道の竹刀でちょんちょんと僕の背を突っついた。
「お前、優梨ちゃんと喧嘩したのか?」
ああいけない、すっかり優梨子のことを忘れてた。
「な、なんでだよ」
「昼休みにすれ違ったら、目真っ赤にしてたぞ。お前はその後の授業ふけちまうし」
「何でも無いんだ」
無造作に髪を掻き上げ、はぁ〜と肩を落とした。
「そりゃ、最初は優梨ちゃんの片思いだったんだろうけど。お前OK出して付き合ってるんなら、ちゃんとしてやれよな。お前はいい奴だけどこと女の子の事と、なるとてんで初(うぶ)でいけない」
真剣に眉を顰めて僕に忠告する勝に、
「なんだよ。勝。お前とは長い付き合いだけど、そんなに経験豊富だなんて知らなかったな」
作りは悪くないが決してもてるとは言えない万年小僧のような顔をした勝。
紺色の剣道着を着た姿は寺の小僧みたいで苦笑が漏れる。
「渚はちょっとばかりハンサムだと思って俺をバカにしてるな」
チッチッチッと人差し指を顔の横で振る。
勝は顔のことを引き合いに出して僕を詰るのが昔から好きなんだ。
時折僕をハンサムだとか、整った顔立ちだねなんぞと言ってくれる人がいるけれど、僕は何故そんなことを言われるのか皆目分からない。
僕の顔なんかどんな角度で鏡を眺めても十人並にしか見えない。
いいように言えば小麦色?その実、年中浅黒い肌に、とてもカッコイイ部類には入れない童顔。
目や眉は山崎先輩のようにきりりとしているわけでは無く、彫りも浅い。
鼻は鼻筋が通っているなんてほど遠く、チョコンと上に摘んだみたいだし。
唇は男の子だって言うのに小さくて下唇が心持ちぽっちゃりしている。
一つずつパーツを分けて見てみると女の子だったら可愛いのにね、と言われるかも知れないけど。
福並べのバランスが良くないのか、別に少女ぽいてわけじゃないし。まして男にしておくのはもったいないと誰もが思う花沢先輩のように、女性なら絶世の美女だろうなというタイプでも決してない。
男っぽい訳では決してないのに、何故かどう見ても少年顔なのだから訳が分からない。
僕とそっくりな母さんなんか二十頃までは誰も女の子だと思ってくれなかったと言うんだから、これでもやっぱ完璧に男顔なんだろうな?
ともかく僕は自分の容姿にほんの小さな頃から、結構コンプレックスなる物を抱いてるんだ。
なぜなら僕の家には山崎先輩を渋くしたような超美形の父親が居るんだから・・・。
幼い頃からあの顔を間近で見て育ってきた僕が綺麗だと思える顔のハードルの位置はかなり高い。
みんなが綺麗だの可愛いだのと言っても僕には十人並みにしか見えない。
総勢450人ほど居るこの学園でも僕が美しいと認めているのは山崎先輩と花沢先輩たったふたりだけなんだもの。
かなりの支持者を持つ優梨子にしても僕から言わせれば十人並みの上程度だと言ったら、今目の前にいる勝もほかの男どももキット凄く怒るんだろうな・・・
「僕の顔なんて別にハンサムでも何でもないよ。僕は自分の顔なんかあんまり好きじゃないもん」
「おまえなぁ俺以外の奴にそんなこと言ったらブン殴られんぞ。俺はお前の親父さん知ってからな。あそこまでのレベルじゃないにしてもお前はかなりのハンサムさんなんだからちゃんと自覚しな。
そんなことばっかいってたらしまいにすかしてるって言われちまうぜ。優梨ちゃんがお前を選んだんだって、みんな『水谷には顔じゃあ勝てないもんな』っていってんだから」
困ったように短く刈り上げた頭をガシガシと掻きながら、僕の顔をマジマジと見詰めて勝は親切に進言してくれた。
中学時代からの友達である勝は僕の父さんを初めて見たときに、かなり壮絶なカルチャーショックを受けたらしい。
それ以来とっても僕の父さんに執着している。僕は勝のお父さんを見たこと無いけれど、勝の上に兄さんや姉さんもいるんだから、僕の父さんよりかなり年上なんだろうけど、勝の話だと既に頭が波平さんしているらしい。
僕が更衣室で着替えをすませ、ずっとモヤモヤしていた思いを振り切ってプールサイドに出ると、花沢先輩と山崎先輩が壁際で寄り添うようになにやら楽しそうに話していた。
この二人のツーショットほど綺麗で完璧なな組み合わせを僕は知らない。
ガラス張りのドームからキラキラと降り注ぐ光が水面で跳ね返り、二人の美しい姿を幻想的に浮かび上がらせている。
眩しいほど白いローブを肩にふわりと掛け壁に片腕を預けた山崎先輩が、ほんの少し首を屈めて頭一つ小さい花沢先輩に話しかけている。その腕の中でワンピースぽくゆったりと腰まで隠れるTシャツを着た花沢先輩は、胸にクリップボードを抱えたまま山崎先輩を見上げて花が開くような笑顔を返している。
花沢先輩だけに向けられる山崎先輩の包み込むような優しげな瞳。
山崎先輩という人はもともと誰に対してもとても物腰の柔らかい柔和な人なのだけれど、事務的なほど付き合う相手にきちんとランクを付ける人なのだ。
特別目をかけて貰っている僕は、今日まで見過ごしていたけれど、それってもしかしたら優しそうに見えるだけで、本当は先輩が認めている人以外には凄く冷たいって事なのかも知れないな・・・・・
そのランクはとても細かく別れていて・・・・
ただの顔見知り。
クラブの後輩。
仲のいい友人。
親友。
特別に目を掛けている人。
この他に僕の知らない、家族。GF。恋人。 etc・・・と続くのだろう。
彼の中の区分けによって微妙に接し方が違うんだ。
親友である柏木先輩には決して花沢先輩に向けるような柔らかな眼差しを向けることなんか無く、もっとざっくばらんで会話も驚くほど辛辣だ。
仲のいい友達たちといるときもざっくばらんで時折辛辣なことも言ったりするが決して怒鳴ったりなんかしない。
クラブの後輩には注意はすれど辛辣なことなど言わない。
ただの顔見知りには注意すらしない。それを僕達は優しさだと勘違いをしているのかも・・・・・・
きっとあまりにも多くの人が先輩に好意を寄せるので自然にそんな防御策を講じるようになってしまったんだろう。
彼の態度によって周りにいる僕たちも彼が自分をどう思ってくれているのかが、しばらく付き合っている内に自然と飲み込めてくるのだ。
だから鈍感な僕にだって花沢先輩が山崎先輩にとって特別な存在なのは随分前から気が付いていた。
花沢先輩に対する山崎先輩の接し方は親友とも親しい友人ともかなり違う。かといって僕に対する小さな子どもを可愛がるような可愛がりかたとも全然違う。
なんて言うか・・大事にしている。
守っている。それでいて、一目置いている。
頼りにしている。
部内で深刻な問題が起きれば必ず花沢先輩の意見を聞きにいくほどに。
確かに僕と花沢先輩は彼にとって全く別のランクに属するんだろうけど。山崎先輩があの包み込むような優しげな瞳を向ける相手は花沢先輩と僕だけだったんだ。
そう・・・確かに昨日までは・・・
あの瞳を僕は永遠に失ってしまったの?
僕の問いかけるような眼差しに先に気づいたのは花沢先輩だった。
彼がにこやかに僕に手を振り『渚が来たよ』と山崎先輩に告げると、すぐに山崎先輩が白いローブを翻して僕の側に来た。
来たと思ったら唐突に、
「水谷。今日からコーチがお前をみてくれるそうだ。俺もこの夏で終わりだから、お前をみてやる暇なんかないからな」
なんの感情も伺うことの出来ないデスマスクのような白い顔。
こんな日がいつか来ることは解っていた。解ってはいたけれど、こんなにつれなく突き離されるとは僕は思っちゃいなかったんだ。
『済まないな水谷。もう少しお前をみてやりたいんだが、俺も今度の大会で終わりだからもう少しタイムを伸ばさなきゃならないんだ』
と、いつものように優しい笑顔を浮かべて、すまなさそうに僕に話してくれると思っていたんだ。
「解りました。今まで・・有り難うございました」
強く唇を噛みしめて深く頭を下げた僕は、目頭が熱くなってどうしても顔を上げることが出来ない。
僕が、僕が一体何をしたって・・・
何をしたって言うんですか?
彼が離れて行ってしまった後も、高く低く水飛沫の音が重なる中、一人取り残されたように頭(こうべ)を項垂れたまま、僕はポツンとその場に立ちつくしていた。
コメント、コメント・・・・・何を書けばいいのやら〈笑〉
渚可哀想ですよね?秋人ッたら虐めちゃダメよ〜ってそればっかり(^_^;)