唇までの距離ディスタンス 〈七話〉

 

食べ終わった僕たちは、父さんが見たい本が有るというので、帰り道にある大型書店に寄ることにした。  

本屋の入り口を通るなり僕と父さんの向かう方向は全く違う。

父さんは周りの視線を集めながら専門書の並ぶ奥のコーナーへと長い足で闊歩していく。僕はどうやら頭の方も母さんに似たらしい。  

自慢じゃないが中学の担任にも『お前が向陵(こうりょう)に受かるなんて奇跡に近いことなんだぞ』と言われてしまった程なんだから。  

レジカウンターのすぐ脇にあるコミックや軽めの小説がずらりと並んだ書棚の前まで来た僕は、お気に入りの作家の新作を抜き取ってパラパラと捲り始めた。  

しばらくそのまま俯いていた僕は誰かに見詰められているような気がして、手にしていた推理小説からツイと視線をあげた。  

九時を少し回ってはいるけど、ほかの人にとっては、いやいや、今なら小学生でもまだまだ宵の口なのだろう、昼間とほとんど変わりなく、明るい店内にはあちらこちらにぽつぽつと人が立っている。  

「・・・・・・・・・あっ!」

二つ、三つほど書棚を隔てた僕の視線の先に表情こそ定かではないがこっちを向いた山崎先輩のスレンダーなシルエットが有った。  

あ、挨拶しなきゃ・・・・・・

笑顔を作ろうとしても顔が強張って、笑顔になんかならない。  

鼓動だけが突然ドクンと跳ね上がって周りにいる人にまで聞こえてしまいそうだ。   

僕を見詰める山崎先輩だけがやけに鮮やかに浮き上がり、ほかの人も周りの情景も総て、セピア色に霞む。

時が・・・・・止まる

「またせたね、渚」  

後ろから包み込まれるように抱きしめられて、唐突に現実に引き戻された僕は、ウンザリ。

「こんなところで止めてよね」  

振り向きざまに父さんを窘めてホールドアップさせると、もう一度山崎先輩に視線を戻した。  

所がいくらきょろきょろと店内を見回しても先輩ときたら影も形も有りはしない。

幻覚?!僕は幻覚をみちゃったのかなぁ?  

また僕の胸に腕を廻してきた父さんは、不思議そうに顔を覗き込んで、

「どうして渚の心臓こんなにドキドキしてるんだ?」

と真顔で訊いた。

「し、知らないよ!」

カッ!!として思わず大声で叫んでしまい、僕は書店中の好奇の目を集めてしまった。  

恥ずかしさに、父さんの腕をきつく振り払い、プリプリ怒りながら慌てて店から逃げ出した。

「何怒ってるんだ渚?」  

逃げ出した僕に軽々と追いついた(コンパスの差か?)父さんは、僕の肩に腕を廻して引き寄せると、からかうように訊いてくる。

「う、うるさいなぁ」

「怒った顔も可愛いよ。渚」

「もう。そんなこと父さんに言われても嬉しくないや!」 

「おやおや?言われると嬉しい人がいるのかい?」

「い、いないよ。そんな人!」

「ふふん。ムキになる所が怪しいな。そうか渚に好きな人ねぇ・・・渚もそんな年頃か・・嬉しいような寂しいような複雑な気分だな」

「す、好きな人なんか、いないって言ってるじゃないか!!」

「そんなに照れなくてもいいだろう?最近女の子から電話がよく掛かって来るって、晄に聞いてはいたけど。甘えんぼの渚がねぇ。もしかするともうバージンじゃないのかい?」

そんな経験などまだ全く無いことを十分承知の上で、愛おしげに目元を細めた父さんが長い指で赤くなった僕の頬を、ツンツンと突っついた。

「ち、違うっていってるだろう・・・・ひつっこいなぁ・・・・もうぅ」  

大好きな優しい笑顔に、今度は僕が少し口元を尖らして拗ねてみた。 

重症のファザコン息子である僕は、何を言われても本気で父さんに怒る事なんて出来ないし、その事は誰より父さんが一番よく知っている。

「私のエゴだが、まだしばらくは私だけの渚でいておくれ。愛してるよ」  

恋人にでも愛を囁くように、僕の髪に唇を寄せて父さんが低く囁いた。  

本心から言っているのも、悪気がないのもよく分かっているのだが・・・・・・ 

父さんにそう言われて悪い気のしない僕自身に、また溜息がひとつ漏れた。  

結局僕は愛情の押し売りが拒めない質らしい。

生まれつき押しに弱いんだ。

ふがいない自分に苦笑が漏れ、なんだか肩からいきがっていた力が抜けた。

「ほら、早く帰ろう。僕見たいテレビが有るんだから」  

諦めて、サラリとした心地よい感触の合い物のスーツに身体を預け、引き締まった腰に右手を廻した。

「ケーキ買って帰ろうか?ふたりっきりで食べような」  

嬉しそうに微笑むと、父さんは僕を引き寄せた腕に力を込める。  

まったく・・・昨夜は二人しかいないと散々ごねてたのは一体誰なんだか・・・・・

どこぞのファッション雑誌から抜け出て来たような非の打ち所のない渋い二枚目が、僕と母さんだけにしか見せる事のない子供っぽい可愛らしさに愛しさが込み上げてくる。

「僕に苺ショートとブルーベリータルト買ってくれる?」  

肩に頬をすり寄せて甘えてあげる。

「ああ、良いよ。なんでも買ってあげる」  

僕の軟化した態度にデロンと目尻を下げて途端に親ばかの顔になる。  

う〜ん!得だね美形って。

そんなにでれっとした顔になっても、それはそれでとってもハンサムだよ。お父さん。  

 

おんやぁ〜?これってファザコン物語だったのかしら???

秋人〜、カムバック〜これじゃあ、甘くも切なくもないじゃない〈爆〉

次回はちゃんと二人のお話に戻りますです。。。