*あなたの声が聴きたくてJ*
未知さんは誰も愛しちゃいない?
「どういう意味なんだよ?」
普段は、啓士の言葉を一言も聞き漏らすまいと真剣に眼を見開いて、じっと口唇を見詰める未知が、なぜか今日は啓士の顔すらまともに見ようとはせずに、視線を逸らせたままテーブルの上に茶器を必要以上の時間をかけて並べている。
「愛があろうがなかろうが、未知には私が必要なんだ」
ゆっくりと啓士に言い含めるように鹿川が言った。
「俺にはわからない・・・・
未知さんから俺のことを聞いているってさっき言ってたよな?
あんたは未知さんがだれといても平気なのか?」
「未知は私のものだ。ただ、毎日相手をしてやれるわけじゃない。
君と居ることが楽しいのなら別にかまわんさ」
「俺は・・・未知さんが好きなんだ。
ただの友だちで居たいわけじゃない」
歯噛みしながら啓士はその端正な顔に薄笑いすら浮かべている鹿川を睨み付けた。
「もちろん、それも承知だ。
未知が君と楽しみたいと思えば私は別にかまわんよ。
ただし、未知は私のもだということを忘れないで貰いたい」
長い足をゆっくりと組み替えながら、鹿川は表情とは裏腹な鋭い眼光を啓士に絡ませた。
踏んできた経験がお前とは違う。
未知と過ごしてきた年月がお前とは違うのだと、鹿川は言外に臭わせていた。
大人の余裕を見せ、落ち着き払ってグラスを廻す鹿川と自分の方を全く観ようともしない未知を交互に眺めた啓士は、やり場にない腹立ちにポケットの中に潜ませていたプレゼントの箱をぐしゃっと握りつぶした。
熱い固まりを無理矢理飲み込んだ啓士はツカツカと未知に歩み寄り、肩を掴んで引き寄せた。
「楽しんでくればいい・・・俺に未知さんがそう言った意味が、よおく分かったよ」
驚いて目を見張った未知に、
「俺とも、ちょっと遊べれば良かったんだ?!」
「おい、乱暴はよせ」
鹿川が素早く立ち上がる。
「心配しなくても良い。乱暴なんかしやしないよ!」
振り向きざまに鹿川に言葉を投げつけて、啓士は続けた。
「俺を好きなわけでも何でもなかったんだ・・・こんなパトロンが居たんじゃ俺みたいな貧乏学生とは馬鹿馬鹿しくてマジになんかつき合えないよな。
それなら、それなら、最初っから無視してくれれば良かったじゃないか?
未知さんにとって俺はいったい何だったんだよ!!」
啓士の言葉に未知の瞳が一瞬ゆらりと揺れたかに見えたが、そのまま長い睫が頬に陰影を落としてしまった。
「そうやって、いつも肝心な話からは逃げるんだね。そうすれば幾ら俺が罵詈雑言を浴びせても未知さんは聞かなくてすむもんな。
未知さんこそ、勝手にすればいい!
人の醜さを知らないまま、汚れないで・・・ずっと・・・翼の折れた天使みたいにこの部屋の中に住んでればいいんだ!」
目を瞑ってしまった未知に聞こえないと分かっていながら、啓士は叫ばずにはいられなかった。
もう、一秒足りとてこの部屋に居たくはなかった。
激昂している啓士の前で落ち着き払っている鹿川には吐き気を憶えたし、視界からなるだけ啓士を排除しようとする未知には殺意すら芽ばえてしまいそうだったのだから。
マンションの外へ脇目も振らず走り出した啓士の目に飛び込んできた色とりどりのクリスマス・イルミネーションは、涙で滲んで幾重にも重なり、頬を伝ってこぼれ落ちる涙に熔けて流れていった。
後期試験のテスト勉強のために部屋に籠もっていた啓士の携帯が壁に掛けてあるジャケットの中でプルプルと鳴った。
身体を伸ばして、ポケットを探ると、聞き慣れた大きな声、
「おっす!」
「何だ?前田か」
「なんだはないだろ。折角良い情報手に入れたから知らせてやろうと思ったのによ」
「なんだよ、良い情報って」
「試験問題。もちろんこのまま出る訳じゃないらしいけど、ほとんどここから出るらしいって問題を入手したんだぜ」
いかにも、俺の手柄だぞと言わんばかりの嬉々とした声が届く。
「へえ?何の?」
「お前の苦手なドイツ語」
「やりぃ〜!
昨夜から俺、四苦八苦してるんだ。コピーくれんのか?」
「俺とお前の仲だ、仕方ないから見せてやるよ。
持っていってやってもいいんだけど、折角文明の利器があるんだから利用しないとな。 今からメールに添付して送ってやる。その方が早いだろ?」
「え?メール?ああそうだな・・・」
「試験が無事に終わったら、またメシでも食いにいこうや」
「ああ、じゃあ、またな」
電話を切って携帯をジーンズの後ろポケットに無造作にねじ込むと、啓士は窓際においてあるPCの横に立った。
しばらくの間だぼんやりとPCの前に佇んでいた啓士は、ずっと被せておいた埃よけの白い布をゆっくりと剥がした。
あの日以来、一度もふれては居ない。
クリスマスイヴのあの夜・・・
啓士にとってこれはただの機械なんかではなかった。未知と自分を繋ぐ大事な架け橋だったのだ。
言葉を発することのない未知が啓士に語りかけてくれる魔法の玉手箱だったのだ。
あの日以来、啓士は指一本触れようとはしなかった、未知との想い出がこの中には詰まりすぎているのだから。
震える指で2ヶ月ぶりに電源を入れるとウィーンと重く唸りながら機械が起動し画面が立ち上がってくる。
あの頃、毎日このスイッチを入れることがどれほど嬉しかったか、甘酸っぱい想い出がフッと胸を過ぎり啓士は大きく息を吐いた。
センチメンタルな感傷を頭から振り払い、すぐに送ってくれると言っていた前田のメールがもう届いているだろうと思い、啓士はメールのチエックを行った。
しばらく待つと12通のメールが入ってきた。
2ヶ月だもんな・・・・・・
未開封の欄にある12通の送信者の欄にサッと目を通す時、自分が未知の名前を無意識に探している浅ましさに啓士は口唇を噛んだ。
あるはずなどないじゃないか・・・
あの日、未知さんは俺をまともに見ようとすらしなかったのに・・・
気を取り直して、一通づつ開いていく。
ほとんどがプロバイダーからのお知らせメールだった。
しかし前田のほかに田舎の従兄弟から年賀状代わりのメールが一通届いていて、そう言えばアドレス教えたんだっけと啓士は苦笑いを漏らした。
「だれだ?これ・・・」
一番最後つまり、啓士がチエックをしなくなってすぐに見知らぬアドレスからのメールが一通入っていた。
訝しげに眉を顰めた啓士は、画面に顔を寄せて映し出された文面を読み出した。