**あなたの声が聴きたくてA**

 

「な、なんですって?」  

カウンターの中から叫んだ啓士の前にアタッシュケースを下げた小太りの男が申し訳なさそうに立っていた。

「松島くんには悪いと思ってるよ。君、今の人には珍しいくらい真面目に来てくれてたからね。だけど、上からの指示だから僕にはどうしようもないんだよ」  

9月も半ばに入り、夜ともなれば、そんなに暑くもないのに、額の脂汗をハンカチで拭き拭き、小山は啓士に謝罪した。

「どこも経営悪化でね。売り上げの悪い店舗は閉鎖していっててね。ほら、ここは駅からも離れてるから、君も解るだろうけど深夜営業のメリットがないんだよ」  

わざわざ言われなくても、夜中に店番をしている啓士には、小山の言っている事が事実だと一番よく知っていた。  

深夜の二時頃からから六時近くまではほんとに客なんてほとんど来なくて文字通り閑古鳥が鳴いて、どうやって啓士のバイト料を捻出するんだろうと、当の本人が不思議に思っていたくらいだったのだから。

「俺がどうこう言える問題じゃないのは解ってますけど、随分急ですね。今週一杯で閉めちゃうなんて」  

たった数日の猶予しか与えられず、店を閉めると宣告されて、苦学生の啓士が途端に生活に困るのも確かだけれど、もう、彼に会えなくなるのかと思うと、それが何よりも辛かった。  

俺、あの人の名前も住んでいるところも、何一つ知らないもんな。それに、毎日日参してくれてるってわけじゃなし、後3日の間に彼が店にくる保証なんかどこにもないんだから・・・・  

もう二度と逢えないかも知れない・・・  

普段は極さっぱりとした気性の啓士の予想外な落ち込みように、気のいい小山はオロオロして、

「わたしが次のバイト先、責任持って見つけてきてやるから、な?元気出してよ、松島君」  

大きな勘違いをしたまま、今度は短い首筋の汗を小山はゴシゴシと拭った。      

 

 

売り尽くしセールと銘打った最後の三日間は結構忙しかった。

コンビニ商品なんて、安売りすることがないのが常識なので、普段はコンビニなんかを利用しない年輩の主婦層まで冷やかしに現れ、いつもは静かな店内が、やけに賑やかで、今夜の一二時を持って閉店というほんの一五分ほど前まで、客足が途絶えることなく、幸か不幸か啓士も彼の出現を憂慮したり感慨に耽る暇など全くなかった。  

一通り落ち着いた頃、小山が啓士の肩に手を置いた。

「最後までご苦労さんだったね」

「いえ、小山さんには次のバイト先までお世話になっちゃって。ほんとに有り難うございました。バイト見つかるまでどうしようかと思ってたから」  

頭一つ小さいハンプティ・ダンプティのような風体の小山に、啓士は軽く会釈を返した。  

真面目な啓士をかなり気に入っていた小山が、上司に掛け合って、すぐ近くにある経営母体がおなじのファミリーレストランのバイト先を紹介してくれたおかげで、実家からの仕送りのない啓士は、取り合えず経済面の危機からだけは何とか乗り越えたのだ。  

啓士は5人兄弟の長男で、郷にはOLの姉と、高校生の弟が二人に中学生の妹が一人いる。まだまだ弟たちに、これからお金が掛かるのに、とても大学の費用の他に仕送りの負担まで両親に掛けられないと、生活費をバイトでまかなっていた。

「あ、いらっしゃい」  

小山のずんぐりした身体には不似合いな甲高い声に振り返ると、戸口に立ちつくしたまま、閑散として商品のほとんどない店内を、驚いたように見ている彼がいた。  

彼はカウンターの中にいる啓士を見つけると、怪訝そうな眼差しで、

『どう言うこと?』  と尋ねた。

「今日で、ここ閉めるんですよ。いつも利用してくださってたのに、済みません」  

ペコリと頭を下げた啓士に向かって、彼はしたり顔になって、ゆっくりと首を横に振った。  

いつもの通り籠を一つ抜き取ると、落ち着いた動作でいつもの商品を籠に入れ、彼は静かにレジの前に立った。  

ただしパンは売り切れてもう残っていないので、実際籠の中にあるのは水とオレンジが二個だけ。

「済みません。パン、別に取っておけばよかったんだけど」  

謝る啓士に、再び彼はニッコリと首を横に振り、いつもと何ら変わらぬように店を後にした。  

あの人に取って、俺はどこにでもあるコンビニの一店員にすぎない。すぐにでもあの人は俺のことなんか忘れてしまうだろう。

でも、 やっぱり、俺、嫌だ・・・・このまま、会えなくなるなんて・・・  

そう、思った途端、啓士はいてもたってもいられなくなり、

「小山さん、お客さんのお釣り間違えたから追っかけてきます」  

脱兎の如く店を飛び出して行った。  

店の建つ国道沿いの道から逸れた、住宅やマンションの並ぶ薄暗いアスファルトの道で啓士は彼に追いついた。  

数歩先を歩く、白いTシャツに包まれた華奢な背中に乱れた息のまま、啓士は小さく叫んだ。

「き、気持ち悪いと思われるかも知れないけど、お俺、あなたが好きなんです。会えるだけで、いいって思ってた。  

だけど、店終っちゃうから。もう、ここで俺、あなたに会えなくなるから、俺・・・俺・・」  

俯いたまま必死に告白した啓士が顔を上げると、遥か向こうに彼の白い背中がスタスタと一抹の迷いも感じさせずに歩を進めているのが見えた。  

・・・え・・・?

『そんなこと言われても困るよ』  

と言われる覚悟は出来ていた。  

万に一つ、3億円のジャンボ宝くじに当たる確率ほどしか、彼に想いを受け入れて貰える可能性がないことぐらい啓士だとてちゃんと自覚していた。  

でもまさか、ここまで完璧に無視されるなんて・・・・    

 

「お客さんに追いつけた?」  

店に戻ると、小山がニコニコと啓士に歩み寄って訊いた。

「追いつけませんでした・・・・歩くの早くて、彼・・・・凄く遠いんです。  

俺、全然、追いつけなかった」    

ガックリと落ち込んで、キリッと、口唇を噛みしめた啓士に、また大きな勘違いをした小山は、気にしなくてもいいからと言いながら啓士の肩を叩いた。

せめて、振り返って欲しかった。  

俺の想いを受け止めて貰えなくても、せめて、最後にもう一度、いつもみたいに、俺に向かって微笑んで欲しかった。  

店の灯りが全て消えたとき、啓士の胸が切なさに泣いた。