「うおっす!」
コートのポケットに両手を突っ込んだまま啓士は肩で鉄製の重いドアを押した。
途端に、暖房の効いた室内に外の冷気が意識を持つかのように流れ込ん出来た。
「うわぁ、啓士君、雪まみれじゃない」
ピンクのミニスカートの制服に白いフリル付きのエプロンを掛けた、飯島文香が厨房から急ぎ足で勝手口に駆け寄った。
「突然、降って来るんだもんな。おお、冷めてぇ・・・」
「何言ってるのよ、昨日から天気予報で雪降るっていってたじゃない」
「俺テレビなんかあんまり見ないもん。バイトに出るギリギリまで寝てっから」
文香が手渡したタオルで啓士は濡れた髪や顔を拭きながら照れくさそうにぼそっと言った。
「睡眠時間足りてるの?あんまり無理しちゃ身体壊しちゃうよ」
ショートカットに囲まれた可愛らしい小顔を曇らせて、文香はホールへ戻っていった。
コンビニの閉店後、小山が用意してくれたバイト先の「ラブリー」で啓士が働くようになって3ヶ月が経とうとしていた。
飯島文香は啓士が来る前からの先輩で、こまめな彼女は、新米の啓士に何かと世話を焼いてくれていた。
しかし、啓士が仕事に慣れてきた今も、文香は何かと啓士の世話を焼くので、仕事仲間からは、 『文ちゃん啓士に気があるんだぜ。啓士からデートに誘ってやれよ』 などと、しょっちゅうからかわれたりしていたし、文香もそれを特に否定しようとはしなかった。
時折送られてくる、文香からの控えめなアプローチに啓士は薄々気づいていながらも気づかぬふりをして、返事を濁していた。
いい子だとは思うんだよな・・・可愛いし・・・
気づかぬふりをするのは狡いことだと、卑怯なことだと自覚はしていた。
片思いの辛さは嫌と言うほど、この夏に啓士自身が経験したのだから。
想いを伝えられない切なさは身を切られるほどに辛い。
そして何より、熱い想いを何事もないかのように無視される辛さは、思っていた以上に深く啓士の心を深く傷つけていた。
だから、片思いは辛いだろうと思いながらも、相手の気持ちを慮ってあげるほどには、啓士自身の傷がまだ癒えてはいなかったのだ。
「ようこそ、ラブリーへ。本日のメニューはこちらになっております。お決まりになりましたら、テーブル横の黄色いボタンを押してお呼びください」
マニュアル通りの言葉を張り付けた笑顔で唱え。注文を訊き、出来上がった料理をテーブルに運ぶ。
何とも単調で面白みのない仕事を啓士は黙々とこなしていく。
愚痴も言わず遅刻や無断欠勤をしない啓士の勤勉ぶりは、すこぶる上司に評判がよかった。
時折、ひょこっと顔を出す小山が、
「松島君。頑張ってるらしいね。店長もよく働いてくれるって言ってるよ」
とハッパを掛けていく。
頑張るも何も、お客の顔ぶれが変わるだけですることは毎日同じなのになと、啓士は内心苦笑する。
コンビニもここも職種は違えど、別段何も代わり映えはしない。
報酬のために働いているのだから真面目に勤めるのは当たり前だし、ここは啓士にとってそれ以上の意味など無い場所なのだから。
ここにあの人が来ることはないのだから。
初めの頃はそれでも、彼が現れはしないかと淡い期待を抱いて、啓士は訪れた客全てに目を向けていた。
コンビニとこの店は直線距離にしたら一キロと離れていない。
あの時間に徒歩で買い物にくる彼は、ほぼ間違いなくあのブロックに住んでいる筈だし、この辺りには他にファミレスはなかったからだ。
一人暮らしなら、ファミレスに友人と来ることぐらいあるはずだ。と啓士は自分に言い聞かせていた。
それに、彼の買い物の内容からして、家族がいるようには思えない。
もし、もう一度彼に逢えたなら・・・
そうしたらもう一度、もう一度だけ彼に話しかけようと啓士は心に決めていたのだ。
なぜ、あの日、俺の告白にほんの少しも耳を貸してくれなかったのかと。
未練がましいと思いながらも彼に尋ねたかった。
それが100%望んでいるものとは違っても、彼の口から彼の言葉で答えを返して欲しかった。
そんな啓士の期待も虚しく、例年よりやけにもの悲しい秋が過ぎ、彼の姿をチラリとも見ぬままに、初冬の街の並木通りはキラキラと点滅する光のイルミネーションを施され、早くもジングルベルが至るところで奏でられ始めていた。
お客の帰ったテーブルの空になったお皿やグラスを片づけていると、小走りで手伝いに来た文香が小さな声で訊いた。
「啓士君。あの・・・クリスマスなんだけど、なんか予定ある?」
「え・・・?別に今んとこないけど。たぶんバイト入ってると思うよ」
啓士の返事に、少しの間をおいて、文香は言葉を続けた。
「さっき、シフトみたんだけど、24日は8時からでしょ?ちょっと早い時間だけどお昼頃から家でパーティしないかと思って」
「家って?文ちゃん自宅に住んでるんだっけ?」
「ううん。わたし愛知県人なの、桜木町のちっちゃいワンルーム」
「騒いじゃっていいの?俺の他に何人ぐらい来るわけ?」
啓士の気さくな問いに文香は言いにくそうに訊き返した。
「・・・他にも誰か呼ばなきゃ駄目かなぁ?」
グラスを集めていた啓士の腕が、ハタッと止まる。
驚いて視線を遣ると、俯いたまま、お皿を重ねている文香の耳が赤い。
付き合ってさえいないのに、もちろん、今まで、はっきりさせるのを避けてきたのは啓士自身なのだが、クリスマスイヴに自室で、まして二人っきりで過ごしたいと誘われれば、無骨な啓士にもそれが今までの控えめなアプローチとは違う意味合いを持つという事ぐらい何となく解る。
困ったな・・・よっしゃいただきと!と喜べるような、軽い女の子じゃないだけに、なおさらヤバイよな・・・
「う、嬉しいんだけど・・・学校の方で何か入ってなかったか調べてから返事してもいい?」
「あっ、うん。ごめんね。急に変なこと言って」
文香はお皿を4、5枚抱えると、啓士から逃げるようにピンク色のミニスカートを翻して厨房に戻っていった。
そういえば、俺、随分長いことHしてないなぁ・・・・あの人の事好きになってから、なんかこう、色即是空の境地って言うか・・・まだ19だってのに・・・なんか、ちょっと、悲しいかもしんない。
そんなことをぼんやり考えながら、ぽりぽりと頭を掻いた啓士は、大方片づけ終わったテーブルから何気なく顔を上げた。
・・・・・・・っえ?!・・・・・