*あなたの声が聴きたくてG*

 

その日を境に小さな出会いが重なる。  

幾度と無く交わされる文字での会話。  

硬い文面がいつしか親しく交わされる友人のとのやりとりに変わるのにそんなに時間は掛からなかった。    

仕事の事や、小さな頃のこと、好きなものや嫌いなものそんな些細なやりとりを重ねるごとに啓士は、未知に少しずつ近づいていけるような幸せを感じていた。  

曖昧なまま、未知からはっきりとした答えを聞き出すことは出来なかったけれど、未知を失うのが怖くて好きという言葉はもう二度と口にしまいと決心していた。  

今は現実にどんな形であれ未知は傍にいてくれるのだから。      

一緒にいる時はただ、寄り添うように傍にいた。  

その度に切ない想いがキュンと胸を締め付けて、すぐ傍にいる未知に触れたくても啓士は沸き上がる熱い思いを胸中深く閉じこめた。  

そんなデートと呼ぶには、ほど遠い二人の逢瀬ではあったけれど、ほとんど毎日のように、啓士がバイトにでる前の、ほんの僅かな時間を二人は共に過ごすようになっていった。   

公園や喫茶店、そして時にはお互いの部屋で・・・・    

 

未知の部屋は、啓士が暮らすアパートとさほど離れていない所に立つ瀟洒なマンションで、一人で暮らすにはかなり大きな部屋だった。  

十分一家族が住めそうな3LDKに初めて訪れた啓士は、広さだけでなく室内の煌びやかでは無いものの高価そうな調度品に目を見張った。  

合板でない一枚板のテーブルや、踏んだときの感触が心地よい目の覚めるような青いペルシャ絨毯。  

手彫り細工が施されたキャビネットに並べられた、ウエッジウッドの食器やバカラのグラス。  

けっして自分のように貧乏だと思っていたわけでは無いけれど、常にジーンズを履き、夏はTシャツ、冬はトレーナーやフリースと言ったラフな服装をしている未知と豪華な調度品のあまりのギャップに啓士は驚いたのだ。 

思わず調度品を集める趣味があるのかと尋ねると、未知は曖昧に笑って見せた。  

物欲や世俗とは縁のない人だと思いこんでいた啓士は、未知の違う一面を見せつけられたようで、小さなショックを受けたものの、所詮は好みの問題なのだからと、小さく貧相な啓士の部屋でも、何一つ変わることなく見せる汚れない笑顔に、そんな疑問はすぐに流し去ってしまった。  

「ありがとう」  

未知の入れてくれた紅茶を受け取るとさっきまで未知が座っていた机に大股に歩み寄った啓士は描きかけの絵を覗き込んだ。  

表面のざらりとしたマーメイド紙に、淡い柔らかな色使いで、小さな天使が何人か戯れている。

いつもなら、啓士が来ると慌てて原稿をしまい込んでしまうのに、アクリル絵の具で色づけしている最中の絵は乾いていないためにしまうことが出来ず、机の上に置かれたままだったのだ。  

照れたような表情で、啓士と大きなマホガニーの机の間に入り込んだ未知が見ないでと懇願するように両手を突っぱねて啓士の胸を押した。

「なんで?いやなの?」  

未知が書きかけの原稿を見られるのを酷く嫌がることを知っていながら、啓士はわざととぼけたふりをして訊いてみる。  

頬を上気させ、困っているさまがあまりに愛しくて、さらに、

「ダメだよ押しちゃ、紅茶で火傷するよ」  

わざと目の前にレリーフの浮いた水色のカップを差し出した。  

わざとからかう啓士を甘く睨んだ未知は、おもむろに啓士の耳を引っ張ってソファーの方へと強引に引っ張っていく。

「あっ、いてて。あはは、ゴメン未知さん!」  

今にもこぼれそうな紅茶を啜りながら未知に甘んじて引きずられてくる啓士のその滑稽な姿に未知が愉快そうに笑った。   

ハスキーな柔らかい笑い声で。

「み、未知さん!」  

開いている手で未知の肩をグィっと掴み、驚愕の叫びを上げた啓士を未知は不思議そうにキョトンと見詰め返した。

「笑った・・・んだね?」  

真剣に訊く啓士に、未知は目元を細めもう一度小さく喉を鳴らした。  

啓士の指が無意識に未知の下唇をなぞる。

「思っていた通りだ・・・柔らかくてステキな声だね。  

ああ・・・もっと、もっと、聴かせて・・・俺に未知さんの声を・・・」  

言い得ぬ感動で言葉が続かなくてギュッと瞼をきつく閉じた啓士の口唇に柔らかいものがそっと触れた。  

一度目はかすめ取るように。  

二度目はゆっくりと・・・・  

驚愕に眼を見開いた啓士の眼前に微笑みを浮かべた未知がいた。

「み・・・ち・さん?」   

棒立ちになったままの啓士の首に未知の腕が躊躇いがちに廻されて、これで良いのかと澄みきった眼差しが尋ねた。

「お・れ・・・」   

抱きしめたくて、口づけたくて、でも失いたくない大切な宝物が今、腕の中にあった。

「キスしても・・・いいの?」  

今まで押し込めていた熱い思いが一気に吹き出してしまいそうな自分が怖くて、震える声で尋ねた啓士の口唇に、フッと微笑んだ未知のそれが静に重なる。  

ヒンヤリとした口唇がゆっくりと綻んで、暖かく柔らかな感触が啓士の口内に拡がったとき、啓士の右手から、高価なティーカップがポロリと落ちて、絨毯の上を音もなく転がった。