硝子の扉 4

 

「ゴメンね・・・」

胸ポケットに携帯を納めると静が俺から視線を逸らして言った。  

ナニヲ アヤマッテルン ダヨ  

冗談めかして発しようとした言葉がのどの奥に引っ掛かったままでてこない。  

バカみたいに突っ立ったままの俺をゆっくりと振り仰いだ静は今まで見たこともないほど綺麗な表情で微笑んだ。  

透き通った硝子細工のように綺麗な笑顔で・・・・・・・

「じゃあね、修」  

クルリと踵を返した静は徐々に歩調を早め、5bほど俺から離れるといきなり駆けだして、あっと言う間に人の波の中に姿を消してしまった。

「う・・・そだろう・・・」  

俺がようやく言葉を発したのは、それから随分たってからのことだった。    

 

 

「もうやめてとけよ。お前、飲み過ぎ」  

もぎ取られたグラスを俺は黙って取り返した。  

静が去った後、俺は高校の時の同級生で酒好きの友人、大羽と早川を呼びだして、たいして好きでもない酒を浴びるほど飲んでいた。  

薄暗いスナックは早川の行き付けだというとても高級とは言えないチープな小さな店だった。  

早川の家の傍にあるこの店にたどり着くまでに一体何軒はしごをしたのか俺は正確には憶えていない・・・・・・  

居酒屋、パブ、たしか・・・カラオケ・・・・にも行ったような気がするが・・・・  

大量のアルコールのせいでどうも思考がはっきりしない。  

いつの間にか硝子のテーブルに突っ伏していた俺は、早川に揺すられて、重い体を何とか立て直した。  

ぐらぐらする頭を横に二、三度大きくに振り、ろれつの回らない口調で、大丈夫だと呟きながら、俺が氷の溶けて薄まった安っぽいウイスキーを喉を鳴らして飲み干すと、空っぽになったグラスの氷がカラリと小さな音を立てて崩れた。

「佐竹立てるか?取りあえず俺んちに行こう、な?」  

いつもなら真っ先に酔いつぶれて始末の負えない早川が真顔で俺の顔を心配そうに覗き込んでいる。

「大羽、そっち持ってやってくれ」

「おう。しっかし珍しいな・・・修がこんなに潰れちまうなんて・・・・」  

どこかに行っていたのか、店の外から戻ってきた大羽が携帯電話をジーンズの後ろポケットにねじ込むと、俺の左脇から腕を廻し、ぐぃっと身体を宙に持ち上げた。  

両脇からがっちりとした身体が俺を挟んで、項垂れた頭の上から二人の会話が聞こえてくるにはくるが、壊れたスピーカーのボリュームを上げ下げしてしてでもいるかのように、わんわんと言葉の羅列だけが耳の中で反響していた。

「で?どうだった?」

「ああ、なんかあったのかって訊いたんだが、とにかくすぐ迎えに行くからってさ、大羽んちでいいんだなっていきなり切られちまった」

「迎えに来るって?いまからかじゃ電車ねぇじゃん?」

「さぁね?どうするんだろうな?そういえば、あいつって免許持ってたっけ?」  

アイツ・・・・?  

メンキョ・・・・?  

その辺りで俺の意識はすっぱりと断絶された。    

 

柔らかくて、暖かい夢を見た。  

何かは解らないが、欲しくて欲しくてたまらなかった素敵なものを俺は手に入れたような気がしていた。  

ふわふわと雲間を漂い。  

柔らかな何かにそっと触れると、甘くて艶を帯びた掠れ声が愛おしむように俺の名を何度も呼んだような気がしていた。    

 

「いっ・・・痛てぇ・・・」  

ギュッと目を閉じ眉を引き絞ったまま、ちょっと首を動かしただけでも頭がガンガンする。

「うぇ〜、俺、飲み過ぎ・・・・」  

柔らかい枕にぐったりと頬を押しつけて、カーテンの隙間から差し込む明るい光に目をしばたかせると、ふんわりとしたあまやかな香りと一緒に視界一杯に栗色の細い髪が入ってきた。  

ギョッとしておもむろに身体を引くと俺のベッドにもう一人・・・・・・・

「し・・・・・!静!」  

頭の痛いのも忘れてガバッと上体を起こすと俺は自分が何も着ていないことに気がついた。   

・・・・そっと、布団を剥いで覗き込んでみると・・・絶句・・・・

「な、な、い、いったい何なんだ??」  

パニックを起こして叫んじまった俺の横ですやすやと眠っていた静が「うぅん・・」とやけに色っぽい声を出して俺の方に寝返るなり、ゆっくりと瞼を開けた。

「・・・しゅう?・・・起きたんなら起こしてくれればいいのに」  

少し掠れた声でそういうと、驚きなど微塵も見せずに静は狼狽えまくっている俺に嫣然と微笑んでみせた。

「ぅわぁ〜!何で、お前がここにいるんだよ!」

「ここって?ここは僕の家じゃないか」  

横になったままクスクス笑った静にそういわれて、俺はやっとここが自分のベッドじゃないということに、何度も遊びに来たことのある見慣れた静の部屋だということに気がついた。  

まだ、狐にでも摘まれた気分でいる俺に、静が不安の色を瞳に浮かべて、そっと尋ねた。

「まさか・・修・・・・憶えてないの?」 

「!・・・な、なにぉ??」  

現状が雄弁に語っている状況を認めるのが怖くて、まともに静の顔が見れない。  

視線をあたりに泳がすものの布団から覗く静の乳白色の肩が露わになっているし、ベッドの廻りに俺のものとは違う衣服や下着が乱れた状態で散らばっていることから、静も俺と同じように裸身であることがはっきりと伺える。

こ、これって・・・どう言うことなんだよ・・・・  

俺が酔いに任せて、静を襲っちまったのか?

そのくせ憶えてないなんて・・・はぁ。。。

・・・・俺・・・ってサイテー・・・  

両手でズキズキと脈を打っている頭を抱え込み小さな声で『ゴメン・・・』と呟いた。

「ゴメンなんて・・・やだな・・・」  

俺の呟きに悲しそうな笑いを含んだ声が返ってきた。   

何をしたんだろう?  

はぁ・・・この状況で何をしたもないだろうが・・・・

静を傷つけはしなかっただろうか?  

確かにあの噂を聞いてからの俺はどうかしてた・・・その上、昨日は静が俺を置いて走り去って・・・しこたま飲んで・・・・・それから、それから?  

俺は必死で記憶の糸をたぐり寄せる。  

幾ら考えても靄が掛かった記憶はなかなか形をなさなかった・・・・  

それでも断片的に記憶は甦ってきた。  

静の柔らかな唇の感触や・・・・・

艶っぽい喘ぎ声・・・・  

脳裏にその場面が一瞬天然色となって鮮やかに甦り、ゴクリと生唾を飲み込むと心臓が早鐘のように鳴り始めた。 

「思い出したんだね?」  

うっすらと頬を桜色に染め、静は探るように俺を見上げた。

熱く火照り出した俺の頬はきっと静以上に赤いだろう。

「お・・・俺・・・・」  

静の赤い唇から視線がはずせない・・・・

「ねえ、おいでよ・・・修」  

上掛けをゆるりと剥がし、なれた仕草で静が俺を傍に誘う。  

その動作で、少しずつ記憶のベールが剥がれていく・・・・  そうだ・・・酔っぱらっている俺がだだっ子のように喚いていると静がそっと俺にキスをしてきたんだ。  

ベッドの上で、ゆっくりと衣服を剥ぎ取っていったのは・・・・俺じゃない。  

細い指が丁寧に俺のシャツのボタンを1つずつ・・・・

「静・・・」  

目の前で誘うように柔らかく微笑んでいる静に俺は突然言いしれぬ嫌悪感を憶えた。

「お前・・・・今まで誰としてたんだ?」  

腹の底から怒りが沸々と込み上げてきて唸るように言った。

「え・・・?」

「俺の知らない間に何人の男と寝てきたんだって訊いてんだよ!!!」  

俺の怒鳴り声にビクリと身体を震わせた静はそれまで浮かべていた笑顔を凍らせて、大きく瞳を見張っていた。

 

お酒は程々に・・・・・記憶を無くすほど飲んではいけません。。。

え?そんな話じゃないって??

でも確か修は未成年よね〜ダメよ飲酒しちゃ〈笑〉

次は最終回の予定です。よろしく。。。