光の中で微笑んで 第十章 

 

「ご免なさいね」  

僕の姿を認めるなり、里香子さんは頭を下げた。

「いいえ。僕こそ」

「てっきり、仲のいいお友達だと思っていたものだから」

「彼は優等生だから・・・僕みたいなはみ出しものが気になるんですよ。

ああ、でも困っちゃったな。うちの学校バイト禁止だから濱野くんが告げ口したら僕は停学になっちゃうかな」  

深刻な表情をしている里香子さんに、僕は冗談ぽく笑って見せた。

「大丈夫よ。身内びいきかも知れないけど、洋一はそんなこと言うような子じゃないから」 

僕の笑顔にホッとした様子の里香子さんは、のどが渇いたからとアイスティーを注文した。 

数組の客が出入りし、幾つかのオーダーをこなしていると、店のドアが音もなく開き、ぴりっとした空気が店内を漂う。  

それだけで僕はドアの方を見なくても清治さんが来たことを知る。  

清治さんの身のこなしは滑らかで、ほとんど足音をさせない。

おおきなカウベルの付いたドアをどうやって鳴らさずに開けるのか、僕には今だに謎である。  

清治さんが入ってくると、周りの視線が一斉に彼に集まる。

特に女性客は若い人から年輩者まで、彼氏が隣にいようがお構いなしに、皆吸い付けられるように清治さんを見る。  

いつも、こんな早い時間に清治さんが来ることなど無いので、今まで一度も清治さんを見たことの無かった里香子さんまでもが、言葉を失って清治さんに見とれている。  

当の清治さんはそんな視線などお構いなしに、僕の所へ一直線にやって来て、僕の顎を不意に持ち上げた。

「昨夜は悪かった。顔色が悪いな。眠れなかったのか?」  

目のしたにある蒼い隈を見とがめて、凛々しい眉根を寄せた。

「僕こそ・・・コーヒー飲む?」  

当てられた指からそっと顎を引いて尋ねた。

「いや、いい。

マスター。遙、引いても構わないかな?」

「ああ、あと10分程したら戸田くんが来るからかまわんよ。

それより清ちゃん、ちょっといいか」  

マスターは親指で店の外を指した。  

二人が目配せして店の外に出た途端、

「カッコイイ人ねぇ。

なんだかちょっと危険な匂いがするけど、ハンサムなんて言葉じゃ失礼なぐらい男ぽっくて、凄くセクシーだわ。

背中の辺りがゾクゾクしちゃう」   

里香子さんはウットリと僕に囁いた。

「あれえ〜!そんなこと言っていいのかな?加藤さんに言いつけちゃおう」  

含み笑いをしながら、空っぽのグラスに水を入れた。

「加藤くんなんてあの人に比べたら、まるでお子ちゃまね。

でも、わたしはあんな人と恐くて恋愛なんか出来そうもないわ」

「どうして?」

「わからない?住む世界が違うのよ。  

確かに憧れはするわ。危険な甘い香り、激しい情熱。先の読めないスリリングな生活。 

でもほとんどの人は、そんな生活できやしないのよ。   

みんな臆病者だから、平和で、ささやかな幸せに満足するんだわ。胸の中に秘めた欲望は映画を観たり小説を読むことで誤魔化してしまうの。  

わたしも遙ちゃんの頃に一度夢を見たことがあるの。違う世界の人と恋をしたわ。でも結局無理だった。愛いさえあれば何も恐くないなんて嘘ね。

わたし、自分がこんなにも偽善者だったなんて、あの時まで思いもしなかったわ。  

わたしが加藤くんを選んだのは彼とは全く反対のタイプだったからかも知れないわ。わたしは臆病者だから、ささやかな幸せにしがみつきたかったのかもしれない」  

住む世界が違う。  

ずっと僕の心に燻り続けている悲しい思いを、反対の立場とはいえ里香子さんも知っているんだ。

「さっき洋一に遙ちゃんが言ったのと同じ事を、わたしもその人に言われたことがあるわ。『俺は、あんた達みたいなお嬢ちゃんじゃない。働かなきゃ食っていけねえんだ』ってね。 

凄いカルチャーショックだったわ。わたしは15で彼もまだたったの17だったのよ。親元でぬくぬくと何不自由ない生活をしてきたわたしには考えられないことだった。  

確かに貧困な生活をしている人たちもどこかにいるんだろうけれど、それはまるで見知らぬ国のことのように、当時のわたしは思ってた。

彼はね、義務教育である中学すらまともに卒業してないんだとわたしに話してくれたわ。

彼もわたし以上に二人の間に横たわる隔たりに苦しんでた。『あんたは、俺の傍になんかいちゃいけない』って別れ際に笑った彼の悲痛な眼差しが今でも忘れられないの。もう十年近くも昔のことなのに・・・」  

里香子さんは寂しそうな笑顔を僕に向けた後、目に見えない遠い過去をぼんやりと見詰めた。

「育った環境や、生い立ち。全て自分が望んだ事じゃないのにね。誰も皆、幸せな家庭に生まれ、暖かい両親に愛されて育ちたいよね。

それでも、その願いが叶わない人も沢山いる。そんな人から見れば、里香子さんや洋一は眩しすぎて、まともに見ることなんか出来ないんだよ。

洋一は僕のことを知りたいと言った。

洋一は僕に知られて困ることなんか何一つ無いから、真っ直ぐ僕に気持ちをぶつけてくることが出来るんだろうけど、僕は彼に知られたくないことが山ほど有る。

僕自身が望んでしたこと、僕自身が望まなかったこと。 

僕の過去全て、洋一にはとても話せない。

そうだね・・・・里香子さんにはもしかしたら話せるかも知れないけど、僕・・・・洋一には絶対に知られたくない。

だから僕は彼に、僕から離れた場所にいて欲しいんだ。  

僕がこれ以上傷つかないために。そして僕がこれ以上彼を傷つけないために」 

「遙ちゃん・・・洋一のこと?」

「そうだよ。とっても、憧れてた。僕なんかが手を触れることの出来ない、眩しい彼に。

僕の無くしてしまった物を全て持っている、洋一に」  

僕は洋一によく似た、里香子さんの澄みきった黒瞳を切ない想いで見詰め、里香子さんもそんな僕をしっかりとした眼差しで見返す。 

里香子さんの澄んだ瞳の中に、悲しげな僕が小さく映っている。  

 

「遙ちゃん!何、里香子さんと見詰めあってんの?いやだなぁもう。今日早く帰るんだろう?もう上がっていいってさ」  

いつの間にか、来ていた戸田さんが、店のロゴが入った黒いエプロンを付けながら、ニヤニヤと僕たちをからかった。

「あ、戸田さん来てたの?」  

僕は急いで、お揃いのエプロンを外す。

「来てたのじゃないって!加藤さんに見られたら一悶着起きちゃうよ」

なにやら勘違いしている戸田さんは、今度は少しマジな顔をした。

「いやぁね。そんなんじゃないわよ」  

里香子さんも照れくさそうに笑いながら、ハンドバッグから財布を出して、戸田さんにお金を払った。

「まさか?二人でお出かけ?」  

戸田さんはお釣りを払いながら、片眉を上げてみせる。

「違うわよ。遙ちゃんたら、なんだかすんごくカッコイイ男の人が迎えに来てるの」

「ああ、清治さん来てるんだ?」  

戸田さんは振り返って僕を見た。

「うん。店の外にいなかった?」

「遅刻しそうだったからな。周り見ずに走ってきたから気づかなかった〜」    

里香子さんと並んで、店の外に出ると、清治さんはいつもの場所で紫煙を燻らしていた。 

僕が彼に微笑み掛けて手を挙げるのと同時に、

「洋一ったら・・・」  

隣にいた里香子さんの唇から呟きが漏れた。  

里香子さんの視線を追うと、緊張を全身に漂わせながら、つかつかと僕たちに向かった歩いてくる洋一の姿が見えた。

「遙。僕に付き合ってくれないか」  

洋一の手が強く僕の腕を掴む。

「洋一!止しなさい」

「姉さんは黙ってろよ!」

「駄目よ!遙ちゃんは待ち合わせしてるんだから。早く離してあげて」 

「待ち合わせ?誰と・・・・・・・」  

洋一の声がトーンダウンする。  

僕と里香子さんが同時に清治さんを見遣ると洋一の戸惑いを浮かべた視線もそれに続く。  

さっきと同じ場所に立ったままの清治さんは、僅かに細めた眼差しでタバコを銜えたまま、ジッと僕たちを見詰めていた。

しばしの沈黙。廻りの空気がピィーンと音を立てたように張りつめるのが分かる。

「悪いけど・・・・・失礼するよ」  

お願い!僕にこれ以上構わないで!!

心の中で叫びながら、僕は微かに緩められた洋一の手から腕を抜き取って、清治さんのもとへ駆け寄った。

 

この三人てもしかしたら三角関係・・・・・・なのよね?と友人に尋ねたら〈作者が訊くなって/笑〉もちろんそうでしょう〈笑〉と答えて頂いちゃいました・・・・・・・そうか、この話って三角関係だったんだわ!!と妙に納得〈笑〉