光の中で微笑んで 第九章 

 

「なんだか今日は顔色悪いわね?どうかしたの?」  

カウンターの上を片づける僕に、里香子さんが心配そうに訊いた。

「ちょっと寝不足なだけだから」  

にこりと笑顔を作り、僕は綺麗な灰皿を決まった場所に置いていく。

「駄目よ、ちゃんと睡眠時間取らなきゃ。睡眠不足は美容の大敵なんですからね」

「やだな。僕は美容になんか興味ないもの。 

それより、月曜日からデートだなんて珍しいね。いつもはだいたい週末なのに」  

うふふと里香子さんは笑って、

「今日は加藤くんとじゃないの」  

意味深な笑顔を僕に向けた。  

何となく変だなとは思ったけれど、その後立て続けにお客さんが来て、僕はしばらく里香子さんから離れていた。  

また、店のドアがけたたましくカウベルを鳴らしながら開いた。

「いらしゃいませ!」  

マスターの声と僕の声がハモる。

「洋一!ここよ」  

洗い物をしていたためにカウンターの中で俯いていた僕は、里香子さんの声にギョッとして扉の方に顔を上げた。  

さわやかな白いボタンダウンのシャツにブラックジーンズを履いた洋一が、こっちに向かってわき目もふらずに歩いてくる。

「遅かったわね」

「ああ。ちょっと迷った」  

里香子さんの質問に答えているはずなのに、洋一は僕の顔をじっと見詰めたままだった。

どうしてここにいるの?  

頭の中が瞬時に真っ白になる。  

二人の会話すら今の僕には外国語のように、耳に入ってくるだけで意味をなさない。  

ただ、並んで座る二人を見ている内に、僕はやっと、何故人付き合いの悪い僕が、里香子さんに限って、あんなにも急速に親しみを憶えたのかをようやく理解した。

似ている・・・  

似ているのだ。

きりりと整った顔立ちも、二人が醸し出す雰囲気も、今まで気づかなかったのが愚かしい程に二人はよく似ている。

「ご注文は?」  

一度、目をギュッと閉じ、大きく息を吐いた僕は、仮面でも被ったように営業用のスマイルをにこやかに浮かべて、明るい声で訊いた。  

洋一はほんの少し、とまどいの色をその涼しげな瞳に浮かべたまま、

「あ、じゃあ。アイスコーヒー貰おうかな」 

またジッと僕を見詰めた。

「遙ちゃん、洋一が来たんで驚いた?

昨日久しぶりに実家に帰って、何気なくいつも行く喫茶店に凄く綺麗な男の子が居るのよって言ったら、洋一がやけに根ほり葉ほり訊いてきてね。

よくよく話してみると同級生だって言うじゃない?わたしも驚いちゃったわ」  

なんの邪気もなく明るく話す里香子さんに、

「あはは、誰と誰が同級生なんですって?

僕は里香子さんの弟さんと面識なんか有りませんよ」  

しっかりと仮面を被ったまま笑顔で応えた。

「こ、鴻田くん?」  

戸惑う里香子さんより、さらに驚いた顔で洋一がガタンと椅子をならして立ち上がった。

「おまちどおさまでした」  

彼らの驚きなど、意に介さぬといわんばかりに、僕は洋一の前にアイスコーヒーを差し出した。

「どういう事なの?」  

里香子さんは、僕と洋一を交互に見て、思案に暮れている。  

カウンター越しに身を乗り出した洋一は、押し殺した声で僕に話しかけてきた。

「昨日も聞いたはずだ。僕のことが迷惑なのかいって。鴻田くんはそれには応えずに、曖昧に返事を濁して僕から逃げ出した。  

今も僕のことなんか知らないと言って、また逃げ出すつもりなのかい?」

「君って以外と執念深いんだね。逃げ出すなんて人聞きの悪いことを言わないでくれないか。

僕は昨日何度も君の誘いを断ったはずだよ。それでも退かなかったのは君の方だ。

曖昧に流したのはあれ以上言い争いたくないからさ。

迷惑だと、ハッキリ言えばそれで君の気が済むならそう思ってくれていい」  

真っ直ぐ僕を見詰めて尋ねる洋一から、堪らず僕は睫毛を伏せて小さな声で応えた。

「僕をちゃんと見ろよ!!」  

凛とした声が店内に響く。

「ちょ、ちょっと洋一」  

里香子さんが慌てて、憤りを隠せない洋一を窘める。

「もし君が昨日のことで腹を立てているのなら謝るよ。

悪いけどほかのお客様の迷惑になる。僕に罵声を浴びせるつもりなら今度にしてくれ。  

これで君の好奇心も少しは満足したろう?

君の思っている通りさ、僕は君たちお坊ちゃん達とは違う。こうやって夜遅くまで働かないと、学校にも通えない身分なんだ」  

見ろというのなら、ちゃんと君を見てあげるよ。

君は僕に見られて恥じる所なんか何一つ無いのだものね。

「遙・・・僕は」  

きつく拳を握りしめた洋一は、何かいいたそうに動かしかけた唇を、キッと真一文字結んだ。  

僕たちの会話を黙って聞いていたマスターが僕の肩に手を置いて、倉庫からコーヒー豆の袋を2袋下ろしてきてくれないかと頼んだ。 

頷いた僕がカウンター奥の扉から倉庫への階段を上り駆けたとき、マスターは僕にだけ聞こえる声で10分ほど休んでおいで、と優しい声を掛けてくれた。  

無口なマスターは仕事以外のことで、ほとんど僕に話しかけることはない。だから僕はマスターが僕のことをどの程度知っているのかは知らない。  

ただ最初に、何も心配はいらないからと優しく目元を和ませて、僕の肩をさっきみたいにポンと一つ叩いてくれた。  

僕は堆く箱や袋の詰まった3畳ほどの倉庫に座り、首の後ろを掌でゆっくりさすった。  

 

里香子さんが洋一のお姉さんだったなんて・・・まるでマンガみたいな話だな。  

二人はあんなにそっくりなんだから、気づかない僕も僕だ。

気づいてさえいれば名字ぐらい聞いておいたのに。

里香子さんなら僕がクラスメイトにバイト先を知られたくないと言えばきっと洋一にも黙っていてくれていただろうに。  

さっきの動揺が少し収まって来た僕は、マスターに頼まれたコーヒー豆の入った麻袋を両手に抱え倉庫を出た。  

鼻梁一杯に広がるコーヒーの香りと、むき出しの腕をちくちく刺激する粗い麻の感触が何故か僕を落ち着かす。  

店内に戻るとカウンターに洋一の姿はすでになく、里香子さんだけが一人ポツンと座っていた。

 

この話、コメント書くの難しいです〈笑〉今朝から雨なんですが、気分にぴったり〈笑〉