光の中で微笑んで 第三章 

 

「遙!今から学校か?」  

駅へ向かう道を反対側から黒ずくめの服を着た、いなせな男がやって来て、僕に声を掛けてきた。

「おはよう。清治さん。今帰りなの?」

「おうよ。ね〜ちゃんがひつこくてよ。なかなか離してくれねーんだ」  

照れ笑いを浮かべると、きつい顔立ちが急に可愛らしくなる。

清治さんは伯母の店のしまを仕切っている香山組の若頭で、切れるとかなり恐ろしい。

僕も何度かそんな清治さんを見ているが、そんな時の清治さんは獲物を狙う野生のヒョウのように精悍だ。  

この人は二言目には僕に『俺のイロになんねえか?』と僕に訊いてくる。

清治さん曰く僕にホの字なんだそうだ。

僕はその度に『清治さんなら安くしといてあげるよ』と笑うのだが『馬鹿野郎!惚れてる奴を金で買うほど落ちぶれてねえよ』と不機嫌になる。  

僕は未だに清治さんの言葉が本気なのか冗談なのかよく分からないでいた。

「相変わらず。お盛んだね」

「ちぇ!ちったぁ妬いてくれたっていいだろうに」   

笑い掛けた僕のおでこをポンとこづいて、

「またな」  

とふてくされたように、肩をいからせて行ってしまった。    

 

僕は正体がばれないように、わざわざ電車を乗り継ぎ1時間半も掛けて遠く離れた私学の高校に通っている。

僕の経済状況では公立高校に進むべきなのだが、それだと校区って言うものがあって、この辺りの高校にしか進めない。  

中学の間は叔母がスナックを経営しているというだけで、僕が身体を売っている事まではバレなかったけれど、やくざと付き合いが有ることや、時折夜の街で見かけることを先生に言いつける生徒がいて、生活指導の教師に目を付けられていたんだ。  

勉強も出来ず素行も悪い不良は案外野放し状態になるものだけど、これといって反抗もしなければ成績もかなりいい僕を、家庭環境が良くないと言う理由だけで悪の道に染まらすわけにはいかないと、先生達もかなり力を入れていた。   

あのまま同じ校区で高校に進んでいたら、遅かれ早かれウリをしている事実までバレてしまっていただろう。  

新しい学校は遠いだけでなく、かなり偏差値が高い事もあって、あまりレベルの良ろしくなかった中学からの知り合いは、誰一人いなかった。   

学校にはむろん入学時に家庭調査票を提出するので、保護者で有る伯母が水商売をしていることは解っているのだが、クラスメート達は誰にでもにこやかに返事をするだけで、決して誰とも親密になろうとしない、ちょっとばかり顔立ちの整っている僕のことを、金持ちで高慢に育ったどこかのお坊ちゃんだと思っているようだった。  

 

「鴻田君。二学期からの文理クラス分け用の希望用紙まだ出てないんだけど、持ってきてくれたかな?」   

クラス委員の濱野洋一が僕が席に着くなり歩み寄ってきて、さわやかな声で尋ねた。

僕は彼を見る度、いつも堪らない羨望を感じる。

如何にも良家の子息らしく、さわやかで凛とした風貌を持ち。数多くの友人が彼に大幅な信頼を寄せているからだ。  

彼を見る度に僕は幾ら頑張っても薄汚れた夜の住人で、彼の住む明るく清潔な場所には二度と戻れないと痛感させられる。

望んで落ちたわけではないのに、薄暗い闇の中で僕は永遠に這いずり回っているんだと・・・・・・

「あ、ゴメン。まだ保護者の欄にサインを貰っていないんだ」  

昨日の夕方頼んだときには既に伯母は酔っぱらっていて、テーブルの上に置いた用紙はそのままになっていた。

「いいんだよ。明日の朝一番に提出出来ればいいんだからね」  

お日様の匂いのする彼の顔がまともに見れずに、睫毛を伏せた僕の顔のすぐ側、僅か数十センチの距離まで上体をかがめた濱野君は、

「君も理数に進むんだろう?クラス分け授業も同じだといいね」  

目元に優しげな笑い皺を作り、なんの邪念も感じさせない笑顔を浮かべると、濱野君は僕の席から離れていった。  

僕と・・・僕なんかと・・同じでもいいの?   

去っていく彼の後ろ姿に僕の胸がきゅんと締め付けられた。  

なんだろう・・・この感じは・・なに?      

そう言えば、ふと気づくと僕は常に彼の事を考えている。  

彼の背が高く引き締まった体格や、短く清潔に刈られた髪。

切れ長で透き通った黒瞳。

太く凛々しい眉。

すっきりと通った鼻筋に口角の引き締まった薄めの唇。  

綺麗な、綺麗な洋一の顔。  

誰かの顔を此処まで細かく思い浮かべた事など今まで一度でも有っただろうか?

いままで僕はあまり人の美醜にはこだわらない方だと思っていた。  

濃い化粧をした夜の蝶達の中で育ったせいで派手な美しさにはかなり鈍くなってしまっているのかも知れない。

僕は幼いときから嫌と言うほど知っている。

夜のとばりの中で、若々しく派手な格好をした綺麗所のお姉さん達も、一夜明ければ無惨にも魔法は解け、グッと老けた疲れた顔のおばさんに戻ることを。 

彼の美しさはそんな作り物の美しさじゃない。

いつも明るく太陽に照らされて咲き誇る大輪の向日葵のように、闇で覆われた薄汚い部分など微塵も無い美しさ。  

僕なんかが手を触れることなど、許されない清らかな聖者。

『洋一・・・』  

小さな声で呟いてみる。  

その名をそっと呟くだけで、僅かでも汚れきった僕が、浄化されるような気さえするんだ。    

 

「清治さん!!」  

派手なアロハシャツ姿の若いチンピラをふたり引き連れて、シマの見回りをしている清治さんをようやく見つけた僕は、走り寄って声を掛けた。

「おう!遙」  

夏だというのに大柄な身体にぴしっと黒っぽいアルマーニのサマースーツを着ている姿は確かに素人さんには見えないけれど、チンピラさえ連れていなければ、やくざというより洒落た業界人のようにも見える。

「後でいいんだけど・・時間作ってくれないかな?」

「時間作ってくれだとぉ?珍しいこと言うじゃねぇか?すぐ終わらせっから[マゼンダ]で待ってな。

おい、タケシおめぇ遙と先に[マゼンダ]に行ってろ」

「は、はい。兄貴」  

タケシ君はペコッと清治さんに頭を下げた。 

紫色のアロハを着たタケシ君は、僕と同じ年で香山組では一番の下っ端らしい。  

清治さんが風俗店の密集している通りに消えるのを見届けてから、僕は僕より背の低いタケシ君を振り返った。

「ゴメンね。迷惑掛けて」

「遙さんのお供なんて光栄ッスよ」  

まだ少年ぽい(16なんだから当たり前なんだけれど)雰囲気を残してはいても、潰れた鼻が彼の戦歴を物語り、清治さんが目を掛けているだけあって、彼は小柄ながらも敏捷そうな引き締まった体格をしていた。  

僕たちが雑居ビルの三階にある[マゼンダ]の重い扉を開けて入ると、すぐに奥から粋な銀鼠の紗の着物を着たママが婉然とした笑みを浮かべてやって来た。

 

さて、私の好きなキャラは誰でしょう〈笑〉

タケシ君ではないです、ええ〈爆〉イヤ、嫌いじゃないんですけどね、結構良い子だし。