光の中で微笑んで 第四章 

 

「あら?いらっしゃい。遙ちゃんが来るなんて雪でも降るんじゃない?タケシ君が一緒って言うことは清治さんが後から来るのかしら?」

ママが愛想良く僕たちに笑い掛けた。 

「そうなんだ。清治さんが来るまで待たせて貰うね」

[マゼンダ]はこの辺りにすればかなり高級なたぐいのクラブで、女の子も若くて綺麗な子が揃っていると聞いていた。  

僕はあまりこういう店には来ないのだけれど、長年住んでいるせいか、ママ達はもちろんのこと、最近やって来たばかりのホステスなんかも僕のことをよく知っていた。

「遙ちゃん。こっちにいらっしゃいな。  

そんなところで待たせたりしたら、清治さんに私が叱られちゃうじゃないの」  

入り口の脇に作りつけられているカウンターに腰掛けようとした僕の手を取って、一番奥のボックス席へと導いていく。  

世の中は不況だという割には、店には結構な数の客が入っていた。

「何になさる?清治さんのボトルとりあえず持ってきましょうか?」  

8人ほど座れるボックス席の隅に、ちんまりと収まった僕に、ママが微笑を浮かべてはんなりと尋ねる。

「どうしようかな・・とりあえず、ウーロン茶もらっとこうか」  

飲めない訳じゃないけれど一人で飲むほど好きでもない。  

タケシ君はさっさとカウンターの一番はしに座り、紅い蝶ネクタイを締めたハンサムな若いバーテンダーと親しげに話していた。   

叔母の店とはランクがかなり違うんだろうけど、客筋や店の女の子の雰囲気も全然違っている。

ムード音楽の流れる中、落ち着いた色調の店内に蝋燭の光が灯され、罵声や怒声は全く無く、穏やかな談笑がホステスの華やかな笑い声に交わって聞こえてくるだけだ。

とても、柄のいいとは言えない地域なのに、ここだけが青山かどこかの会員制クラブのような雰囲気さえ醸し出していた。

「いらっしゃいませ。可奈子です。よろしくぅ」  

まだ二十そこそこだろう、ちょっと派手な顔立ちの綺麗なホステスが、僕にウーロン茶を持ってきてくれた。  

ウエイターがその横で、ワゴンに乗せて運んできた、清治さんのボトルやアイスボックスを丁重に並べている。

「ありがとう」  

グラスを手から手に受け取った僕の横に、ぴったりと身体を押しつけて可奈子と名乗ったホステスが腰を下ろした。

「わたし水割りいただいてもいいかしら?」

「さあ?僕のボトルじゃないから・・・・・」  

彼女から漂ってくるきつい香水の匂いが嫌で、僕は身体を少しずらした。

「これ、清治さんのボトルでしょ?頂いちゃお」

僕に意味ありげな一瞥を向けてから、彼女は手際よく水割りを作り始めた。

こんな表情を僕はよく見慣れている、そう、彼女の瞳に浮かぶもの・・・これは嫉妬。  

「わたし、遙ちゃんに会いたかったの。

清治さんたら、飲むとあなたの話しかしないんだもの」  

カラコロといくつかの氷をグラスの中に入れ、ミネラルウォーターと供に注いだ琥珀色の液体をマドラーで掻き混ぜる彼女の横顔に、揺らめく蝋燭の光が悲しそうな影を落とす。  

この人、好きなんだ・・・清治さんの事が。  

清治さんに熱を上げているホステスや風俗嬢はこの辺りに腐るほどいる。

僕に惚れていると至る所で吹聴しているのは、そんな女達を上手に扱うための処世術だよと伯母なんかは笑っているし、僕も気に入っては貰っているんだろうけど、幾ら同じ裏街道の住人だとしても、あんな人が僕のような男娼を本気で好きになることなど無いことぐらい十分解っていた。

「ねえ?遙ちゃんはどうなの?やっぱり清治さんの事好きなの?」  

細い喉を反らして、水割りを一気に飲み干した可奈子さんは、僕ににじり寄って訊く。

「好きって言うと語弊があるでしょうね。

僕の場合、可奈子さんの言っている意味とは違うから」

「違うってどういう意味よ?好きか嫌いかって訊いてるのよ?どっちなの?」

「困ったな・・・そりゃ・・好きだけど」  

煮え切らない僕の態度が気に入らないのか、可奈子さんはキッと顔を上げて、

「じゃあ、どうして清治さんと関係を持たないのよ?

あんた男相手に身体売ってるんでしょ?何で清治さんとは何もないの?

何でわたしは淫売呼ばわりされて、身体売ってるあんたのことを、清治さんは『遙は初だから抱けねぇ』だなんて言うのよ!」  

僕をきつく睨らんだ可奈子さんの瞳に、紛れもなく燃えさかる激しい炎が見えた。

「可奈子<」  

どう応えればいいのか解らずに固まっていた僕の耳に、清治さんのドスの利いた声が聞こえた。  

その途端可奈子さんの怒りに紅潮していた顔がサッと蒼ざめる。

「遙につまんねぇ気つかわすんじゃねぇ。お前は向こうに行ってろ」  

僕の向い側のソファを軋ませながら腰を下ろした清治さんは、鋭い眼光で可奈子さんを睨み付けている。

「清治さん・・あたし・・」

「さっさと消えろ」  

低い声が可奈子さんの言葉を遮ると、彼女はワンピースの裾を翻して、パッと席を立ってしまった。

「済まねぇな。またせちまって」  

さっきとはまるで別人のような穏和な表情で改めて僕の方に清治さんは顔を向けた。

「ううん。僕こそ急にゴメンね。水割り作ろうか?」

「おお。ありがとよ」  

キツイ目元をクシャと和ませて笑った。  

ヘネシーのボトルに手を伸ばして水割りを作り出した僕に、

「先に話を聞こうか?まさか俺の色になってもいいって言ってくれるんじゃねえよな?」 

内ポケットから取り出したダンヒルのタバコに大様に火を付けながら、清治さんは僕にからかうような視線を投げた。

「あの・・・仕事・・・・・・・無いかなと思って」  

清治さんの方に身体を乗り出して、ガラスのテーブルの上にグラスを置いた。

「仕事ぉ?」  

少し驚いたように、片方の眉をあげた清治さんは、グラスに伸ばしかけていた手を空中で止めた。

「うん。学校に通ってるから、昼間は無理なんだ。出来れば夕方から十一時か十二時ぐらいまでで、一月に十五万ぐらい欲しい。  

贅沢だって解ってるけど、そのぐらい有れば月謝や交通費のほかに大学に行く準備金もちょっとづつ貯められると思うんだ」  

両手を揃えた膝に乗せ、真っ直ぐに清治さんを見詰めながら真剣に話す僕に、

「待てよ。もうあの商売からは足洗うって事か?」  

火を付けたばかりのタバコを灰皿にねじ込むようにして揉み消した清治さんも、僕をしっかりと見詰めたまま、上体を前屈みに乗り出した。

「うん・・・・嫌なんだ・・・もう」  

長く細い息を吐き、ポツリと応えた。

たとえ今僕が足を洗ったとしても、あの人と同じ世界に行ける訳じゃないけれど、少しでも近づきたい。洋一の側に。

「そりゃあ、俺はお前が止めたいってんなら仕事ぐらい探してやるけど。お前働きながら学校にちゃんといけんのか?

そんなに華奢なんだ毎日働きながらもつ程体力ねぇだろう?」

「学校は続けるよ。勉強もする。大丈夫だよちゃんと働けるから」  

思わず懇願するように僕は清治さんのサマースーツの袖口を、力を込めた指先で掴んだ。  

今僕が頼れるのは清治さんしかいない。

「遙・・お前ぇ・・」  

キリッとした形のいい眉を寄せ、切れ長の瞳が鋭い刃物のような蒼い光を帯びた。  

しばらくそのまま僕の顔を睨み付けていた清治さんはフッと表情を緩めて、水割りを口に運ぶ。

「どんな奴だ?」

「え?」

「お前の惚れた相手だよ。そいつの為に足洗う気になったんだろう?」

「惚れてる?僕が?洋一に・・・」

「相変わらずだな遙は・・お前その洋一って奴以外に抱かれたくねぇから、まっとうな仕事する気になってんだろう?」  

苦笑を漏らしながら、清治さんは再びタバコに火を付けた。  

僕が洋一に抱かれる・・・?  

そう考えた途端、カッと顔に血が昇った。

「ち、違う。

僕はそんなこと・・僕と彼はそんなことしない。

そんなんじゃないんだ!」  

大きく頭を振った。

「お前は初だからなぁ。

好きになった相手とはキス一つまともに出来やしねぇんだろうな。 

そんなに赤くなるこたぁねえだろう。俺まで照れくさくなちまわぁ」  

清治さんに笑われた僕は、恥ずかしくて、ウーロン茶のグラスを手に取ると一気に飲み干した。

「おい。大丈夫かそんなに一気に飲んで?」 

慌てて清治さんが僕のグラスを取り上げようとする。

「これ・・お茶なんだけど」  

キョトンとした僕のおでこを呆れたように指ではじいて、

「こんな所で茶なんか飲むな。ばぁか」  

楽しそうに笑いながら、清治さんは僕のために薄い水割りを作り始めた。

 

何で、遙は清治に惚れないのかしら・・・・ねぇ?