光の中で微笑んで 第七章 

 

くすんだビルのショーウインドウにぼんやりと僕の姿が映る。

そこそこ背はあるものの、痩せて貧弱な僕の姿。

皆が綺麗だと言ってくれる顔も今は青白く、とても悲しそうな瞳が映っていた。  

僕の悲しそうな顔の向こうに、膝を抱え薄汚れた毛布にくるまって泣いている小さな男の子の姿が見える。  

僕は夏の暑さに汗を滲ませているのに、その子は寒さにガタガタと震え、僕を悲しみに満ちた目でじっと凝視し続ける。     

君は僕を責めているの?  

生きるために身を落としてしまった僕を、戦い続ける事の出来なかった僕を、君は責めているんだね・・・・・・

僕を見つめる澄んだ瞳に耐えきれず、両手で顔を覆い崩れ落ちるように、僕はその場にしゃがみ込んだ。

こめかみに脈打つ鼓動と、傍を行く人々の醸し出す足音が、不思議な不協和音となって僕の耳の奥に鳴り響いていた。

 

「どうしたの君?気分でも悪いのかい?」

「あ、いいえ大丈夫です」  

この所の寝不足と疲れで少し貧血気味だった僕は、唐突に頭上から声をかけられ、慌てて立ち上がった途端、めまいを起こしその人の胸にフラリと倒れ込んでしまった。

「す、すみません」

「いいよ。顔色が悪いね。少し僕に掴まってるといい」  

見知らぬ男の人は力強く僕の脇に腕を廻して身体を支えてくれた。

「もう大丈夫です。有り難うございました」 

顔を上げてお礼を言った僕は、目の前にいる三十前後のサラリーマン風の男の顔にいつもの見慣れた表情を読みとった。

幼い頃から嫌と言うほど見てきた僕を値踏みするような男の目。

いま男の頭の中ではせわしなく色んな感情が鬩ぎ合っていることだろう。  

彼だって本当はそんなつもりで僕に声を掛けた訳ではないはずなのに・・・・・・

目の前にいる男は、どう見ても僕のような男娼を買いなれてる遊び人の風体ではなく、極々一般的なサラリーマンにしか見えないからだ。

それなのに僕にはわかってしまう。今少しでもその気をみせれば、すぐにでも交渉は成立するのだと言うことに。  

こんな真っ昼間の表通りでも簡単に客を拾えてしまえるほど、僕の躰にこの仕事が染みついているということを、まざまざと僕は再認識させられる。  

小さく溜息を吐き視線を足下に落とした僕は、男に何か言い出すチャンスを与えぬ間にその場を足早に離れた。    

 

後悔などしたことはなかった、幼かった僕にどれほどの選択肢があったというのだろうか?

今思えば、それはもちろん様々な道が有ったのだろう。

でもあの時の僕は生き延びるために、再び飢えに苦しまぬ為に必死だったのだ。

羞恥や恥辱など取るに足らぬ事に思えるほど、あの頃の僕には再び訪れるかも知れないあの冬が、あの凍える寒さと餓えが堪らなく恐ろしかったのだ。  

洋一に逢いさえしなければ、僕はこんな惨めな気持ちになることは無かったのに・・・・・・・・・ 

それなのに何故僕は睡眠時間を大幅に減らし、夜遅くまで働くことを選んだのだろう。 

今更、足を洗っても決して過去は拭えやしないのに。どんなに望んでも彼の住む岸に渡ることなど出来やしないのに。  

 

何時間街を彷徨い続けただろう。照りつける太陽を避けるために、公園の木陰のベンチに腰を下ろしたときには既に3時を回っていたかも知れない。

幾ら暑いとは言え初夏の木陰はホッとするほど心地よかった。  

生い茂った藤棚のしたにある砂場では小さな子供たちがプラスチックで出来た赤や黄色の可愛らしいバケツやスコップで遊び、そばのベンチでは若い母親が子供達の様子を目で追いながら世間話をしている。  

小さな子供などゆっくりと見たのは何年ぶりだろう?まして淡い水色をしたフード付きのベビーカーの中ですやすやと眠っている乳児など、歓楽街に住む僕は随分長い間見た覚えがなかった。

まるまるとした赤ん坊はバラ色のほっぺの横に紅葉のような小さな手を置いてぐっすりと眠っている。   

男の子とも女の子ともまだ見分けの付かぬ天使のような寝顔を見ていると、さわやかな風に乗って甘いミルクの香りが漂ってきそうな気がした。    

父と母が僕を慈しんでくれた幼い日々が懐かしい。

思い返せばこんな公園が家の近くにも確かあった。

赤ん坊を連れた人を見る度に僕も弟か妹が欲しいと何度も母さんに言っては困らせていたような気がする。  

僕自身がこれから先、子供を持つことはないだろう。

あまりにも幼い頃から無理矢理植え付けられた性癖のせいか、それともこれは僕の天性の物なのか、僕はいままでもそしてこれから先もきっと、女性とは性的な交渉をもつ事はないだろう。

僕が父となり優しい女性を母として幼い命を慈しむことは、なんと甘やかで叶えられることのない残酷な願いだろうか。    

 

母親と何か話していた少女が、赤いサンドレスをヒラヒラさせながら僕の方へ駆けてくる。

「お兄ちゃん。あい」   

僕の前に差し出された小さな手のひらに、あめ玉が一つ。

「これ僕にくれるの?」

「うん。ミミちゃんのひとつあげる」  

クリクリとした大きな目は恐いくらいに澄んでいて、僕に洋一の瞳を思い起こさせた。

「ありがとう。ミミちゃん」  

少女から飴を受け取り、おかっぱの頭を撫でた。  

小さな、僕の手の平にすっぽりと収まりそうなほど小さな頭だ。

「お兄ちゃんのおなまえ、なあに?」

「ん?僕?僕はね。はるかっていうんだよ」

「はりゅか?」

「そう。はるか」  

僕の名を舌っ足らずで発音する少女はとても可愛らしい。

「ミミちゃん!」  

少女の母親が彼女を呼んだ。

「バイバイ!お兄ちゃん」

「バイバイ。ミミちゃん」  

走り去る少女の向こうにいる母親に軽く会釈をして、僕はベンチからようやく重い腰を上げた。  

暑さに少し溶けて包み紙から離れにくかった飴を、乾ききった口の中に入れると、沸き上がってきた唾液の中に甘酸っぱい葡萄の味がゆっくりと拡がった。

 

あはは〜、お待たせした割にな展開ですね〜(^^;)