Crystals of snow story

Broken Heart〜小さな痛み

「純白の花衣」Suzuya's Story

( 5 )

 


ツキンっと小さな衝撃が彼の唇が触れた場所から身体を走り抜け、しばらく握りしめられたままの手から、甘い疼きが体内に流れ込んでくる。

「こら、靖史、鈴ちゃんがびっくりしてるでしょう。
ごめんなさいねぇ、このこったら、私が鈴ちゃんの写真見せてから、あわせろってうるさくて」

慌てて、手を引っ込めた僕に向かって、くすくす笑う冴子さんの笑い声がどこか遠いところから聞こえるような気がした。

思いもかけずうろたえてしまったことに必要以上に動揺し、それを隠すことが出来きない気まずさに僕はサッと頬に血が上るのを感じながらうつむいてしまった。

今のは・・・・何・・・・?

答えなどわかっているくせに、僕はあえて自分自身に自問した。

僕は、研くん以外の誰かに、少しでも触れられるのがすごくイヤだった。

だって、当然だよね?

僕は研くんが好きなんだもの、ほかの誰かに触れてなんて欲しくない・・・・

僕に触れて良いのは研くんだけ。

だから不躾に僕にそういうことをしようとする相手には平然と冷ややかな態度をとることで、キチンと自分の意志を伝えるすべを拾得していたんだ。

それなのに・・・・・僕は・・・・たかだか手の甲だとはいえ、触れてきたのは唇だというのに、今僕が感じたのは邪悪感とは明らかに違う全く別の小さな疼きだったんだ。

小さいけれど、紛れもない、あの、あまやかな疼き・・・・・

今までも研くんにそっと触れられる度に、ううん、研くんの暖かい腕や厚い胸や優しい口づけを思い出す度に僕の深淵を焦がす熱い疼きに、僕は吐き気を催すほど、僕自身の奥深くに棲む浅ましさに激しい自己嫌悪に苛まれて来たというのに・・・・・

僕は・・・・とっくに、研くんの理想とはほど遠いことくらい自覚してるけれど・・・
どこまで、醜悪で、嫌らしい存在になってしまうのだろう・・・

ゾッと、寒気が背筋を這い、僕は膝の上に置いた両手を指の関節が白くなるほど、堅く強く握りしめた。

恐怖すら感じる当惑をよそに、冴子さんは靖史さんを僕の隣の席につかせて、彼が自分の甥であることや、メンズ雑誌のモデルをバイト気分でしていたらいつの間にか人気が出て、この春には有名化粧メーカーのテレビコマーシャルにまで出演が決まってしまったので、ギャランティがそう高くなるまえに、花衣でも使っておくことにしたのだというような説明を少し誇らしげに話していた。

「でね、鈴ちゃんの話も靖史にしたのよ。そしたら、是非一緒に仕事がしたいって、熱心にいうものだから。
どうかしら、絵的にも鈴ちゃんと靖史なら身長差もちょうど良いし雰囲気もぴったり来るとおもうんだけど」

応接セットのソファーから身を乗り出すようにしながら、冴子さんは熱心にこの春からのキャンペーンについても話を進める。

目の前では、赤や青の、鮮やかなファイルに納められた、写真や、コンテが次々と提示されていく。

ああ、そうだった・・・・
僕がここに来たのはモデルの話を聞くためだったんだよね。

治まらない頬の熱さに、逃げ出したいほどの衝動をぐっと堪えて、僕は、冴子さんの話に神経を集中することで、なんとか表面上の平静を保つことが出来た。

冴子さんの説明によると、もう既に、メインの花嫁モデルが決まっていないだけで、ほかのコンセプトはすべて決まっているらしく、撮影の予定や、ポスターの構図などを冴子さんはクリアファイルから取りだしては、テーブルの上に並べていく。

僕へのオファーは靖史さんと一緒のポスター撮りが3点。
新作ドレスのカタログ掲載の単独写真が数点。

春休み中にはほとんどの撮影はすませるから学業に負担はかけないということだった。

もう一度、僕はゆっくりと冴子さんがテーブルの上に並べた写真や新作のデザイン画を眺めてから、応接室の壁側に並んだ、真っ白なドレスに目をやった。

やはり、最後に、僕の目は端にある、オーソドックスなドレスに止まる。

そこには、幼い頃、研くんのためにいつかは着るんだと信じていたドレスがあるから。

いつしか、僕には決して着ることは出来ないんだとわかった、純白のドレス。

清純を表すという、真っ白なドレス。

そのドレスが、今、僕の目の前にある・・・・・・・

こんなにも、浅ましくて汚い僕だけど・・・・

この白いドレスが、もしかしたら僕の醜さを研くんの目からもうしばらく隠してくれるかもしれない。

見た目だけなら・・・・まだ、僕はなれるだろうか?
研くんの、理想とする、綺麗で汚れのない、鈴ちゃんという存在に・・・・

今なら・・・まだ・・・

もしかしたら・・・・・

研くんは綺麗だと言ってくれるかも知れない・・・・・・

 

「そろそろ、限界だと思うんだよね」

「えっ?」

ビクッと僕の紅潮したままの頬がひきつった。

まるで僕の考えを読んだように、隣に座っていた、靖史さんが放った言葉に。

「鈴矢君、確か今年高校二年生になるんだよね?
そりゃ、君はとっても綺麗だけど、そろそろ、性別不詳な時期は終わるとおもうんだ。
今だと、ちょうど背丈もすらりとしてて、骨格も華奢だし、今君が着てる櫻綾のブレザーにスラックスっていう男子高校生の制服姿のままでも、君のことを男装の麗人だといえば、誰も疑わないだろうけど、来年、再来年になったら、そう言うわけにはいかないよ。
だれだって、少しずつ男っぽくなるからね。
それにここ一年ぐらいで随分大人っぽくなったって、冴子おばさんもいってたように、俺が見せて貰った写真より今の君の方が少女っぽい感じが抜けてきてるしね。
俺は君と一緒に仕事をしたい一心で、おばさんの長年の野望を叶えるなら、今年あたりが限界だとおもうよ、って強力にプッシュしたんだけど、今日君と会って、俺の薦めはあながち間違ってなかったってはっきりと確信したよ。
来年なら、多分、君に花嫁のモデルは無理だよ。
まぁ、もう少し背丈が伸びてから花婿のモデルの方でも良いんだっていえば別だけどね。
ああ、でも、花嫁モデルがかわいそうだな、花婿さんがこんな美人じゃ霞んじまうな」

今が限界・・・・

来年は・・・・もう、無理・・・・・・

自分でも、うっすらと自覚していたことをはっきりと提示されて、僕は激しく動揺した。

靖史さんの言っていることが、花嫁衣装のモデルのことだっていうのは分かっていても、僕にはその言葉が研くんとの関係を言い当てられているように感じたからだ。

来年はもう、無理なんだ・・・・・・
来年には、もう・・・僕は鈴ちゃんの仮面を被っていられない・・・・・
誰から見ても、はっきり分かちゃうんだ。

そうだよね、僕だって、わかってた・・・・
もう、ずいぶん前から鏡に映る僕の姿が、随分と変わってきてるってことに・・・

もうすぐ、研くんも気がつくんだ。

僕が、彼の鈴ちゃんじゃないってことに・・・・

ずっと、ずっと先延ばしにしてきたけど・・・・
もう限界なんだ・・・・・
誰の目にも、わかるほどに・・・

「わかり・・・ました。モデルの件、お引き受けします」

僕の返事に冴子さんは飛び上がらんばかりに喜んで、じゃあ早速契約書を用意するわね、と部屋から出ていった。

僕は、震える指先をもう一度ギュッと握りしめて溢れそうになった涙を堪えながら声にならない声で誓った。

研くんにあげよう。

僕からの最後の贈り物を・・・・

それで、終わりにしよう。

もう・・・・・・限界なんだもの。

続きを読む?