Crystals of snow story

純白の花衣

もう一度だけ、ささやいて第二部

( 10 )

 


俺の望んだ、鈴?

手のひらに押しつけられた、堅い物より、何故かその一言が引っかかって、口を開こうとした、その時。

ホームの屋根に設置されているスピーカーから電車の到着を告げるアナウンスが流れ、強い風を俺たち乗客に打ち付けながら、急行電車がホームに滑り込むように入ってきた。

キキキッっ軋む耳障りなブレーキ音に続いて、大きな口を開けて開かれた乗降ドアから勢い良く降りてきたサラリーマン風の男の肩が、ぼんやりとしていた俺の肩に軽くぶつかって、俺は乗らなきゃいけない電車の列からはみ出る形で、数歩後ろに下がってしまった。

よろめいた瞬間、咄嗟に鈴に押しつけられた包みを落とさぬようにしっかりと握り込む。

俺の望む鈴がこんなちっぽけな物に変わっちまうのか?

第一、俺の望んだ鈴って・・・いったい、なんのことだよ?

俺の望んだ鈴は今目の前にいる、お前じゃないか・・・・・・
それ以外に欲しい物なんかあるかよ。

俺は生まれてこの方、お前、乙羽鈴矢以外に本気で欲しい物なんてこの世に存在しなかったんだから。

ずっと、ずっと好きだった・・・・・

小さな頃から、ずっと・・・・・・

俺が守れなかった小さな鈴は、不甲斐ない俺じゃ無くて、格好良く鈴を守ってくれた兄貴を好きになったけど、それでも俺は鈴だけが好きだった、鈴しか見えなかった。

たとえ、叶わない想いだって、わかってたって鈴以外なにも欲しくなんか無かったんだ。


「何してるの、研くん?電車に載らないの?」

『まもなく電車が発車します』機械的なアナウンスが流れるのと同時に、いつまでたっても電車に乗り込もうとしない俺に焦れたのか、鈴は昨日のことなんか無かったみたいにためらうことなく俺の手を取って、早くと急かしながら俺の腕を引っ張った。

俺の指先を包む鈴の手のひらはいつもと同じように、なめらかで優しい。

俺の望む鈴は目の前にいるけど、俺の手の中には掴めないってことかよ?
何かはわかんねぇけど、鈴はこのちっぽけなもので、おしまいにしろっていってるんだよな?

俺は、閉まり掛けた電車に引きずられるように乗り込みながら、もう一方の手に握っていた四角い包みを鈴の顔の前に押し返した。

「こんなもん、いらねぇ」

「そんなこと、言わないでよ・・・・」

ぶっきらぼうに突っ返した俺を鈴は悲しそうな瞳で見つめ返す。
普段なら透き通るような透明感のあるつぶらな黒い瞳が、今朝は泣きはらした後のように、潤んで見えた。

真側で見つめ合った鈴の潤んだ瞳が、俺の弱い部分を鋭い矢のように射抜いていく。

俺って、ほんとにバカだよな、俺のために鈴が一晩泣いた痕跡を間近でみちまった途端、昨日から続いているもやもやした憤りがひゅるひゅると薄まっていくんだから。

どうして、こんなことになったんだろう・・・・・

泣かせたくなんかないのに・・・・

これからは、ずっと、俺が守ってやるって決めてたのに・・・・・

もう、あの時のチビで無力な俺じゃない。

俺はちゃんと、守れるだけの力を身につけたつもりだったんだ。

だから、もう、二度と誰にも・・・・鈴を泣かせたりなんかしないって決めてたのに、結局鈴を悲しませてるのは俺なのか?

俺は・・・鈴を守るどころか、鈴を苦しめる存在でしかないのか?

そう、思い立った俺は、鈴の目の前に差し出していた腕を力無く下ろしていた。

「ありがとう、研くん。
僕に出来ることってそんなことぐらいしかなかったんだ、だから・・・お願い、それだけは受け取ってね、返すなんて言わないでね・・・・もう、二度と研くんにわがままなんか言わないから・・・今日でほんとに最後だから・・・・・・・」

キュッと桜色の唇を結んだ鈴の小さな頭が、俺の肩口にそっと凭れるように寄せられて、ふんわりといつものいい匂いが俺の鼻腔を掠めた。

さっき鈴に取られた手は通勤ラッシュの人混みの中で、さっきより強く握られて、寄せられた身体からも握られたままの指先からも鈴の温もりがじんわりと俺に伝わってきていた。

春のうららかな光の中を進む満員電車が学校のある駅に着くまでの間、鈴はずっと俺の手を強く握りしめたまま離さなかった。

まるで、昨日の出来事が嘘みたいだった。

俺と鈴の関係が、ただの友達でしかなくなるなんて、どこか違う世界のことみたいだった。

研くんのことが、とっても、とっても、大好きだよ・・・・

電車が奏でる、リズミカルな振動や音に紛れて、まるで今にも鈴の囁く甘い声が聞こえてくるような気がするのに。

 

学校に着いた俺は無言のまま鈴と校門で別れ、いつもなら鈴とふたりっきりになるために行く秘密の場所、体育横のスペースに、直行した。

体育館の裏口に続く、コンクリートの段々にデイバックを下ろして、その横に俺もどっさりと腰を下ろした。
無意識のうちに鈴にずっと握られていた左手の指先を唇に押し当てながら、小さな溜息を付いた。

なんだか、まだ朝だって言うのに、やけに身体がかったるい・・・・・

今度ははぁっと、息を吐きながら、右手に掴んでいた、煙草二つ分より心持ち大きい包みを開いた。

パリパリと堅い包装紙が音を立てて拡がる。

「これ・・・・なんで、これが俺の望む鈴なんだ?」

手の中に現れたのは、小さなポートレート。
ポスターや、広告にはたぶん無かった、目の覚めるような純白で少しクラシカルなイメージの清楚な花嫁が写ってたんだ。

もちろん、モデルは昨日、何度も見た、花嫁姿の鈴だった。

 

鈴ちゃん

鈴ちゃんがおっきくなったらぜったい、ぜったい似合うよね

真っ白なドレス

花嫁さんのドレス

俺みんなに自慢して歩くんだ

世界中でいっちばん鈴ちゃんが綺麗だろって


ふっと・・・・ちいさなころ、何度も鈴に言っていた言葉を思い出した。

あれは確か幼稚園のころ・・・・
叔母の結婚式で、花嫁姿を初めて身近に見た俺が、鈴になんどもそんなこと言った覚えがある。

もしかしたら、鈴・・・・

お前、そのこと覚えてたのか?

写真立てを両手で掴んだまま、飛び上がった俺は、高等部の校舎に向かって駆けだした。

登校中の生徒たちが声を掛け合っている運動場の真ん中で、デイバックをさっきの段々に置いてきたのを思い出したけど、そんなもん、構うもんか、俺は鈴の教室を目指して走り続けた。

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