Crystals of snow story
純白の花衣
もう一度だけ、ささやいて第二部
( 11 )
「おい、鈴っ!これってなんのつもりだよ?!」
大きく胸を上下させながら、猛ダッシュで鈴のクラスについた俺は、入り口の扉を握り閉めながら、大声で怒鳴った。そのままぐるりと教室中を眺め回した俺に、教室の中にいた奴らは、座ってたやつもふざけてた奴も一斉に動きを止めてびっくりしたような顔を向ける。
普段大声で鈴を呼びに来る俺に対した注意も払わない奴らが一斉に驚くんだから、今朝の俺はきっと尋常じゃないように見えるんだろう。
てっきり、鈴が教室にいるものだとばっかり思って飛び込んでみたが、普段ならきちんと自分の席に着いているはずの姿がどこにも見あたらない。
ともかく鈴を見つけて問いたださなきゃと気だけがやけに焦っている俺は一番近くにいた、山城と言う名の鈴のクラスメートをとっつかまえた。
「おい、鈴、見なかったか?」「お、音羽くんなら、今朝はまだ来てないよ?」
俺の剣幕に驚いたのか、もともと気の小さい山城は、ちょっと、つっかえるように恐る恐る応えた。
「まだ、来てないって?」
そんなことあるもんかと、もう一度くってかかり掛けた俺の肩が力強くぐいっと後方に引かれた。
「うっせぇな、今忙しいんだよ!」
怒鳴りながら、振り返ったそこには、まるで今はやりの3Dゲームから抜け出して来たような作り物めいた端正な顔。
「鈴矢なら、あっちで見たぜ・・・」
俺を蔑むような白い目でジロリと一瞥してから、浅野は外階段へと続く非常口の方へ形のいい顎をしゃくった。
「相変わらずだな・・・お前って・・・中2の頃から何も変わってないんだな」
「な、なんだよ!」
「早く行ってやれ。
お前にしてみれば大事にしてるつもりなんだろうが、いい加減にしないと、鈴矢、横からかっさらわれちまうぞ」
「だ、誰にだよ!」この間からずっと俺の中に巣くっている不安を言い当てられて、俺はやにわに動揺した。
ま、まさか、お前まで鈴にちょっかい出す気じゃないだろうな?!
誰にでも優しくて、人当たりの良い鈴だが、案外見えないところで他人との距離を取るところが有る。
その鈴がこの冷血漢の浅野とは何故か昔から結構仲がいい。幼稚舎から一緒だったってのも有るんだろうけど、まだ普通は洟垂れ小僧って呼ばれるような小さな頃から、この二人が並ぶと廻りとは格段に差で綺麗な絵になってて、中学の入学式の日も桜並木の下で俺を待ちながら立っていたのを、父兄や編入生なんかが、惚けた顔で見とれていたんだ。
あんまり、誰かとふたりっきりになるのを好まない鈴がフッと気が付くと浅野と二人でベンチに座って話していたり、俺が居ないときなんかは結構浅野がさりげに鈴の横に居たりする。
入学式の日も車で先に着いた鈴が俺を待つ間、わざわざ浅野が誰か変な奴が鈴に声を掛けないようにと側についていてくれたらしい。
「お、おまえ!こ、孝太郎どうすんだよ!」
「ああ?お前何いってんだ?わけ分かんないこといってないで、早く行け、バァカ」
「だって、お前が鈴のことかっさらうって・・・」
「いつ、俺が鈴矢を・・・・・・ああ、もういい。
お前と鈴矢の話をしたら、頭が痛くなる。
普段ならちょっとのバカですむお前が、鈴矢のことになると途端にオオバカになるんだからな・・・・」
呆れ果てたとでも言うように天井を見上げた浅野は、酷いことをサラリと言ってのけて、教室の中へと消えて行った。
何が、ちょっとバカで、オオバカだよ・・・・・
ムカムカしながら廊下を横切り、廊下の端にある重量感のある非常扉をグッと力を込めて押した。開けると、校舎裏の八重桜から濃厚な甘い香りが流れ込んで来て、一瞬、その甘い香りに俺の足が止まった。
ひとときの間合いのあと、外へと続く鉄製の踊り場に数歩歩みでると、今の今まで顔を腕の中に伏せて座っていたのだろうか、俺の立てた金属質な足音の響きに驚いて振り返った鈴の髪が、春色の日差しの中でふわりと踊った。
泣いてたのかと思った・・・・・・
普段こんな所に決して一人で来ることなんかない鈴だけに、泣いてるのかとおもったけど、白い頬に涙の痕はない。
ただ、俺を見上げた鈴の黒瞳にはいつもの、いや、ついさっきまであった、愛情とでも呼べる暖かみのある色はなく、口元には強張った笑みが浮かんでいる。
「何か用?」
「な・・・なにかって・・・・こんなとこで、何してんだよ?」
「なに・・って、座ってる・・んだけど」
チラリと手首に填めた時計を見遣って、鈴はサッと立ち上がった。
「でも、もう予鈴がなるね。東森くんもそろそろ教室に戻った方がいいよ」
カンカンと音を立てながら軽快にステップを昇って、鈴は俺の横をスッと横切った。
「え?」
今、鈴が口にした言葉が理解できなくて俺は咄嗟に行き過ぎ掛けた鈴の腕を取った。
二人の間に、甘い香りを載せたなま暖かい南風がゆるりと流れる。
「鈴・・・・俺のこと、今なんて呼んだ?」
校舎の中のざわめきとは対照的なほどの静寂の中でこくりと俺の喉がなる。
「もう・・・・呼べないから」
「呼べないって?なんで?」
「だって・・・・僕はもう・・・・研くんのお姫様じゃないから」
鈴はそう言って、乾いた声で小さく笑った。
「研くんのずっと欲しがってたお姫様な僕はさっき渡しちゃったから」お姫様って・・・・
ああ、これのことか・・・・・?
鈴の顔を凝視していた視線をハタと右手に落とした。
「そ、そうだ・・・・これいったいなんなんだよ」
ここへ何をしに来たのか、ようやく思い出した俺は、ずっと手に持っていたポートレートを鈴の前に差し出した。「鈴ちゃん」
「へ?」「だから、鈴ちゃんだよ」
「鈴だってことくらい、俺にだってわかってるよ!」
噛みついた俺に鈴はゆっくり首を横に振る。
「これは僕じゃない。
これはね、研くんがずっとずっと好きだった、鈴ちゃんだよ。すごく、可愛いよね」
まるで赤の他人の写真を誉めるみたいに鈴はこともなげに言った。
「鈴じゃない、す、鈴ちゃんって・・・・いったい・・・」
「研くんはずっと、その子が好きだったんだよ」
ゆっくりと、鈴は俺の前から後ずさり、さっきまで淡々と話していた声音が微妙に色を変えた。時折、春の風がさやさやと八重桜の梢を揺らす。そのたびに紅色の花びらが雪のように空中に舞った。
「ずっと、研くんは目の前にいる僕じゃなくてその子を見てたんだ。
研くんが欲しかったのは、僕じゃない。
その写真の中で微笑んでる綺麗で汚れのない真っ白な花嫁衣装の似合う『鈴ちゃん』なんだ」
「鈴・・・・・お前、何いってんだよ?」
あっけにとられた俺は、鈴の真剣な顔をぽかんと眺めた。
「僕は・・・『鈴ちゃん』なんかじゃない!
女の子じゃないから本物の花嫁さんになんかなれない!!
僕は・・・僕は本当はすごく醜くて、汚れてて・・・・研くんの大好きな綺麗で可愛い鈴ちゃんなんかじゃ無いんだ!!」
鈴の小さな叫びをかき消すように、始業を知らせる予鈴がなった。