Crystals of snow story
純白の花衣
もう一度だけ、ささやいて第二部
( 9 )
「どういうことなんだよ・・・・・・・」触れる指先にある薄っぺらい広告の中でほかの男に求愛されて微笑んでいる鈴を俺は呆然と見つめたまま、呟いた。
鈴のことなら何でも分かっていると、鈴は俺に何でも話してくれているんだと、俺はつい最近まで鈴の俺に対する言動を露ほども疑ったことがなかった。
だけど・・・・・結局はなんにも知らなかったのかもしんないな・・・
俺が知らないって言うより、もう、ずいぶんと前から鈴は俺に何も話してくれなくなっていたんだ、きっと・・・・・
もしかしたら、恋人同士になれたんだと有頂天になった、あの時。そう、あの2年前のあの時から、鈴は俺に秘密を持ち始めたのかもしれない。
人は一つの嘘や隠し事をするとそれを隠すためにどんどん嘘の重ね塗りをしていかなくちゃならなくなる。
俺のことを好きだと告白したあの日から、鈴はその好きが永遠の恋人同士になるための好きじゃないってことを俺に隠すために、きっと、沢山の嘘を積み重ねた来たんだ。
「黙って置いて、お前をびっくりさせるつもりだったんじゃないのか?」
今日、鈴の部屋で起きた出来事を知るはずもない兄貴は、暢気な顔で『ほかの男と写ってるからってへそなんか曲げずに鈴ちゃんにも電話してみたら?』なんて、俺の頭を小突きながら靴を履くと、玄関の引き戸をからからと音を立てて開き、夕闇に暮れなずみ始めた街に出かけて行った。「俺のことより、兄貴こそ、大事な相手が出来たんなら夜遊びなんかするんじゃねぇよ」
と怒鳴りながら、きっとその子も俺と同じように兄貴の塗り固めた嘘にコロリと騙されてるんじゃないかと思った俺は自分のことのように、腹が立っていた。
★☆★
翌朝、驚いたことに、いつもより30分ほど早い電車で登校しようと駅に向かった俺を、鈴はいつもの場所に立って待っていたんだ。駅前の横断歩道の横、普段と寸分違わぬ位置で、眩しい朝の光の中に鈴はじっと待っていた。
ただ、ガードレールのポールにほんの少し身体を持たせ掛けている鈴の立ち姿が随分と長い間そこに立っていたことを示唆している用に俺には思えて、俺は歩く速度を躊躇いがちに緩めた。
鈴の真意が分からない・・・・・・
昨日俺をおもいっきし振った鈴が、なんで、早起きまでして俺を待っているのかが分からなかった。
俺が近づいていくのに気が付くまでの間、鈴はなんだかぼんやりと駅の改札口に吸い込まれていく人々の朝の風景を眺めていて、その一連の流れからポツリと浮いた寂しげな姿に、俺は思わず昨日の出来事なんか忘れて、そばに駆け寄り抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。
俺は沸き上がってきた自分の気持ちに改めて思い知らされる。鈴にどれだけ拒絶されようと、俺の根底にある長年の想いはたった一夜で払拭何て出来やしないんだって・・・・
昨夜一晩眠らずに考えて出した答えは、鈴と一定の距離を取りながら、少しずつ忘れて行くしかないんだってことだった・・・・・
少しずつ少しずつ、うす皮が剥がれていくようにいつかきっと、鈴のことを忘れることができる日がくるだろうと・・・・・
それなのに、いったい何で、お前はこんなとこで、俺をまってたりするんだよ。
苦渋に満ちた眼差しで、じっと鈴を見つめていると、俺に気が付いた鈴はパッとガードレールに持たせ掛けていた身体を離して小さく微笑んだ。「おはよう、研くん」
少しは鈴も悩んだんだろうか?俺と同じように昨夜は眠れなかったのか近づいていくと目元がほんの少し赤いのがわかる・・・・・
「おう・・・・」
目と目が有った途端、ドキリと胸の奥に疼きが沸き上がり、痛みを伴った激しい動揺を隠そうと鈴から目を逸らした俺は、さっさと駅前の歩道を渡った。
いつもは俺が先に着いて待っている待ち合わせの場所、いつ通るとも分からない俺をいったいいつから鈴は待ってたんだろう?
鈴はいつもと何も変わらないかのように、俺の後を追って、ほんの少し斜め後ろを歩いてくる。
「何時からいたんだよ」
もう、鈴のことなんかほっておけと、俺の中の冷静な部分は忠告する。でも、結局は、何処にいてもその可憐な姿故に、朝っぱらからいくつもの好色な眼差しが不躾にジロジロ鈴を舐め回したかと思うと、どれほどの時間そんな視線に晒してしまったのかと、聞かずにはいられなかったんだ。
「さっき来たとこだよ」
鈴はぽつりとまた嘘をついた。
鈴の嘘つき・・・・・そんなに、上手く俺の通る時間にこれるもんか。今のは俺を気遣っての嘘だってことは分かってるけど、俺はこうしていつもこうやって鈴に嘘をつかれ続けていたんだなと思うと、なんだか無性に腹立たしくて、胸の奥の方から苦い物がまたしても上がって来た。
俺に嘘を付きつづけて、表面だけのつき合いを続けて、鈴はいったい何がしたいって言うんだ?
俺たちは恋人になるには無理だったけど、友人としては一番の場所に戻れるなんてことを本気で鈴は信じているんだろうか?
たとえば、俺に恋人が出来ても、鈴はにっこりと笑って「良かったね、研くん」と言うんだろうか。
良かったねと、嘘の上に嘘を塗り固めて・・・・
それとも、俺なんかとは違って、鈴は俺に誰か他の人が出来ても、ほんの少しも胸なんか痛まないっていうのかよ。
「お前、俺に嘘つくのたのしいか?」
歩調を緩めることなく、俺は制服のポケットから取りだした定期券を、自動改札の取り込み口に滑り込ませる。
「嘘なんて・・・・・・」
はっと息を飲み込みながら否定しようとする鈴を一睨みした俺は、さっさとエスカレータに乗り込んで、先にホームに着いた。
その後を僅かに息を乱しながら小走りに追いかけてきた鈴は、唇を噛みしめて俯いてしまった。
数え切れないほどの嘘を俺は鈴に付かれてきたんだろう。
あの後かけ直した電話で、孝太郎が教えてくれた、巨大ビルの垂れ幕式の広告を俺はわざわざ見に行ったんだ。ジロジロと好奇の目で見られているのを承知で、ビルの一階にガラス張りの華やかな店を構えている「花衣」の店内にまで入り混み、ほかのモデルたちと一緒に、鈴が色んな衣装を身に纏って微笑んでいる新作のパンフレットまで手に入れて来たんだから。
有名なブライダルドレスのブランド、花衣は確かに、乙羽グループの系列だってことは俺も知ってるけど、これだけ大々的な広告にでるとなると、準備に掛けた時間は一週間や二週間じゃないことぐらい俺にだって分かる。
赤いアウディに乗ってた女の人とは案外、プロモーションで知り合ったあの中の綺麗なモデルの一人なのかもしんないな・・・・・
「研くん・・・僕」
まもなく列車が到着しますと言った、おきまりのアナウンスが流れる中で、鈴が鞄からそっと四角い物を取りだした。「これ・・・本当は昨日渡すつもりだったんだ。研くんの望んだ僕をこんな形でしか渡せなくてごめんね・・・・・・」
緊張した面もちでそれだけ言うと鈴は俺の手のひらにギュッとその四角い物を押しつけた。