Crystals of snow story
純白の花衣
もう一度だけ、ささやいて第二部
( 14 )
「僕さ・・・・・・東森君と鈴ちゃんがほんとはずっとうらやましかったんだよ。東森君が鈴ちゃんのことすごく大切にしてるっていうのは端からみててもすっごく感じるから。
だから、この間からなんとなく変になっちゃってるのを見てて、何とかしたいって思ってたんだけど、史郎にさ、あの二人のことは研二の馬鹿が目を覚まさないと何ともならないからやめとけ、って言われてて、相変わらずの史郎の冷たさに腹が立ってたんだけど・・・・・・・
何となく、いまなら僕も史郎の言ったことがわかるような気がするよ。
東森君さ、鈴ちゃんのどこが好きなの?
ほんとに、鈴ちゃんのことが好きなの?
むかしっから、どんな女の子より可愛くて綺麗な鈴ちゃんがずっとそばにいたから、好きだって勘違いしてるだけなんじゃないの?
だって、東森君、おかしいよ!!
鈴ちゃんの相手が小早川靖史だって行ったとたんに顔色変えたけど、相手が女の人なら簡単に鈴ちゃんのこと取られても仕方ないって思ってたんでしょ?
本当に鈴ちゃんのことが好きなんだったら、そんなこと絶対に出来ないよ。
相手が誰だからあきらめてもいいとか無理だとかそんな風に言われちゃったら、鈴ちゃんがかわいそうだよ!」
孝太郎は一気にそれだけ言うと、悔しそうに唇を噛みしめて、わずかに潤んだ目元を、ウェアの肩でぐぃっと拭う。まるで、鈴の身代わりみたいに・・・・・・・
孝太郎自身が大好きな相手にそんな風に思われていたかのように。
孝太郎の姿が鈴と重なる。
走り終わったトラックから、コーチがホイッスルを鳴らしている中央へと集まりながら、俺の頭の中には、孝太郎の発した言葉がそのまま鈴の声となって駆けめぐっていた。
『ずっと、研くんは目の前にいる僕じゃなくてその子を見てたんだ。研くんが欲しかったのは、僕じゃない。その写真の中で微笑んでる鈴ちゃんなんだ』
あのとき鈴の言った言葉が、するりと俺の中に入ってくるような気がした。
こだわってたのは、俺の方だったのか?
俺なんか必要ないといつか言われてしまいそうで。
守ってやらないといけないと信じていた可愛い俺の鈴が、だんだんと大人になっていくことに確かに俺は怯えてた・・・・・・・・・
俺だけが、大きくなって、あのときの兄貴のように鈴を守ってやりたいと願ってた。
当たり前のことなのに、鈴が、俺と同じように成長することを、俺はどこかで否定して・・・・・・・
だから、無意識のうちに俺はずっと昔のままの鈴でいて欲しいと心の奥では願ってたんだ。
俺が守ってやらないといけない鈴のままでいて欲しいと・・・・・・・・
いつまでも昔のままの清純で可愛い鈴のままでいて欲しいと・・・・・・・
俺の心の奥底にある葛藤を、鈴は、ずっと前から気づいてたってことだよな?
俺は、自分の愚かさに、ぞっと背中に悪寒が走った。
ランニングのせいで春の陽気の中、蒸気が上りそうなほど火照っていた体が、
とたんに冷めて、嫌な冷たい汗が、ウェアと一緒に体にまとわりついた。
ザワザワと集まる、メンバーの前で、もう一度、鈍い色を放つ銀色のホイッスルが高く鳴った。
☆★☆
ボロ・・ボロロ・・・・
キィッ−−−
独特のエンジン音をならして走ってきた真っ赤なアウディが、鈴んちの勝手口の横に止まっていた。
時間はすでに9時をずいぶん回っている。
練習が終わって、鈴の家に寄った俺は、春さんに鈴がまだ帰ってきてないことを聞いて、門の外で待ってたんだ。
鈴にちゃんと話をしなきゃいけないと、俺が間違ってたんだってことをちゃんと鈴に伝えないとと思いながら、豪邸をぐるりと取り巻く塀にもたれながら待っていた。だけど、鈴のかえってくる気配はなくて、ただ時間だけが無情にも過ぎて行き、次第に焦燥感だけが澱のように貯まっていく。
だいぶ長くなった春の日はとうに暮れて、俺の回りはすっかり闇に溶け、今時嘘みたいな話だが豪邸が建ち並ぶ静かな高級住宅街は9時ともなれば深閑とする。
さっきから何度も何度も、腕時計を闇に透かして時間を確かめていた俺の耳に、聞き覚えのあるエンジン音が聞こえてきたのは、長針が3の文字にさしかかろうとしたときだったんだ。俺は、急ぎ足で表門の方からぐるりと裏手に回って、今そこに止まったばかりの車を見た。
裏門のすぐ側に横付けした車は、間違いなくここのところ毎日のように目にしていたあの赤い車だ。
ライトを消して、仄かな街灯に照らされただけの車内は、薄暗いけど助手席に鈴の姿も見て取れた。
車は止まったのに、鈴はまだ降りてくる様子はなくて、何かを話しているのか、二人の影が硝子越しに小さく揺れる。
ガチャ
そのまま、5分ほどたっただろうか。先に男が降りると、同時に反対側の扉から鈴も降りてきた。
ブレザーにスラックス。櫻綾の制服そのままで、ドアを閉める前に鈴は、手を伸ばして、後部座席に置いていた通学鞄を取り出した。
鈴の淀みなく流れるような一連の動作が、俺の目に否応なく焼き付いていく。
ふっと、男が、ためらうこともなく鈴の肩を抱いて、勝手口へと誘導する。
まるで、腕を廻すことが当たり前みたいに。
そして鈴も・・・・・・・そうされることを拒みはしない。
「おやすみ、鈴・・・・」
俺がいつも囁くように、鈴にそういうと、小早川靖史とかいう、背の高い男は鈴の顎に指を置いて、上半身を屈めるとゆっくり顔を近づけた。そのまま、顔を背けようともせずにゆっくりと目をとじる鈴を、俺は信じられない思いでじっと凝視していた。
ぞわぞわと、体中に悪寒が走り回る。
体が総毛立つって、こんなことを言うのかもしんねぇ・・・・・・・・
俺の手の中でスポーツバッグの持ち手がキュッと音を立てて叫んだ。
なんだ・・・・・
結局、俺じゃなくてもよかったのはおまえの方じゃないか・・・・・・・・
俺がキスするとすぐに体を離そうとする鈴が、あいつ相手には当たり前のように、体を預けてキスを受けてた。あんなのは、俺の鈴じゃねぇ・・・・・・・
俺の知らない鈴が確かにそこに存在していた。
その後もアウディが走り去るまで、勝手口の扉の前で鈴は小さく手を振って見送っていた。
俺が見てるなんて、全然気づきもしないで・・・・・・・・
「鈴・・・・・・」
勝手口のインターホンを鈴が押すのと同時に、俺は無意識に鈴の名を呼んでいた。
薄闇の中で、鈴の薄い背中がビクリと大きく揺れた。