Crystals of snow story

純白の花衣

もう一度だけ、ささやいて第二部

( 15 )

 


『鈴ぼっちゃま、鍵はお開けいたしましたよ』

春の宵の暖かい空気が、寒々と冷える。

その空気に凍り付いたように動かない鈴と、同じく凍り付いたように動けない俺との間に、春さんの優しいけど心配そうな声が聞こえた。

ふつうの家の玄関ドアより遙かに大きい勝手口の横手についているインターホンには来訪者を映し出す小さなカメラがついているが、映し出す範囲がかなり狭いから春さんには鈴しか見えていないんだろう。

だから、家の中からオートロックを解除をしたのに、いっこうにドアを開けて入ってこようとしない鈴を気にかけて、春さんが声をかけたんだ。

「うん。ちょっと、・・・・・・・すぐ入るからこのまま開けて置いて」

オレンジの光を放つ街灯が、鈴の姿をぼんやりと照らし、鈴の家を取り巻く背の高い塀に鈴の分身を写しだしている。

インターホンに向かって、そう言うと、鈴はゆっくりと俺の方に振り向いた。

言葉を発することもなく澄んだ黒曜石の瞳が俺を見つめる。
目を逸らすこともなく、しっかりと顎を上げて。

夜の闇の中にほわっと柔らかく浮かぶような鈴の乳白色の肌にさっきまであいつが触れていた唇だけがやけに現実めいて紅く映え、俺はその唇を凝視したまま胸の痛みに言葉が出ない。

俺たちは、どれだけそうやって、見つめ合ってたんだろう。

張りつめていく宵の静寂を先に破ったのは鈴の方だった。

「なにか、僕に用事でもあったの?」

裏切りの唇にうっすらと微笑を載せて、鈴は何でもないかのように俺に尋ねた。
そう、さっき俺が見たことなんか、鈴には何でもないかのように・・・・・

「よ・・・・うじ?」

この間、非常階段で声をかけたときも同じように聞かれたことを思いだす。

用事なんかなくてもいつも一緒にいた俺たちなのに・・・・・・

今はもう、きちんとしたら理由でもない限り俺たちには話すこともあう必要も、なんにもないって、言われてるみたいだ。

乾ききった唇を舌先で湿らせて、俺はオウムのように掠れた言葉を返した。

「うん。用事があったから、わざわざこんなところで待ってたんでしょ?違うの?」

「用事なんかじゃ!」

「そう?用事はないんだね?じゃ、もう遅いから、僕はこれで」

語気が荒くなりかけた俺の言葉を鈴はサッと片手を上げることで遮った。

「それだけか?俺に言うことは、それだけなのかよ?!」

遮られまいと続ける俺を鈴は今まで見たことのないような冷ややかな大人びた表情で上目遣いに見つめ返した。

「今更。研くんに僕が言うことってなに?
さっき、僕が靖史さんとキスしてるところ見てたんでしょ?
研くんだって、認めてたじゃない?僕が今あの人とつき合っているんだってこと。
そうでしょ?
僕を毎日靖史さんが校門まで迎えに来てくれてるのを、僕の背中越しに黙って見てたものね」

確かに鈴の言うとおりだ。

俺は毎日のように鈴があの車に乗り込むのを止めもせずに、見送ってた。

アウディの主が男だと知らなかったとはいえ、確かに俺以外の相手と鈴がつき合ってることを認めている態度だったと思う。

「それで?これ以上何が聞きたいの?
彼との関係がどこまでいったかってことが聞きたいの?
僕は高2で、靖史さんは見ての通りの大人だよ。
そんなこと、聞くだけ野暮なんじゃない?
靖史さんはね、つき合ってるなら当然のことを僕にしてくれる。
研くんが決して僕にはしてくれなかったことも何もかも・・・・・・
やだな・・・・・・・なんて顔してるの?
僕が、こんなことを言うのがショックだとでも言うの?
そうだね・・・・・・研くんの大好きな鈴ちゃんは絶対にこんなこと言わないよね?キスされただけで、恥ずかしくて、何にも言えなくなっちゃうような鈴ちゃんが好きなんだものね。
いい加減、目を覚ましてよ。
研くんの好きだった、鈴ちゃんなんて、本当はどこにもいないんだ!
本当の鈴矢は、今目の前にいる、僕なんだよ。
研くんの望む、純情可憐な鈴ちゃんなんか、最初っからどこにもいやしないんだ・・・・・・・・・」

冷ややかだった鈴の瞳に、隠しきれない痛みの色が混じり、消えそうな語尾と一緒に鈴の虚勢が剥がれていくのがわかった。

「僕は・・・・・・・・ちっとも、綺麗なんかじゃない・・・・
本当は研くんだってそのことをちゃあんと知ってるのに知らんぷりをしてるんだ。
だから、だから・・・・研くんは僕をちっとも本気で愛してくれはしない・・・・
研くんは僕とおままごとの恋人ごっこをしたいだけなんだ。
いつかほんとうに研くんの求める、綺麗で可愛い恋人が現れたら、僕は、すぐに研くんに捨てられちゃう・・・・・・・・僕はそんなの耐えられないよ。
だから、僕・・・・・靖史さんと・・・・・」

ストン・・・・・・

と、音がして、鞄が地面に落ちると、鈴は、両手を交差させて、ぎゅっと自分自身を愛おしむように抱きしめた。

非常階段の踊り場で、鈴が言っていたことの意味がようやく分かったような気がした。

なぜ、あのポートレートをくれたのかも・・・・・・
孝太郎に言われたことも、浅野が俺に言った嫌みも。
何もかもようやく俺にも飲み込めたような気がしたんだ。

何で、鈴がそんなふうに思いこんじまったのかはわかんねぇけど、俺はようやく気がついたんだ。

俺が守ってやれる幼い鈴のままでいて欲しいと願っていた以上に、鈴は俺の気持ちをねじ曲げて解釈してたんだってことに・・・・・・

「俺・・・・・・・・ずっとおまえのことが欲しかった」

もっと早く、言葉にすればよかった・・・・・・・

そうすれば、あんな奴に・・・・・・

こみ上げてくる後悔と愛しさにぐぃっと鈴の身体を引き寄せて抱きしめる。

「あっ・・・・・・」

胸の中で、鈴が小さな驚きの声を上げた。

「俺、ずっとおまえのこと抱きたかった。
だけど、おまえに嫌われるのが怖かったんだ。
俺がこんな醜い欲望の対象におまえを見てるって、知られたくなくて・・・・
いつもいつも、俺は・・・・・・・・おまえにもっと触れていたかった」

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