Crystals of snow story
純白の花衣
もう一度だけ、ささやいて第二部
( 4 )
誰の車に乗ってたんだろう?
赤いアウディなんて乗ってる奴を俺は知らない。
同じ赤でも兄貴の車はSKLだし、走り去る後部を見ただけだけど、あの4ヶの輪っかが繋がった特徴のある車種を見まがうはずもない。
鈴んちには3台車がある。
だけど、車買い換えたなんて訊いてないし、おじさんはあんな派手なのには乗らないし、おばさんの小型のベンツは半年ほど前に買い換えたばかりだ・・・・・
それに、赤いアウディってちょっとばかし小金持ちのお嬢様なんかがよく乗ってるよな。外車の割にごっつくなくて、女の人が乗ってても違和感ねぇし・・・・・・
まさか・・・鈴に年上の女?
はは・・・・まさかね・・・・違うよな?
俺、今日おかしいよな。
いったい何考えてんだか・・・・・
「東森くん・・・・気にしちゃ駄目だよ、きっとさぁ、僕の見間違いだからさぁ。ね、東森くんは見てないんでしょ?」
「孝太郎、なにしてんだ、いくぞ」
「史郎・・・・・でも」
「俺たちが口出す事じゃないだろうが。いくぞ」
「あ・・・・・・う・・うん・・」
車道にぼんやり立ったまま消えてしまった車をまだ彷徨うように追いかけていると、いつの間にかやってきた史郎がさっきから心配して声を掛けてくれていた孝太郎の肩を抱いて連れ去ってしまった。
浅野のぶっきらぼうな言葉は「俺も見たよと」暗に俺に伝えていた。
「ああっ?・・・・・・なにやってんだ、俺・・」
見慣れた角を曲がったとたんに、俺の足が止まる。
目の前に現れたのは、乙羽家の豪邸。
みんなと別れた後、駅からの帰り道、俺は無意識にいつものコース(鈴を送り届ける)を歩いていたらしい。
見上げると、大きな塀の向こうに、今は白っぽい八重桜がちらほらと咲いていて、ふんわり吹いた春風に雪のような花びらを散らしていた。
風に載った薄紅の花びらは二階の奥にある鈴の部屋の方に飛んでいく。
鈴はもう帰ってるんだろうか?
開け放たれた部屋の窓からは花びらを手招きするように、白いレースのカーテンが揺れてはいるが、鈴がその部屋にいるという確証はない。
お手伝いの春代さんが、部屋の空気の入れ換えをしているのかもしれないし・・・・
そのくせ、さっきのはやっぱり孝太郎の見間違いで、今にも鈴がその窓から顔を出しはしないかなんて甘い期待が俺の胸に過ぎる。
その時、俺の後ろから車のクラクションが鳴り、驚いた俺は漫画みたいに飛び退いてしまった。
スローモーションのように恐る恐る振り返る。
鈴を助手席に載せた、真っ赤なアウディがきっと真後ろにあるに違いない。
「なんだ・・・・・」
強張ったからだから力が抜けた。
目の前にあったのは真新しい藍色のベンツ。
おばさんはウインドウを下ろして、鈴によく似た顔を半分ほど覗かせた。
「研二くん?どうしたのこんな所に立ってるなんて。ベル鳴らして誰もでてこなかったのかしら?」
「いえ・・・俺、呼び鈴押してないから」
「そうなの?今来たところなのね?」
明らかにホッとした表情でおばさんは俺に微笑んだ。
「あ・・・・うん。おばさん、鈴は?」
どこに行ったのかとは訊けずに、言葉を切ると、
「ちょっと出てるのよ。もうじき帰って来ると思うわ」
『ちょっと』という言葉が引っかかる。
おばさんに他意は無いのだろうが、鈴の言葉と重なって、作為的に俺には今日の予定を教えたくないと言われているみたいだ。
自分でも嫌になるほど猜疑的になっている・・・・・
「そう・・・ですか・・じゃぁ俺、帰ります」
奥歯をギュッと噛みしめて、そう言った俺に、
「駄目よ、研二くんを追い返しちゃ、鈴矢に叱られちゃうわ。
ゲートを開くから先に入ってて、ね」
大きな瞳を驚いたように見開いたおばさんは、慌てて車の中に上体を引っ込め俺の返事を待たずにリモコンでガレージのゲートを開いた。
先に入ってと、眼差しで指示される。
仕方なく頷いた俺は、ゆっくりと左右に開くゲートに促され、鈴の家に入っていった。
俺も鈴も、お互いのうちで相手を待つときは、もう暗黙の了解でお互いの部屋で雑誌を読むなり、テレビを見るなりしながら、相手を待つのが当たり前になっていた。
だから今日もおばさんはなんの躊躇いもなくしばらく待っていてねと俺を鈴の部屋に通してくれた。
何となく、手持ちぶさたで鈴のベッドに腰掛けていると、春代さんが冷たいアールグレイと手作りのサブレを持ってきてくれた。
春代さんの焼くサブレは小さな頃から俺と鈴の大好物だったんだ。
ほんのり甘いお菓子が鈴は今でも大好きだ。
焼き菓子から漂ってくる、甘いバニラの薫りは鈴と過ごした幼い日々を想い起こさせる。
早速サクッとサブレを一囓りして、懐かしい感懐に耽っていると、
「鈴ぼっちゃん、3時頃にはおかえりになると仰ってましたから、もうじき帰ってこられますからね」
「あ、いいんだ。別に約束してたわけじゃないから」
「おや、そうなんですか?今朝、坊ちゃんは出かけに研二さんが来られたら、お待ちいただくようにと仰ってからでかけられたんですけどね」
「え・・・?鈴の奴、俺が来るって言ってた?」
「はぁ。そう言えば来るかもしれないって仰ってましたねぇ。
坊ちゃんには研二さんのことなら何でも分かるのかもしれませんね」
トレイの上のものを渡し終えた春代さんがニコニコしながら続けて、
「てっきり、これられるものだと思いこんでいたので、久しぶりにこれを焼いたんですよ。坊ちゃんはここのところ、焼いても食べて下さらないのでね」
「鈴がお菓子を食べないって、体調でも悪い?」
「ほほほ、いえね、坊ちゃんこの頃やけにスタイルを気になさてって、今でもほそっこいのに、何いってんですか、って叱るんですけどね。
坊ちゃんもそう言うことが気になるお年頃なんですねぇ・・・・」
私も年を取るはずだわね、と苦笑いしながら部屋を出ていった。
スタイルを気にする?
鈴が誰のために?
背の高いグラスの氷をストローでからから廻しながらぼんやりと足下を眺めていたら、目の端にキラッと光るものを見つけた。
「なんだこれ・・・・・・・」
つまみ上げた小さなものが信じられずに、俺は呟いた。
「嘘・・・だろ?」
乳白色に光る小粒の真珠を花のように形取った、高価そうなイヤリング。若々しいデザインのそれは明らかに、おばさんのものでも、まして春代さんのものでもないことぐらい、いくら、女の子の小物に疎い俺にだって分かる・・・・
窓の外で車が音を立てて止まり、明るい鈴の声が「ありがとう、またね」と気安く別れの挨拶をしているのが聞こえても、俺はベッドに腰掛けたまま立ちあがることが出来なかった。