Crystals of snow story
純白の花衣
もう一度だけ、ささやいて第二部
( 5 )
玄関のドアが開くとすぐにパタパタとスリッパが軽やかに立てる音がドアの向こうから近づいてくる、俺が来てるとおばさんたちに聞いた鈴が玄関から直接二階に駆け上がって来たんだ。
鈴がにこやかに扉を開け放す寸前に俺は、何とかポケットにイヤリングを捻り込んだ。
「研くん、試合どうだった?」
大きく扉を開いて飛び込んできた鈴は満面の笑みを浮かべて、今日の試合の結果を無邪気に聞いてくる。
階段を駆け上がってきた所為で、鈴は少し息を乱し、俺の座っているベッドの横に、ぱふっと勢いのついたまま腰を下ろした。
僅かにベッドのスプリングが軋み俺の身体が鈴の方に傾いて肩と肩が肩先だけ触れ合った。
その肩に少し身体を持たせ掛けるように鈴は俺に寄り添って、サブレを一つお皿からつまみ上げる。
「きっとね、研くん帰りに寄ってくれると思ってたんだ。
ふふ。春さんたらサブレ焼いてくれたんだ。研くん来るかもしれないって言って置いてよかった。
う〜ん、やっぱり、春さんのサブレは最高だよね、研くん」
春さんは、鈴が食べたがらないと言っていたけど、鈴はサクリと白い歯でサブレを噛むと美味しそうにお菓子を食べながら俺に話し続けている。
いつも通りの鈴の様子に、俺もいつも通りに振る舞おうと思い、何かを言おうとするのだが、そのたびに、ポケットの中で握り込んでいるヒンヤリとした小さなものが俺から笑顔と言葉を吸い取ってしまう。
「やだな、黙ってないで、なんか話してよ、ねぇ」
だまったままの俺の膝を鈴が子供がするような仕草で揺する。
「鈴・・・・あのな・・・」
俺の膝の上にある鈴の綺麗な指をじっと見つめて、また俺は黙り込んでしまう。鈴の部屋に女が来た。
やはりそのことがあまりにもショックで、俺は鈴の顔が直視できずに視線を下の方に泳がせたままだ。
固まったままの足下の青いペルシャ絨毯の複雑な模様はまるで俺の迷い込んだ迷路みたいに入り組んでいる。
普段と変わりない様子で接してくる鈴をどう判断して良いのかがわからない。今だって、俺の知らない相手に送られて帰ってきたのに、俺がどう思うかなんて、鈴はきっと気に留めてもいないんだ。
いつもと同じように、ほんの少しだけ、幼なじみの境界線から内側に俺を入れてくれる。
でも、それはこの二年間少しも変わらない。
今までは、それでも良いと思っていた。
鈴に触れることが出来るのは俺だけだって信じていたから。
傍にいて、触れて、キスできるのなら、それでもう十分だって・・・・・・
いつか、いつか・・・・きっと。
俺たちが自然に結ばれる日が来るんだって、俺、信じてたから。
それなのに・・・なんなんだよ。
女友達がいるなんて聞いたことなかった・・・・・
それも家に遊びに来るほど親しい相手なんて・・・・
それになんで、ベッドの下にイヤリングなんか落ちてるんだよ・・
普通に話して、お茶飲んで、それだけでそんなもの外れないことぐらい俺にだってわかるさ。
反則だ、鈴・・・・・・・
ほかの男になんか絶対に渡すつもりなんかねぇけど・・・・
反則だ、鈴・・・・
俺、どうしたらいいのか、わかんねぇ。
まともな恋愛をしたいってお前が思ってるなら、俺になにが言える?
「ねぇ、どうだったの?勝てなかっ・・・・た?」
無言のまま項垂れてる俺の姿を試合に負けた所為だと勘違いした鈴は膝に手を置いたまま、心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
サラサラと頬に流れ落ちる髪。
真っ黒な黒曜石の瞳。
紅い丸味を帯びた唇。
間近に寄った、紅い唇からは甘いサブレの薫りがした。
二年前、十年にも渡る片思いをようやく払拭して、俺の手中にこの宝物を手に入れたと有頂天なったのは幻だったんだんだな。
綺麗な綺麗な俺の鈴・・・・・
結局、俺の望める相手じゃなかったってことか・・・
そう思うとなんだか無性に腹が立ってきた。
「鈴・・・・おまえさ、今日、どこ行ってたんだ?」
グラスを持つ手か震えだしかけるのをぐっと力を込めて押さえながら尋ねた。
隠さなきゃいけないような相手でなければ言えるはずだ。
どこへ行きなにをしてきたのか・・・・
そうだろ、鈴・・・・・・
「だから、今日はちょっと用事があったんだよ」
また『ちょっと』なんだな・・・・・そんな返事が聞きたい訳じゃないんだ。
「やだな、研くん。僕が応援に行かなかったから拗ねてるんでしょ」からかうように鈴が笑った。
今日一日、ずっと疑心暗鬼になっていた俺にはまるで『いつまでたっても子供だね』と、小馬鹿にされてるような気がした。
「そんなんじゃねぇよ!」
パンとトレイの上にグラスを置いて、俺は鈴にキッと顔を向け、腕の中に鈴を乱暴に抱き込んだ。いつもなら労るように抱きしめる華奢な身体を折れんばかりにギュウッと抱いた。
誰にも渡したくなんかねぇよ・・・・・鈴・・・
「ど、どうしたの?きつくしたら苦しい・・・・・んっ・・」
抗議の言葉を唇で塞ぐ。
甘く柔らかな鈴の唇を貪るようにきつく吸い上げた。
二年間、何度も何度もキスをした。
俺のものだと思っていたから。これからもずっと鈴にキスするのは俺だけだと思っていたから。
覆い被さるように鈴の身体をベッドに押したし、俺は狂ったように鈴の唇を貪った。
初めは俺の勢いに驚いて身を藻掻いていた鈴が、しばらくすると身体の力を抜いて、俺の背中に縋るように腕を廻してきた。
甘い吐息が鈴の塞がれた紅い唇から漏れ。
どちらかが身動きするたびに、無言の部屋に艶やかな衣擦れが拡がる。
俺の下で鈴が柔らかく溶けていくような気がした。
このまま、溶け合うことが出来ればいいのに、俺の中に鈴が溶けて入ってしまえば、ほかの誰にも取られることなんか無いのに・・・・・
このまま、俺のものになれ、鈴・・・・・
鈴のシャツを捲り上げて、素肌に俺が指を這わすと、それまで俺のキスに情熱的に応えてくれていたはずの鈴が途端に暴れ出した。
「やっ!やだ」
「好きだよ、鈴」
そのまま、俺は鈴の身体を押さえ込むような形ですべらかな肌を優しく撫で上げた。
指先が初めて触れる柔肌に小刻みに震えている。