Crystals of snow story
純白の花衣
もう一度だけ、ささやいて第二部
( 8 )
「あら?研二くん、さっき鈴が帰ってきたばかりなのに、もう帰ってしまうの?」
螺旋階段を足早に駆け下りたところで俺は後ろからおばさんに呼び止められた。
まだ、動揺も動悸も収まっていない俺は、おばさんの顔をまともに見ることが出来ずに、後ろを向いたまま項垂れていた。すると、くるりと俺の前に回り込んで、おばさんは、あらら・・困ったわね・・・とさほど困った風でもなく笑いながら呟いた。
「鈴と喧嘩したの?」
「いえ・・・・」
「嘘ばっかり。研二くんの顔に大きく書いてあるわよ、鈴のバカって。鈴が研くんを怒らせるようなこと何か言ったのね?
研二くんが来てるわよって言ったら、喜んで二階に上がったっていうのに、ほんとに仕方ない子ねぇ・・・・・・
ごめんなさいね、鈴ったら、この頃ちょっとおかしいのよ」
え・・・?鈴がおかしい?
驚いて顔を上げた俺の目の前で、おばさんはほんの少し首を傾げたまま微笑んでいて、その仕草は、鈴の小さな時からの癖そのままで、顔立ちが似ているだけじゃなくて、親子ってそんなところまで似るんだな、なんて、俺は変なことに感心したりしていた。
「鈴がおかしいって?それ・・どういう意味・・ですか?」
「何て言うのかしら・・・・」
薄紅色に綺麗にネイリングされた、桜貝のような指先を頬に当てたおばさんは、傾げた首を更に曲げて、
「感情の浮き沈みが激しいって言うのかしら、やたらと大人びてきたと思ったら、急に甘えてきたり・・・・・
どうしたのって訊いても私には話せないらしくて・・・・きっとね、恋をしてるんだと思うんだけど、研二くん、鈴のお相手に心当たりない?」
「恋・・・・・・ですか?」俺の心臓が、ズキリと鈍い痛みを感じた。
鈴が誰かに恋してる?
これから誰かを好きになるんじゃなくて、もうどこかに好きな人がいるってことかよ・・・・・
やっぱり、このイヤリングはその娘のなのか?
「ええ、たぶん、あの子にとっては初恋だとおもうの」
「それ・・・いつ頃からですか?」
「そうね・・・・春休み頃からかしら?」
やっぱりそうか・・・俺が何となく、鈴を遠くに感じ始めたのも、そのころからだ・・・
「それってつまり・・・鈴に彼女が出来たってことですか?」
無意識にポケットを探っていた俺は、さっき見つけたイヤリングをぐっと手の平の中に握り込んでいた。
「研二くんには心当たりがないの?」
「俺・・・・心当たりなんて・・・櫻綾には女子いないし・・・・・」
「女子ね・・・・・」
おばさんは急にクスクスと笑った。
「可哀想ね、鈴ったら・・・・今度も片思いなのね・・・」
「こ、こんどもって・・・・・なんですか、それ?」
「鈴ね、研二くんも知ってると思うけど、ずっと眞一くんのことが好きだったのよ。それは、もちろん、幼すぎて恋なんて呼べるものじゃなかったけれど、ずっと一途に眞一くんに憧れてる鈴はすごく可愛かったわ」
「そのことなら知ってます。俺、ずっと鈴と一緒だったし、鈴が兄貴のこと、ずっと思ってたの、見てたから・・・・・」
「そうね。ずっと鈴のこと、研二くんが一番そばで見ててくれたのよね。有る意味私よりずっと、鈴の鈴のことを理解して支えになってくれていたんだと思うわ。それでも、今の鈴の気持ちは分からないのね?」
「俺にだって、鈴の心の中まで見える訳じゃないですから・・・最近は俺に話してくれないことも多いし・・・」
「そうね・・・・・可哀想だけど、鈴が自分で何とかしなきゃいけないことよね」
引き留めてごめんなさいねと肩を竦めて見せたおばさんは俺に綺麗な笑顔をむけた。
「ねぇ、研二くん」
頭を下げて、重い鈴んちのドアノブに手を掛けた俺の背中におばさんはもう一度声を掛けた。
「そばに居すぎて見えないことも案外多いものなのよ。研二くんの為にも鈴の為にも一番大事なのは何なのかよく、考えて上げてね」
俺と鈴の為に一番大事なこと・・・・・鈴のために・・・だけじゃなく、俺のためにも?
家に戻る途中、俺はずっと、鈴の家での出来事を考えていた。
鈴の言いたいことはわかったし、おばさんの話で春休み、俺の知らない間に鈴に意中の女の子が出来たんだろうってことはすでにポケットのイヤリングが証明してる。
ただ、俺には結局、おばさんの言いたいことがなんだったのか、いくら家にたどり着くまで考えても分からなかった。
そんな俺をガラガラっと勢い良く開いた玄関先でにやにやとしながら待っている嫌な野郎がいた。
「お帰り、研二。今日の試合負けちまったんだって?さっき、辻って子から電話が掛かってきてたよ」
「負けたら悪いのかよ!兄貴こそ今日は例のおこちゃまとデートだったんじゃなかったのかよ」
兄貴の相手は今年中学に上がったばかりで、俺はまだ見たことがないんだけど、鈴の話じゃ、宗教画に出てくる天使のように綺麗な外国人の子なんだそうだ。
さんざんっぱら、女遊びをしたあげくに、いくら綺麗だからって何もそんな子供に本気にならなくても良さそうなもんなのにどうやらその子が兄貴の本命らしい。
そのうえ、今日はその子の父兄参観日に父親の代理としてわざわざ出向いていったって言うんだから、兄貴もかわったもんだよな・・・・・・・
「セルならさっき家まで送り届けて来たよ。おいおい、ちょっと、まてよ。お前に訊きたいことがあるんだ」
兄貴は孝太郎に電話をするためにスタスタと廊下を歩きだした俺の肩を掴んで引き留めた。
「なんだよ、訊きたいことって?」
「鈴ちゃん、いつからモデルなんてやってるんだ?」
「へ?なんだって??」
「だから、モデルだよ。でもその様子じゃ、やっぱり知らなかったのか」
「知ってるもしらないも、いったいなんの話だよ?」
いきなりな話の展開に、眉を思いっきり寄せている俺の前で、兄貴はポケットから四つ折りにした、広告のような紙を取りだして、御触書でも提示するみたいに俺の眼前にパッと広げた。
「うそ・・・だろ??」
目の前に、微笑んでいる鈴が居た。俺が幼い頃から夢に見ていた花嫁衣装を身に纏った砂糖菓子のような鈴が。
幸せに頬を染め、真っ白なドレスに身を包み、俺の長年の夢がその広告の中に凝縮されてたんだ。