★もう一度だけ、ささやいて★
( 3 )
「もう食わねーのかよ?相変わらず食欲のねーやつだなぁ」
壁際、カウンターの一番奥が来来軒での鈴の指定席なんだ。
そこだと鈴に隣り合わせた席は一つきゃない。
むろんそこは俺の席で、鈴は当然のこと、周りのみんなも自ずと黙認している。まかり間違って、鈴の指定席に先客が居た場合、ほかの奴らはあさましいほど競って、鈴の横の席を奪い合うこととなる。
ただし端から1年坊主にはその権利がないのも運動部の厳しい上下関係故である。
「僕は研くんたちみたいに運動してるわけじゃないもの。毎日そんなに食べてたら太っちゃうよ。
それとも僕がう〜んとふとちゃって御婿に行けなくなったら、研くん責任とってくれる?」本人は全く気づいていないのだが、周りがウットリ見とれてしまうほど可愛らしく微笑んで肩を竦めて見せた。
「かしな」
不覚にも赤くなった顔を隠すために、丼鉢に乗せてあった割り箸ごと引き寄せると、7割方のこったままの鈴のラーメンを食べ始めた。
「あ、それ僕のお箸だよ研くん!」
鈴が小さく叫ぶと、一緒に店に来ていた連中から激しいブーイングを浴びてしまった。
「狡いぞ!東森!」
「あー!だめっスよ!先輩!」
「ずるいんだぁ」
鈴と反対がわ。俺の真横に座っている現主将の伊本が、鈴の箸でラーメンを啜りだした俺の手首を素早い動きで掴んだ。
「離せよ!食えねーじゃねえか!」
鈴をこよなく崇拝している伊本はきつい目つきで俺をにらんだ。
切れ長でキリッとした顔立ちのこいつは、サッカー部主将と言うよりも剣道とか弓道なんかが似合いそうな純和風の美形だ。
「箸を変えろ。東森」
「わかったよ。うっせえな!」
渋々箸を鈴に返して、横にある空の丼鉢から自分の割り箸をとって再び食べ始めたら、
「延びちゃったんじゃない?」
憮然とラーメンをかっこむ俺の横から鈴が覗いた。
「お前がいちいち割り箸一つで騒ぐから延びちまうんだよ」
「ごめんね。研くん・・・」
俺の一言で鈴がシュンとするとたちまち外野が煩い。
「悪いのは東森の方だろうが。鈴ちゃん気にすること無いからな」
3年の松浦が後ろのテーブル席から振り返って、鈴を慰める。
こいつは伊本と対照的にバタ臭いハンサムだ。
俺の入部した年は主将の葉月さんが美形好みだったので、鈴は別格としてもかなりの粒ぞろいなんだ。
新入生の中でこれぞと思う美形を部員総出で片っ端から勧誘して回っていたんだから。
もちろん運動部に向いてそうな奴に限ってだけど。
現主将の伊本潤(まさる)に今の松浦仁(じん)、カウンターの向こうでチャーハンを食べている、クールービューティーと呼ばれている浅野史郎。
今日は一緒じゃないがジャニーズ系の辻孝太郎。
それに副主将をやらされているこの俺。
この五人にマネージャーの鈴を入れて3年生は6人だ。
かっての嵐のようなサッカーブームが去ってしまった昨今。俺達が入った年は3学年合わせても一五人ほどにしかならなくて、試合形式の練習なんか出来なかったけど、鈴が居るおかげで、去年も今年も入部希望者が多くて選別試験までして振るい落としても、今は総勢三〇人もいる。
これだけ居れば受験準備(エスカレーター校といえど進学テストにパスしなきゃなんねえし、若干名だが外部の高校に進む奴も居るんだ)の為に今学期で俺達が抜けても練習には困らないだろうが、元々鈴目当てで入ってきてる奴が多いんだから鈴が抜けたら、果たしてどうなることだか。
「鈴先輩。お冷や入れましょうか?」
「あ、うん。ありがとう。西島くん」
鈴に甲斐甲斐しく水を入れてやっているのは二年の西島光輝(こうき)。コウキはひかり輝くと書く。
名は体を表すと言う言葉がピッタリ当てはまり、明るくてさわやか。その上かなりの男前と来ている。
ちょっとばかし嫌な野郎だ。ほかの奴らは御神酒徳利として認知されている俺と鈴から一歩離れた次元に居るのに、コイツは時々いつの間にか、すっと俺達に割って入って来やがる。
第一コイツは入部したてのある日、部室でふたりっきりになった俺に、
「東森先輩って鈴先輩の恋人なんですか?」
とズバリと訊いてきやがった。
「はぁ?違うよ。俺達はただの幼なじみだ」
椅子に腰掛けてスパイクのひもを結びながら、なにげに答えた俺に、
「じゃあ。俺がモーション掛けても構わないわけですよね?」
挑戦的な口調で念を押してきた。
ドキッとして、止まりかけた指先を再び動かしながら、ロッカーの前に立つ光輝を見上げると、冗談なんかじゃないですよと言った顔つきで返事をじっと待っている。
「俺には関係ないね、鈴にモーション掛けんのは、光輝の自由だろ?いちいち俺がとやかく言う事じゃねーよ」
「今の言葉。憶えて置いて下さいよ」
ロッカーの扉をバタンと閉めて、光輝の奴は不敵に笑いやがったんだ。
気にいらねぇ。くそ、思い出すたびに腹が立つ。
まあ、偉そうに言ってたわりには一年たっても、あんまり鈴には気持ちが伝わってないようだがな。
人のことは言えた義理じゃねぇけど・・・・・・・はぁ・・・・
俺達がいつもの駅に降り立つと、もう辺りはかなり暗くなってきていた。
俺はいつもぐるっと迂回する形で鈴を送り届けてから家に帰るから、遅いときは家につくのが9時過ぎになることもある。
鈴は俺に気兼ねして一人で帰れると主張するが、明るいときならいざ知らず、人通りの少ない高級住宅街に鈴一人で帰らすなんて、まさに襲って下さいと言わんばかりだ。
当の本人は自分がどれほど危うげでちょっとその気(け)の有る奴から見たら、むしゃぶりつきたい程美味しそうに見えるかなんて全然気づいてないんだから、危なっかしくてしょうがねえ。
こいつ自身★眞一さん命★なんだからけっしてノーマルじゃないはずなんだが・・・・・・・・?
なんでこうも無防備なんだか・・・・・
「そうだ、あのね、研くん来週誕生日でしょ?何か欲しいものない?」
暗がりの中にぽつぽつと街灯が灯り、黄色っぽい光が色んなものの陰影を作り出しているアスファルトの道を肩を並べて歩きながら鈴が俺に訊いてきた。
そう言えば、来週俺の誕生日かぁ。すっかり忘れてた。
俺が欲しいのはお前だけ・・・・・・・・・
瞬時に脳裏に浮かんだその言葉を俺は慌てて飲み込んで、「別に。欲しい物なんかねぇよ。わざわざ金出して買う必要なんかないからな」
親から貰った金で買ったプレゼントなんかいらねえよ。
「いっつも、そんなこと言うんだから・・・
じゃあ、お金で買えない物がいいんだね?
ねぇ何が欲しいの?」無邪気に澄んだ瞳を輝かせて、俺の顔を覗き込む鈴が憎い。
お前って、まるでサッカーのボールみたいだな。みんなが競い合って追いかけても決してお前を手の中に掴むことは出来やしない。
お前を胸の中に抱き留められるのは、お前を追いかけることのないキーパーだけだ。
お前のキーパーはやっぱり兄貴なのか?鈴。
「やっぱ。なんもいらねぇよ」
想いを払うようにすぐ横にある鈴の頭をクシャッと撫でた。
豪邸の鉄格子で出来た門までたどり着くと鈴はいつものように、 「お休み。研くん」 と言った後に、再び目を閉じて俺の言葉を待つ。
俺は愛おしくて堪らない鈴の紅い唇を見詰めたまま、「お休み。鈴矢」と優しく言ってやる。
兄貴そっくりの優しげな口調で。鈴は俺の胸が切なくなるほど幸せそうに微笑んで、ゆっくりと両目を開き、アリガトウと声に出さずに呟くと、どれほど深く俺が傷ついているかも知らずに、夜目にも鮮やかに色とりどりの花が咲く門の中へといつもと同じように消えていった。
おやすみ・・・俺の鈴・・・・・・・
アイシテイル・・・・・・・