★もう一度だけ、ささやいて★
( 4 )
「おかわり!」
ラーメンを1・7杯食べてはいたが、育ち盛りの俺の箸は俄然進む。
何せこの一年で俺の身長は12pも伸びたんだから。
今日のおかずは塩鯖の焼き物とほうれん草と豚肉の炒め物。卵豆腐にワカメのみそ汁にキュウリの漬け物。
俺のお袋は年の割に婆臭い料理が得意なんだ。時々家に泊まりに来る鈴は『ホテルの和定食みたい』と珍しそうに喜んで食べている。
もちろん鈴んちで飯を食った事も何度かあるけど、どうも肩が凝って俺の症にはあわない。
家で飯食うのに、なんでいちいちフランス料理のレストランみたいに料理の皿ごとに、いくつもフォークとナイフを変えるのか、未だに庶民の俺には謎だ。
がっ!がっ!と豪快に飯をかっこむ俺の横に、二階から軽やかに降りてきた兄貴が(これが俺の元凶の眞一さんだ)洒落た服を着込んで出かける支度をしている。
「また、デートかよ?」
俺より5っつ年上のこの兄貴は確かに性格も優しいし、甘いマスクでカッコイイと言えばカッコイイんだろうけど。
こいつは凄腕のタラシなんだ。
据え膳食わぬは武士の恥ってのを信条としてるらしく、自分のタイプでさえあれば来るものを全く拒まない。
そのあげく女の子達が鉢合わせしたりして、修羅場になることも多々あるみたいだがコイツは旨く立ち回っているらしい。
時折泣きながら電話を掛けてくる子なんかもいて、俺なんかは可哀想に思うこともあるけど本人は至って冷静に対処している。
誰にでも優しいってのは結局誰にでも冷たいって事なんだろうな。
まあ、今のところ相手はお姉ちゃんに限定されているようなので心配ないが、節操のないコイツの事だ、いつ宗旨替えをして軽い気持ちで鈴に手を出すか解ったもんじゃない。
コイツが口説けば鈴は・・・ああ、考えるだけでもおぞましい!
全部の女と手を切って、鈴だけを生涯大事にするってんなら俺は・・・はらわたが煮え返るような嫉妬を隠し通して鈴の幸せを祝ってやりもするが、ほんの出来心で兄貴が鈴に手を出して、そのあげくにさめざめと泣く鈴なんか俺は見たくなんかない。
くそ・・・・・なんだかメシがまずくなっちまった・・・・・・・
「お前も、鈴矢君ばかり見てないで、たまには女の子とデートでもしたらどうだ?」
手にした櫛でキザッたらしく前髪を後ろに流しながら、兄貴は俺の気も知らずにお節介を焼く。
「俺は兄貴と違って、女の子なんかに興味ねーもん」
ズズッとワカメも一緒にみそ汁を啜りながら答えた。
お袋に聞こえないように中腰になった兄貴は、飯を食ってる俺の頭を抱え込むと、
「お前の年で女の子に興味ないこと自体異常なんだぞ。
まあ、毎日鈴矢君の顔見てたら、そんじゃそこらの女の子はみんな霞んで見えるんだろうけどな。
心当たりの美人、紹介してやろうか?年下好きの女子大生なら鈴矢くんと違って、幾らでもやらせてくれるぞ」兄貴のあからさまなからかいにカッと頭に血が上る。
「いつ俺が、鈴とやりたいなんていったよ!」
低い声で応戦すると、
「またまた〜、照れるなって」
開いたほうの手で俺の頭をぽこんと叩きやがった。
コイツは俺が鈴にずぅ〜と長い間惚れてるのにキス一つ出来ないでいるのを何故か知っていて心底バカにしてるんだ。
純愛なんて古くさい言葉はコイツの辞書にはのってねえらしい。
「ふん!兄貴に心配して貰わなくても、やりたきゃ相手ぐらいいくらでもいる」
兄貴程じゃないにしても、俺と付き合いたい、もしくは遊びたいって言ってくれる女の子は少なからず居るんだから。
「ふふん。やれる相手はいても、やりたい相手はやらしてくれないんだから、かわいそうだなぁ研二くん」
抱え込んだままの俺の頭を今度はよしよしと撫でた。
「うっせえ<」
真っ赤になって怒鳴り返した俺の頭を、兄貴は笑いながら再びくしゃくしゃと掻き混ぜて俺から離れた。
頭から湯気を立てている俺をほったらかしにして、兄貴は電話の横の壁に掛けてある木製のキーケースからスカイラインの鍵を取り出し、人差し指に引っかけてくるくる回しながら夜の街へと繰り出して行ってしまった。
一体、何で鈴の奴はあんなのがいいんだ?
確か初めて鈴が『眞一さんってカッコイイ』といったのは、かれこれ十年程前の幼稚舎年中、スミレ組の時だった。
俺ん家に遊びに来ていた鈴に小学生の悪ガキがちょっかいを出したのがきっかけだったんだ。
そいつらは、『女見てーな面』とか『お前チンチンついてんのかよ』とか言いながら、半べそをかいている鈴を取り囲んでこづき廻しだしたんだ。
俺は必死になって鈴を守ろうとしたけど、四、五歳児と小学校の二、三年では話しにならないほど身体も力も違う。
そのうえ俺達二人に対して向こうは四人も居たんだ。
ちょうどその時、運良く(今思えば運悪くなんだが)下校してきた兄貴がそいつらを瞬時に追っ払ってくれた。
当時四年生だった兄貴は既にフェミニストの片鱗が出始めていて、涙で汚れた鈴の頬を優しくハンカチで拭ってやりながら、
『あの子達も本当は鈴矢君の事が可愛くてしょうがないんだ。
だからあんな風にちょっかい出したりするんだよ。
さあ、もう泣かないで。
ほら、せっかくの綺麗な顔が台無しになっちゃうよ。ね?』大切な鈴を守りきれずに、4歳にして初めて人生の苦い敗北の味を知った俺の横で、腹が立つほどカッコイイ兄貴は、甘いマスクをさらに甘くして、ニッコリと鈴に微笑み掛けやがったんだ。
俺が思うに、あれは鈴にとって、刷り込みという現象だったんじゃないかと思っている。
鳥が卵からかえった時初めて見た動く物を親だと思うように。
幼かった鈴にとって、まるで暴漢に襲われている姫君が通り掛かった白馬の騎士に助けられ恋に落ちる。
というストーリーそのままに、いつか僕はあの人の恋人になると思いこんでしまったに違いないんだ。それが証拠に鈴は決して自分から兄貴に自分の気持ちを告白しようとはしない。
いつかきっと兄貴が自分をさらいに来ると信じているんだ。
それまでかたくなに純潔を守り通し、ひたすら美しく成長した自分に兄貴が気づいてくれる日を待ち望んでいるように俺には思える。
だってそうだろう?
もし鈴から誘い水をかけられたら、幾らお姉ちゃん専門の兄貴でもクラッと来るのは目に見えてるのに、鈴のやつは一言も兄貴に自分の気持ちを口に出したりしないんだから。
兄貴に告白されることをひたすら待ち続ける鈴は頑なで、有る意味他人に対しとても残酷だ。
僕は眞一さんのものだからといちいち口に出すわけではないが、俺の目の前で毎日送られてくるラブレターは総て目も通さずに破り捨てるし、誰にでも天使のような微笑みを振りまいているくせに、友達としてのラインをほんの少しでも踏み出そうとしたものには、俺でさえ躊躇するほど情け容赦のない冷淡な態度を平気でとる。
俺達が中等部に進学した頃は、鈴の触れなば堕ちん風情にそれこそ躍起になって口説こうとする上級生達が山ほど居た。
ところが今では、鈴を愛でこそすれ本気になって口説こうとするものはほとんどいない。
拒絶されて冷たい視線を浴びるより、あの何とも言えない優しい眼差しに見詰められる方を皆暗黙の内に選んだのだ。
俺の次ぎに親しいサッカー部の同じ三年にしたって鈴を口説こうなんて誰も思っちゃいない。
元々女好きの松浦やどちらかといえば可愛がられるタイプの孝太郎は論外だとしても、鈴を崇拝してやまない伊本なんかもただ鈴の側にいられるだけで満足らしい。
その気が有るのか無いのか皆目見当も付かない浅野は(男女問わずまた先輩後輩問わずもてているのだ)その非の打ち所がない程完璧に整った顔をスッと俺に近づけて、ぼそっと耳打ちしたことがあった。
『東森。絵に描いてある餅を幾ら眺めていても、腹は膨らまないぜ』
俺には一番何を考えているかわからん相手なのに、浅野のやつはどうやら俺が鈴に本気だって事を薄々知ってるらしいんだ。