★もう一度だけ、ささやいて★

                    

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「おらおら!そこの一年しっかり走れ!」

「こら!ディフェンス!がら空きだぞ!」

「いただき!」  

すかさず、がら空きのディフェンスを抜けて光輝がスマートにクリーン・シュートを決める。

少年サッカーチームのセンターFWを長年勤めていただけに、単に鈴目当てで入ってきたほかの二年とはかなり実力の差がある。

「やっぱり、光輝がお前の抜けた後のセンターだな」   

伊本が前を向いたまま俺に訊く。

訊かれている間にも、光輝は相手チームの攻撃を逆手にとって、見事なカウンター・アタックに出ていた。

「あいつしかいねえだろ」  

自分のポジションをあいつに取られるのはいい気持ちじゃないが、奴の実力を認めないわけにはいかない。  

俺達、三年全員が悠長にベンチに座っているのは、引退を控えて目の前で繰り広げられている1、2年合同の練習試合を見ながら新しいチーム編成を話し合っているからなんだ。

「GPは?主としてはやっぱり小笠原になるのかな?」  

孝太郎が年齢より幼くみえる可愛らしい顔を松浦の横から覗かせて伊本に聞いている。

「そうだな・・・どう思う?浅野?」  

ベンチの一番左端に腰掛けて黙ったまま、むっつりと試合を見続けていた浅野は、

「俺は一年の青木にするべきだと思うね。
小笠原はだめだ。あいつは図体が大きいだけで動きが鈍い」

尋ねた伊本にちらりと一瞥をくれたもののなんの感情も混ぜないような淡々とした口調で答えた。

「史郎。それじゃ小笠原スタメン落ちしちゃうよ。せっかく今度はレギュラー入りできるって、張り切ってるのに」  

人のいい孝太郎が心配顔で口を挟む。

「しかたないさ。実力が無いんだから。
青木より学年が上だってだけで小笠原にするって言うのなら、何も最初っから1年を混ぜて選ぶ必要なんか無いだろう?」  

「・・・・・で、でも!お、小笠原だって!一生懸命やってるじゃないか!!」

「勝負の世界は実力がすべてだ。どれだけ努力したかじゃない。
強い奴が生き残る。それだけだ」

相変わらず、なんの感情も交えない浅野が好対照なほど子供っぽくてすぐムキになる孝太郎に冷たく言い返した。

「・・・・・・・・くっ・・・」

言いくるめられて、悔しそうに唇を噛みしめた孝太郎は、まだ何か言うことが残ってるのかとでも言いたげにジロリと浅野に見つめ返されると、傍目にも明らかなほど真っ赤になって俯いてしまった。

俺は一時この二人が付き合ってるのかと思っていた時期が有ったんだが、どうやら熱を上げているのは孝太郎の方だけらしい。

所詮、恋愛なんて惚れた奴の負けなんだ。
どんなに理不尽な事を言われても、じっと見つめられたらぐうの根もでやしねぇ・・・・・・・・・・

他人事ながら、俺は言葉に詰まっている孝太郎のことが我が事のように不憫に思えた。

クールビューティの異名を持つ浅野は迷惑になりさえしなければ別に誰が自分に思いを寄せようが、取り立てて嫌がるわけではないようだ。

だからといって、浮いた噂をあんまし聴かねぇから家の兄貴のようにホイホイ受け入れる訳でも無いらしいけど。  

浅野は鈴の事を絵に描いた餅というけど周りから見れば浅野もさして変わりは無いと俺はおもうんだがな・・・・・・・・それとも時々コイツは食えることも有るんだろうか?

ふむ。コイツのことはやっぱりよくわからん。  

まあ、鈴は普段が優しいだけに告白して冷たくあしらわれた奴は凄いショックを受けるんだけど、浅野は元々冷たいのが魅力なんだから冷たくあしらわれても周りは結構平気なんだろう。  

冷たく言われた孝太郎も真っ赤にはなったものの、さして傷ついた風で無く、

「相変わらず機械みたいだね。史郎のいうことってさ」

隣に座っている、松浦にぼそりと耳打ちした。

「俺も時々思うよ。史郎は誰かが作り出したロボットなんじゃないかってね。顔だってまるで3Dのコンピューターグラフィクスで作ったみたいだもんな」

孝太郎の横から身を乗り出した松浦が長い腕を伸ばすと浅野の顎をクイッと持ち上げてマジマジと見詰めた。

「よせよ。お前の濃い顔より俺はちょっとばかしこざっぱりしているだけだ」  

その手を邪険に払いのけて、浅野は再びグランドに視線を戻した。  

グランドでは光輝が今話題になっていた青木の機敏な動きをもろともせずに3本目のシュートを見事に決めた所だった。  

シュートを決める度に光輝の奴はメンバー選びなんか関係ないってかんじで、余裕綽々な態度で、俺達から少し離れた木陰で観戦している鈴にピースサインを送っている。

むかつくことに鈴もそんな光輝に笑顔を振りまき拍手を惜しまない。  

くそっ!なんで、そんな奴にそんな顔見せるんだよ・・・・・・・・

鈴が光輝に見せる屈託のない笑顔を見ていると、俺がただこうやって何年間も鈴をただじっと見詰めている間に、兄貴じゃないほかの誰か、たとえば光輝なんかが鈴を横合いからサッと奪って行くんじゃないかという焦燥感が不意に俺を襲う。  

でも、俺は何度も観て居るんだ。友達のラインを超えようとした奴に対する、鈴の氷のような態度を。  

もし、もし、俺が親友のラインを踏み出したら、鈴はやっぱり俺にもあの冷たい目を向けるんだろうか・・・・  

そんなことになったら俺には到底耐えられそうにない。

臆病もんと笑うなら笑え・・・・・俺は・・・・・・俺の傍から鈴がいなくなるなんて耐えられないんだ。   

 

 

「研くん。今夜泊まりに行っていい?」  

駅からの帰り道、目の前の角を曲がれば鈴の家だという場所で、なにやら思い悩んでいた鈴が躊躇いがちに俺に訊いた。

唐突な言葉に、一瞬俺の胸がドキリと跳ねた。

「え?え、偉く急だな?
まあ明日は休みだし、俺は別にいいけど」

鈴が泊まりに来るなんて、幼稚園のころからの年中行事じゃないか。落ち着け・・・・

「ほんと?あのぅ・・話し・・大事な話が有るんだ」   

入学当時はほとんど同じだったが、ここの所急速に伸び続けている俺より10pほど背の低い鈴は長い睫毛の間から、斜め上に俺を見上げながら口ごもるように言った。

「俺に相談か?なんだよ、困ってることでもあんのかよ?話しってなに?」

「ううん。後でいいよ。僕パジャマとか持ってくるから、ちょっと待ってて」  

鈴はくるりと踵を返して門の中へと入っていった。    

 

「あら?久しぶりね鈴矢君」  

鈴はお袋のお気に入りである。  

女の子のいない俺んちは男ばっかでむさくるっしいとお袋はいつも嘆いていて、鈴が来ると華やかでいいと喜ぶんだ。

「今晩は。済みません、おばさん。急に来ちゃって」  

玄関の上がり框に立ったまま丁重に挨拶した鈴に、お袋はよそゆきの声で返事を返している。

「いいのよ。いつでも家は大歓迎だから。ご飯は?食べたの?」

「ええ、僕は結構です。さっきみんなとハンバーガー食べましたから」

脱いだ靴を俺の分までキッチリと並べた鈴は振り向きざまににっこりと微笑んだ。

柔らかな髪がふんわりと揺れて、その様に見とれている俺をほったらかしにしたまま、

「じゃあ、お茶でも入れましょうね」  

お袋はいそいそと藍染めの暖簾を掻き分けて、台所に消えた。

「俺は晩飯食うからね!」  

俺にはお帰りの言葉すらなく、何一つ聞いてくれないお袋の背中に叫ぶと、解ってるわよと鈴に話すのとは180度違うキツイ口調で怒鳴り返された。

なんなんだよ・・・・この待遇の違いはよぉ〜 

 

「凄いね研くん。さっきチーズバーガーと照り焼きバーガー食べたとこなのにまだそんなに食べるの?」  

鈴は俺の前に並べられた、カレイの煮付け、小松菜のお浸し、高野豆腐の卵綴じ、千切りキャベツの添えられた豚肉のしょうが焼きと大根のみそ汁、極めつけに山盛りの白い飯を呆れたように眺めた。

「さっきのはおやつ。これが俺の晩飯」  

箸を取った俺は早速片っ端から腹の中に片づけていく。  

鈴はさっき、俺がハンバーガー2つ食ったと言ったが実際はそのほかに孝太郎からポテトを半分せしめて食べている。

「おまえ、飯食わねえんなら、俺なんか眺めてねぇで先に風呂入っちゃえよ」  

豚肉のしょうが焼きを口にほおばりながら目の前のイスに収まっている鈴に言った。

「あ、うん。じゃあ先にお風呂よばれてくるね」  

俺が食べている姿を行儀良く椅子にチョコンと腰掛けてじっと眺めていた鈴は、俺の言葉に素直に頷いた。

追い出したようで、悪い気もしたけど、あんなにじっと見られてたら、せっかく旨い飯食ってるのに何食ったかわかねえんだもんよ。 

俺の気も知らないで、すんなり立ち上がった鈴は台所で洗い物をしているお袋に声を掛けると、着替えの入ったビニール袋を抱えて廊下の脇の浴室に消えていった。  

その後、鈴と入れ替わるように風呂に入った俺は、今さっきここに全裸の鈴がいたのかと考えるとなんだか胸の辺りがカッカして、湯船につかりながら逆上せそうになった。

「おれ・・・・なんか最近変だよな・・・・・」

好きだと自覚したのはずいぶん前のはずなのに・・・・・最近では好きだと思う気持ちを持て余している俺がいる。 

逆上せかけた身体と有らぬ妄想に耽ってしまいそうないけない心を、冷たいシャワーを全身に浴びることでなんとかシャキッとさせた。  

俺がようやく風呂場から出てくると、いったいいつのまに帰ってきたのか居間から兄貴と鈴の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

「たしかこのくらいの時だよ、家は和食が多いだろ?タラコもよく出て来るんだよ食卓にさ。  
研二の奴しょっちゅう食べてるのに、小学校の高学年になるまで、タラコがあの形のままで海に住んでるナマコの仲間だと信じてたんだよ」

「小学校の高学年まで?ほんとですか?ヤダなぁ・・・・研くんたら」  

鈴を鳴らすような快い響きで、鈴の笑い声が家の中に広がる。  

廊下から居間を覗くと二人ともパジャマ姿のままで寄り添うように座り、昔のアルバムを見ながら話し込んでいた。

「あ!これ眞一さん?うわ〜かわいいんだぁ」

「なにいってんの。鈴矢君の方が100倍可愛いよ。  
ほら、これなんか凄く可愛い」

「そ、そんなこと・・・・」   

兄貴の、ねぇちゃんを口説きなれたくさいほめ言葉に、鈴がはにかむように微笑んだ。

兄貴の横に座る鈴の桜色に上気した横顔に俺の目は釘付けになり、やるせない想いに今にも胸が張り裂けそうだ。 

残酷な鈴・・・・・・  

夜着のまま和室の座卓で肩が触れ合うほどピッタリと兄貴に寄り添う鈴の姿は、なんだか凄くエロチックで、パジャマから覗く白い素足すら艶めかしい。  

何故お前の横にいるのが俺じゃないんだ?俺の方がずっと・・・兄貴なんかよりずっと鈴を守ってきたのに。

俺はずっと鈴だけを見てきたのに・・・

鈴は決して俺をあんな風に見てはくれない・・・

俺にあんな風にピッタリと寄り添うことなどここ数年、一度も有りはしないんだから。