★もう一度だけ、ささやいて★

                    

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2、30分たった頃だろうか、引き戸を軋ませながら俺の部屋に入ってきた鈴は、暗がりの中で背中を向けたままの俺の横に跪いて小さな声で囁いた。

「研くん・・・もう、寝ちゃったの?」  

結局二人に声を掛けることも出来ず、悶々としたまま、足音を忍ばせて自分の部屋に戻った俺は、さっさと自分の布団をひいて横になっていたんだ。  

下にいる兄貴と鈴のことが気になって眠れるはずなんか無いのに、鈴は俺がすっかり寝入ってしまったと思っているようだ。  

鈴の華奢な白い指が、俺の襟足の髪をなぞるように梳きながら、

「研くんのバカ。話したい事が有るって言って置いたのに・・・・・・」   

細く息を吐き、誰に言うともなく呟いた。  

鈴の滑らかな指先が今度は髪でなく首筋に触れた途端、俺の身体がゾクリと震え、鈴の指もピタッと止まった。

「起きてるの?ねぇ?」  

鈴は俺の動揺などお構いなく、覆い被さるように俺の顔を覗き込む。

「うっせえな。折角寝かけてたのに。なんだよ」   

鈴と目を合わさないように、そば殻の枕にガサッと顔を押しつけた。

「ご、ごめん・・・なさい」

「話あんだろ?早くすましちまえよ」

「う、うん・・・」  

背を向けたまま次の言葉を待っていても鈴はなかなか話し始めない。

「しゃらくせえ。どうでもいいんならお前もさっさと布団ひいて寝ちまえよ」  

頭までガバッと布団を引き上げる。  

どうせ大した話なんかありゃしないんだ。 

毎日嫌って言うほど一緒にいてるんだから話ならいつでも出来る。  

お前がわざわざ俺んちに泊まりに来る理由なんて、兄貴以外にありはしない。  

そんなこと百も承知なのに。俺はいつもお前が泊まりに来るたびに、同じ部屋で眠るお前の寝息や時折寝返りを打つしなやかな肢体が堪らなく俺を苦しめて、一睡も出来ずに悶々と夜を過ごす。  

そのくせ不甲斐ない俺は泊まってもいいかと訊くお前にNOということなんか出来ない。  

お前を俺のものにしたい。誰にも渡したくない。
でもそれ以上にお前に嫌われたくはない。   

お前の側にいたい。

お前の側にいると苦しい。

お前から離れたい・・・遠くに・・・  

年を追う事にお前への思いは強まるばかりなのに、お前を愛しいと思えば思うほどお前の側に居続けることは難しい。  

こんな暗がりの中に、お前と二人きりで居ると思うだけで俺はほとんどまともに物事を考えることさえ出来ない。

思考回路がショートして誤作動を起こし、なにか取り返しの付かないとんでもないことをしでかしそうな俺が恐いんだ。   

愛している・・・・・・俺、おれの鈴・・・  

鈴の華奢な身体を折れるほど抱きしめて、長年の想いを告白してしまいそうになる・・・

 

「もし眠っちゃったんならそれでもいいけど・・・僕に話させてね。
僕・・・苦しくてこのままじゃいられないんだ」  

いつの間にか俺の横にきちんと床をのべて、横たわった鈴が小さな声で話し出した。

「いつもゴメンね。僕の我が儘に付き合わせて、言いたくも無いこと無理に言わせたりして・・・
教えて研くん。
嫌だった?僕に毎日あんなこというの?ねえ・・
本当のことが知りたいんだ。
無理してるんならいいから・・もう・・身代わりなんて要らない」  

何を言ってんだ今になって?

「本当はね・・僕、随分前から気づいてた。
研くんの声が眞一さんの声とそっくりだったのは声変わりでまだ声帯が確立していないほんの一期間だけだったって事に・・・」  

なぁ・・・・・なんだって?

「確かに今もよく似てはいるけど。同じじゃ無いんだ・・・
だからもういいからね・・ゴメンね。もっと早く言わなきゃって思ってたんだけど・・・言えなかった・・
嬉しかったんだ僕、ホントに・・・・・・ぼく・・」  

目を見開いて布団から顔を出すと、扇状にはらりと黒髪を垂らした頭をきちんと枕に載せたまま、鈴は俺の方に小さな顔を向けていた。

「どういうことだ?俺をずっと、からかってたってのか?」  

怒りとも悲しみともつかぬ想いに声が震える。

「ち、違う!からかってなんか・・・」  

俺の剣幕に鈴の表情がサッと強張った。

「二年だぞ<二年間も俺に兄貴の身変わりをさせといて、今更なんなんだよ<」  

ガバッと布団をはねとばし、俺は起きあがった。

『もういいからね』だって?

『似てるけど違う』?

『身代わりなんていらない』?

当たり前じゃないか!

俺ははじめっから兄貴なんかじゃない<  

それじゃあ、俺が愛してると囁いた後の鈴のあの甘く切ない吐息も全て作り物だって事なのか?  

俺の気持ちなんかとうに知ってたのかよ鈴?

俺をからかって、その可愛らしい仮面の下で一人笑ってたってのか?

俺がどんなに毎日苦しんでたかなんて、お前にはちぃっともわかりゃしないんだ!  

バカにしやがって!!!!!!

「お前の気持ちはよ〜く解ったよ。
朝になったらさっさと帰れ・・・
俺に!俺に金輪際話しかけてくるな!」  

布団から出た俺は引きちぎるようにパジャマを脱ぎ、暗闇の中でタンスの引き出しから手当たり次第に引っぱり出した服を適当に身につけ始めた。

「研くん・・・怒らないで・・・
ねぇ僕の話を最後まで聞いて。お願い・・・・・・」  

暗闇の中ですらはっきりと見て取れるほど、ぽろぽろと光る涙の粒が布団の上に起きあがった鈴の滑らかな頬に零れ出し、哀願するように俺を見上げている。

「俺はもうその手はくわねぇ。兄貴かほかの奴に使うんだな」  

そうだよ鈴。俺はもうごめんだがお前が涙を見せて懇願すれば、たいていの奴は何でも許してくれるさ。  

引き戸に手をかけて部屋から出ていこうとした俺に、

「どこ?こんな時間にどこにいくの?研くん」

鈴の震える声が追いすがる。

「お前には関係ねぇ・・明日俺が帰って来るまでに消えてろ。
お前の顔なんかもう二度と見たくもねぇんだから」  

鈴に背中を向けたまま押し殺した声を出す。 

今鈴の顔を見てしまえば、また俺は抜け出れない底なし沼に落ち込んでいくだけだ。

「ぼ、僕のこと嫌いじゃないよね?
僕の顔二度と見たくないなんて、本気でそんなこと言ってるんじゃないよね?
ね?お願い機嫌直して研くん。
ねぇ・・・・僕を置いて行かないで」  

震える鈴の声にわざとなのか無意識なのか、俺を陥落させるための甘い魅惑の色が混じる。 

鈴の甘い声に振り返りそうになる俺と、鈴を激しく憎悪する俺が体の中で激しく鬩(せめぎ)ぎ合い、俺を苦しめる。  

俺の気持ちに応えるつもりなど微塵もないくせに、一体何時までお前は俺をいたずらに翻弄すれば気が済むんだ?

「お前なんか・・・
お前なんか大嫌いだ
<」 

叫ぶなり、後ろ手に木の引き戸をピシャリ<と閉めた。  

 

 

 

「あれぇ?東森じゃん?珍しいね。まじめっ子が夜遊びするなんて?」

入ろうとしたゲーセンの入り口で、ぴんぴんと髪をはねさせて、キラキラした化粧を施した派手な女の子が声を掛けてきた。

「うわぁ!児嶋?全然わかんねぇよ?」  

クリクリとした可愛らしい目だけが小学校時代の面影を残している。女って化粧でほんと化けれるんだな?

「こっち来なよ。東森のダチもいるからさ」

「俺のダチ?」  

児嶋に手招きされて煩いほどにぎやかなアーケードの中を奥へと進んでいくとスキーやジェットバイクの体感ゲームの前に6、7人のグループがたむろしていた。  

女の子ばかりのグループの中に見たことのある背の高いシルエットがひとつ・・・・・・・