〜恋人の定義〜前編

 

いつもの時間、いつもの場所、シーンとした空間に流れてくるのは愛しい人の少し高めのバリトン。

柔らかなベッドに腰を下ろし、こんな小さな機械越しではなくて、この横に、今、彼が寄り添っていてくられたら・・・・・・  

俺は決して光一朗には言えない、甘酸っぱくてやるせない願いを胸に隠したまま、『ああ』とか『うん』とか素っ気ない返事を返している。  

俺の素っ気なさなどお見通しだとばかりに、会話の合間に時折漏れる光一朗の、耳の奥に響くような笑い声が俺を嘖み、腰の辺りからズキリと甘い疼きが這い上がる。  

毎日毎日、部屋に籠もって光一朗の電話が掛かるのを待ってるなんて・・・・・  

そんな自分が愚かしくもあり、また、愛しくもあった。  

元来は、面倒くさがり屋の俺に、律儀にも毎日こんなことをさせるのは後にも先にも光一朗しかいないだろう。

だいたい、こんなことがそうそう起こっちゃ俺が堪らない・・・・・ 

しっかし、恋人ってこんなにも立場が違うもんなんだろうか?  

そりゃ、俺は光一朗から観れば一回りも年下の餓鬼だけど、これじゃあまるでお釈迦様の掌の上でグルグル回ってる孫悟空みたいだよなぁ。

俺はいつも光一朗の一挙手一投足にドキマギし、たかだか電話にさえ、これほどまでに翻弄される始末だ。  

俺は光一朗への熱い恋心とは別の場所で男としての自尊心が(うごめ)くのを感じていた。 

そんなことを考えながら生返事を返していると、まだ仕事中なのか、携帯越しに誰かが電話の向こうから光一朗を呼ぶ声がする。

「ああ、すまないね。  

正臣、もう、行かなきゃならないんだ。じゃあ、日曜日に迎えに行くから」  

パリッとしたダークスーツ姿で携帯を肩と耳の間に挟み、机の上の書類をバッグにしまい込んでいるのだろう、ネクタイは細いピンストライプかな、タイピンはこの間みたあの渋いプラチナ?

目を瞑って光一朗の雄姿を想像すると胸がきゅんと音を立てて、同時に長い指が机の上の書類の紙を束ねるバサバサという音が聞こえてくる。

「あ、悪ぃ、俺今度の日曜日ダメなんだ」  

ずっと前から分かっていたのに言い出せずにいた言葉を意をけっしてやっとの思いで口に出した。

なんで、法事なんかあるんだか・・・・ 

みたこともない爺ちゃんの弔いより俺は光一朗に逢いたいのに・・・・   

そんな俺の疼くような想いをよそに、光一朗はいともさっぱりと返事を返してきた。

「そう?じゃあ、来週だね。  

また、電話するよ」

『真壁さぁ〜ん』   

あまりの素っ気なさに俺があんぐりと口を開けてる間に、紛れもない女性の声が光一朗を呼び、待たせたねとその声に愛想良く返事をしたかと思うと、携帯はぷつんと途切れた。  

職場には女性だっているさ。  

つまらない焼き餅を焼くだけ無駄だと、頭では解っていても俺はなんだかくさくさして、なんとも面白くない・・・・・

「なんだい・・・・逢えない理由ぐらい聞いたっていいじゃないか・・・・  

ちぇ!光一朗のぶぁ〜か!」  

そのまま大の字になって後ろにパフンと倒れ込んだ。    

ガツン!☆★  

「いってぇ〜!!」  

目から火花が散るって本当だったんだ。   

目測を誤ってベッドの端にしこたま後ろ頭をぶっつけちまった。  

いてぇんだよ!!!クソ!光一朗のバカ!    

 

 

「どうしたんだい?」

「え?」

「さっきからそこばかり押さえて」

「ああ、さっき打ったから」  

机に座り右手で開いた問題集にシャーペンを走らせながら俺は左手で無意識のうちにこんもりと盛り上がった瘤を撫でていた。

俺と一緒に部屋にいるのは斜め向かいに住む大学生。  

俺とは5歳違いで一年間だけ一緒に小学校に通っていた。  

この間の中間の数学があまりにも出来が悪かったせいで俺の知らぬ間に彼、渡瀬さんが週に3日、9時から10時まで家庭教師に来ることになったんだ。   

渡瀬さん・・・・そう言えば渡瀬なんて言うんだろう?  

たった一年だけだったけど、小学校の時、彼は俺の憧れの人だった。   

優しくて、綺麗で〈?・・・そうか!俺は元々、そう言うタイプに弱かったんだな・・・・〉意地悪な姉ちゃんとその友だちの一軍にからかわれてる俺をいつも助けてくれたんだ。

そう言えば一度真剣に胸に付いている名札を読もうとしたことがあるな・・・・でも、一年坊主の俺には読めなかったっけ・・・なんだかやけに画数の多い字。あれはなんて字だったのかな?   

俺も姉貴も渡瀬のお兄ちゃんって呼んでたし、今でもうちの母さんは渡瀬さんちの息子さんなんて言うから下の名前はずっとわからないままだった・・・・

「見せてご覧」  

物思いに耽っている俺をよそに、渡瀬さんは俺の髪をそっと掻き分け、

「あはは、でっかい瘤になってる。これじゃあ、痛いよね。ちょっと、この問題解いておいて」   

クスクス笑いながら部屋から小走りに出ていったかと思うと自分のハンカチを水で濡らし俺の後頭部に当てた。

「そのハンカチ渡瀬さんのじゃん?こんくらい大丈夫だって・・・それに場所が場所だからすぐに落っこちまうよ」

「正臣クンは気にせずに問題解いて、僕が押さえて置いてあげるから」  

渡瀬さんは悪戯っぽくウィンクをした。

「渡瀬さんさぁ、名前なんて言うの?」   

野郎のウィンクなんて見たくないが何故か渡瀬さんにはよく似合っていて、ちょっとドキリとした俺は頭の上に置かれた手を気にしながら永年の疑問を口にした。

「え?正臣クン僕の名前、知らなかったの?」 

大きく黒曜石の瞳を見開かれて一瞬俺は戸惑ったがコクリと頷いた。

「なんだ、ちょっとショックだな・・・」

「え?」

「お気に入りの正臣クンに名前すら覚えて貰ってなかったなんてさ」

お、お気に入りって・・・?   

冗談とも本気ともとれる微笑を浮かべて渡瀬さんが俺の顔を覗き込んだ。

「え・・・・う・・む、難しい字でしたよね?」   

至近した光一朗とはまた違う、少女めいた綺麗な顔に俺は赤面して、もごもごと口ごもる。

「あはは!相変わらず可愛いね、正臣クンは。その返答に困った顔ってば・・・クク・・昔と同じ。  

そっか、小学生の低学年なら読めなかったかもね。それに僕を名前で呼ぶ友だちは少なかったからね。僕はね類って言うんだよ、人類の類だよ、なんだか音にすると日本人ぽくないじゃない?だからよっぽど親しくならないかぎり名字で呼んで貰ってるんだ」

「ルイ?ああ、そう言えばそんなんだった!なんか、一杯一文字の中にあって、俺読めなっかったんだ。

ルイかぁ・・・確かにルイなんて名前、俺ならちっとも似合わないけど、渡瀬さんならピッタリって感じするな」

「僕を煽てたってだめだよ。疑問が晴れたところで、早くこの例題も解く」  

柳眉を片方上げてニヤリと笑った渡瀬さんは、手の止まってしまっていた俺の手の甲を持っていたペンの先でチクンと刺した。

「あっ、ひでぇ〜、渡瀬さんって暴〜力家庭教師!」  

大袈裟にむくれてみせると、

「文句言ってないでさっさと解く。

ああ、それから渡瀬さんはやめてよ、なんだか肩凝っちゃうからさ」

「え?でも、名前呼ばれる嫌だったんじゃないの?」

「フフ、正臣クンならかまわないさ」

「そうなの?じゃあ、類さん。ここんとこ教えてよ」

子供の頃は5歳の差が天と地ほどにも思えていたのに、憧れの人がこんなにざっくばらんで親しみやすい人だったことが嬉しくて俺はなんだか久しぶりにワクワクしていた。いつかは光一朗との年の差もこんな風に笑ってすませるようになるのかなぁ・・・・・・

「ああ・・・ここはね」  

俺の顔の横に類さんのサラリとした髪が降りてきた。細い髪からオレンジの花の香りがフワリと漂い、俺はちょっぴりドキドキしていた。 

囁くように俺の耳元で類さんが俺の間違いをここはこうするんだよと丁寧に教えていると、ベッドの上の携帯が、邪な俺を咎めるようにメロディを奏でだした。  

一瞬俺の顔から血の気がひいた。 

お、俺・・・・・ たかだか携帯の着信音に固まってしまった俺を、まそばにある綺麗な瞳が不思議そうに見詰めたので、俺は慌てて、携帯を取り、強張った表情のまま耳に当てた。

「も、もしもし!」

「お〜、嶋村!俺、高城。

なぁ、今から出てこねぇ?」

「高城ぃ?!???」  

クラスメートからの突然の電話に俺は一瞬訳が分からない。 

この携帯の番号は光一朗と家族しか知らないはず・・・・

だからこそ、俺はこんなにも動揺してるってのに・・・・・!

まてよ、俺・・・?なんで、こんなに狼狽えてるんだ・・・・?

「お、お前なんで、これの番号知ってんだよ?」

「夕方、お前んちに掛けたらお前留守でさ、お袋さんが教えてくれたんだよ。その時掛けたらよかったんだけど、かけ損ねちまってさ、しっかし水くせぇよな、携帯持ってるんならもっと早くに教えてくれよ〜」

恨み言を言い出した高城を、勉強中だからと無理に遮って俺は携帯を切って、机へと戻った。  

地声のでっかい高城の声が類さんにも届いていたのか、類さんは椅子をひいて座りかけた俺の顔を覗き込んで笑った。

「へぇ?正臣クンも隅に置けないね。その携帯は誰かさん専用なんだ?」

「な?何だよ?いきなり!」  

思いがけない突っ込みに俺が狼狽えまくると、

「ホント、かわいいよね。そんなとこは昔とちっとも変わらない。顔にデカデカと図星って書いてあるよ」   

さもおかしそうに、クククっと笑いながら、さっきの例題の説明に類さんは取りかかった。

初めてだった、光一朗からの電話じゃないことを願うなんて・・・

これはいったい何なんだろう。憧れの類さんが傍にいるだけで、そんなにも変わっちまうほど俺の想いなんて浅いもんだったのか?それだけの想いに俺はこんなにも振り回されてるてのか??

「どうしたの?深刻な顔しちゃって。時間がなくなるよ、早くこのページだけしちゃおうよ」 

類さんの言葉に落ち着きを取り戻した俺が、ようやくこつを掴んで問題を何とか解きだした頃、またもや携帯が鳴りだした。

「ちっ!何だよ、高城の奴、ひつこいな」  

折角、調子が上がってきたとこだってのに!

携帯はちょうど机に肘を突いて俺の手元を覗き込んでいた類さんの真横にあったので、類さんが携帯を手に取って言った。

「遊びの誘いだろ?僕が断わってあげるよ。

もしもし?悪いけど、正臣クンは今夜僕の貸し切りなんだ。じゃあね」

とびっきりの甘い声で類さんがそう言って携帯を一方的に切ると、俺達は顔を見合わせてゲラゲラと笑った。

                              

 

光ちゃんをお待ちのお客様。。。ご、ご免なさい。。。後編には必ず出て参りますので〈汗〉ほんのしばらくお待ち下さいませ・・・・・このシリーズ主人公は正臣なのでどうしても、出番が少ないのよ〜