恋人シリーズ

***想い出の恋人***

[2]

なんで・・・・・

なんで・・・・

俺の頭の中で「ナゼ?」だけがぐるぐると渦を巻いて廻っていた。

確かに俺はずっと彼を意識し続けていた。だけど、あの写真の少年がまさか今になって現実の姿を俺や光一朗の前に現わすなんて思ってもいなかったんだ。

過去の人だと思っていた。
どんなに彼が昔、光一朗の心を射止めていたからって、今も、俺を思う以上の比重で光一朗の心に深く住み着いていたとしたって、それはもう手の届かない遠い過去の想い出だと信じていたんだ。

瞬きも出来ずに俺は二人を見つめていた。

慈しむような優しげな瞳で彼を見つめて微笑んだり、楽しそうに話す彼に向かって時折頷いたりしている光一朗から目が離せなかった。

そんな光一朗なんか見たくないのに、身体はまるでメデュウサの姿を見て固まってしまった人間のようにピクリとも動かない。

俺の感情も石になってしまったのか、悲しいとか悔しいとか辛いとか思うこともなく、ガラス越しに見える二人の姿は、ブラウン管を等して見ているテレビの中の出来事のようで、なんだか酷くどこか非現実的で、俺はただ呆然とそんな二人の睦ましい姿を傍観しているだけだった。

「いこう・・・・・」

俺の身体にどんっとぶつかるような衝撃が来て、カチンコチンに固まっていた俺の足はアスファルトの上で危なげに蹈鞴(タタラ)を踏んだ。

「る・・・いさん・・・?」

驚いて振り返りかえった俺は、どれだけ、自分がその場に突っ立っていたのか、、今ここになにをしに来ていたのかスコンと抜け落ちたまま、身体ごとぶつけるようにして俺をその窓から引き離した類さんに、真抜けた声を出した。

「いこう・・・ね、正臣クン」

小さな子にでも言い聞かすように、俺の肘にそっと腕を掛けた類さんは優しい声と表情で、もう一度俺に言った。

「うん・・・・・」

条件反射のように頷いて、類さんと一緒に歩き出した俺の足が、一歩ずつ店から離れるにつれわなわなと震えだした。

今いったい、俺はなにを見たんだろう?

今目にした現実とそれを認めたくない俺が、俺の中で激しくせめぎ合って、上手く考えが纏まらない。

歩道に敷き詰められた色とりどりのブロックが一歩踏み込むごとに硬度を失い柔らかく溶けていく。

俺はふらふらと酒に酔ったような足取りで、さほど体格の変わらない、ううん、かえって俺より華奢な類さんに支えられるような格好でざわざわとにぎあう休日の通りを歩いていった。



ようやく、正気にかえったのは、類さんに連れられて入った喫茶店で、コップ一杯の水をごくごくと飲み干したあとだった。

トンっとテーブルに薄く色の付いたコップを下ろすと、水の無くなったコップの中で氷がコロンっと涼しげな音を立てた。

その音を合図に、それまで無言だった類さんが、口を開く。

「だいじょうぶ?正臣くん」

「あ・・・・・うん。ごめん・・ちょっと、驚いたんだ」

心配そうな表情の類さんに俺はやせ我慢みたいな作り笑いを浮かべた。

「いいよ、無理するなって」

類さんも少し強張ったような笑みを俺に返してメニューを見ながら、コーヒーでいいねと勝手にウエイトレスを呼んで注文を済ませてしまった。

確か俺たちはランチを食べるはずだったんだけど、俺がメシなんか食べる気分じゃないってわかってるから類さんは気を回してくれたんだろう。

そうだよ。
さっき、俺たちはあの店で昼飯を食べようとしてたんだ・・・・
で、類さんが、先に店のドアに手を掛けて・・・・
類さんが、満席だって・・・・戻ってきたんだ。

だけど、なんで・・・・・

俺が光一朗と紳司さんの姿を見ないように、満席だなんて嘘まで付いて。

「前から知ってた?光一朗と・・その・・伸司さんのこと?」

俺は恐る恐る伺うように、類さんに尋ねた。

俺の問いに、類さんは持ち上げかけていた水のコップを飲まずにまた下に下ろし、キュッと下唇を噛みしめて眉を顰めた。

「何かを知ってるって訳じゃないんだ・・・・・」

しばらく何かを思いめぐらすように逡巡したあと、困ったように類さんは苦笑を浮かべて、

「僕はね、先週もあの二人を偶然見掛けたんだ。
真壁さんは、雑踏の中でもみまちがえっこないような人だしそのこと自体は、あれ、真壁さんだっておもっただけで気にも留めなかったんだ。
最初は仕事の打ち合わせとかなんだと、僕も思ってたからね。
だけど・・・・横にいた、・・・紳司っていうの?あの人に気が付いて、正直言って目を疑ったよ」

「俺に似てるから?」

「うん。似てるって言うより、そっくりだろ?
確かに年齢は10ほど違うだろうから今の正臣クンとそっくりって言うんじゃないけど・・・あと10年加齢すれば君はきっとあの人そっくりになるし、彼の若い頃は君にそっくりだったんじゃないかと思ったんだ。
正臣クンにお兄さんがいないよねって確かめたのもそのせいなんだ」

そういえば、この間、類さんそんなこと言ってったけ・・・・

だからあの日、なんだか様子が変だったのかな・・・

「でも、兄弟でも親戚でもないんだろう?」

こくりと頷いた俺に、

「正臣クンの血縁でも無い正臣クンにそっくりな奴と正臣クンの現恋人であるはずの真壁氏が密会している・・・・どう考えたって、気味が悪かったよ。
出来ることなら正臣クンには見せない方がいいと思ったんだ。
どういう事情か知らないけど、浮気するにしてもたちが悪すぎる・・・・・」

浮気・・・・・

浮気って本命がいるのによそに気持ちを寄せることだよな・・・・・

光一朗の本命はもともと俺じゃなくて、あの人だ・・・・・

「浮気なんかじゃないよ。浮気は俺の方・・・・・」

「え?どういうことなんだいそれ?」

「あの人、光一朗の初恋の相手なんだ・・・・だから・・」

身代わり・・・なんかじゃないって、何回も言ったくれたよな・・・・

「俺の顔が、紳司さんに似てたから、だから光一朗、俺とつきあってんの」
最初はそうだったって、光一朗確かに認めたけど。

だけど今は違うって・・・・

今は俺だけだって・・・・

嘘だったのかよ・・・・・

「酷いな・・・それって・・・真壁氏のこと正臣クンを大事にしてくれてるんだって思ってたのに、見損なったよ」

類さんは綺麗な顔を顰めて、吐き捨てるように言った。

うん。酷いよな・・・・俺もそう思う。

でも、信じた俺が馬鹿なだけなのかもしれない・・・

だいたい、そうでもなきゃ、光一朗が俺なんか相手にするはずないんだから・・

「俺さ・・・・最初はなんで光一朗みたいな人が俺に構うのか訳分かんなかったんだ。
俺は姉貴の結婚式で光一朗に初めて有ったときから光一朗に一目惚れしちまったんだけど、なんで、光一朗が俺を誘ってくれて優しくしてくれるのか分かんなかった。
だから、俺、思いっきり、色んなわがままふっかけて・・・それなのにあいついつも笑って・・・いいよ・・って・・・」

目の奥が突然ジンっと熱くなった。

「俺がどんなにわがままいっても、不機嫌そうにしても、光一朗にはどうでも良かったんだ。俺の顔があの人に似てたから・・・自分の側に置いておきたかたかったから、だから・・・・」

類さんに光一朗と伸司さんの関係や俺と光一朗との出会いを話してるうちに、ゆっくりと俺の上にさっきの映像が現実味を帯びてのしかかって来たんだ。

そっか・・・・・

でももう、俺なんかいらないんだ・・・・

紳司さんが戻ってきたんだもんな。

だから光一朗毎日忙しいって・・・・

俺に会えないって・・・・・

紳司さんと会ってるから・・・

俺に会えないって・・・・・

ぽつりぽつりと類さんに話しているはずの俺の声はいつの間にか微かな嗚咽にかき消されていた。

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