恋人シリーズ

***想い出の恋人***

[4]

類さんと握手を交わしながら俺に向けられたままの光一朗の冴え冴えとした眼差しに、俺は思わずコクンと生唾を飲み込んだ。

俺を責めているような、視線を受け止められなくて、俺は堪らずに瞼を先っきまで解いていた問題集に落とした。
この突然の事態をどう受け止めていいのかが分からなくて、俺の胸はざわざわと波紋を広げ波打っている。

なんで、今頃また来るんだよ、もう俺のことなんか放って置いてくれればいいじゃないか・・・・・

そうだよ、やっと俺、普通に生活できるようになったのに・・・・
もうじき試験だから、それなりに頑張って勉強してるのに、今更突然やってきて、なんでそんな目で睨まれなきゃなんないんだ?

俺が何したっていうんだよ。
いつもいつも悪いのは光一朗の方なのに・・・

光一朗が、俺を放り出したのに・・・・・・
なんで、俺が悪いことをしたような気分にならないといけない?

そんな不満が俺の胸の中にグルグルと渦を巻いて、悔しくて、悔しくて俯いたままの顔を上げることが出来なかった。


「すまないが、正臣と二人にしてもらえないかな?」

落ち着いた冷ややかな声がドアの方から聞こえてくる。

類さんに部屋から出ていけって言ってるんだ・・・いやだ・・俺・・・

「正臣、どうする?」

類さんの問いかけに俺は大きく首を横に振った。
俺、光一朗と二人になんかなりたくない。

「正臣は嫌だって言ってますから、僕はここから動きませんよ。正臣、真壁さんと話す気あるの?」

俺はもう一度、激しく首を振った。
今更、話すことなんか何もない・・・・
これ以上光一朗に振り回されたくない。

最初っから、間違ってたんだ。
俺が光一朗にとってなんの価値もない、ただの俺だったら・・・・
紳司さんに似てさえいなかったら、決して始まることの無かった恋だったんだから。

姉貴の結婚式で俺は確かに光一朗に一目惚れって奴をしたけど、きっとそれはほんの少しの間、俺をドキドキさせてくれるたった数時間の素敵な想い出になってただけで、決してあの日、光一朗が俺を家まで送り届けてくれることも無かっただろう。
それにもし、まかり間違って俺だけが子供だった所為で、大人としての責任感から光一朗が送ってくれたとしても、次に逢う約束なんか交わすことは万に一つも無かったんだから。

有頂天になってた俺にだって、それがすごく変だってことぐらい最初から分かってた。

俺が紳司さんに似てたから、光一朗は優しかったんだ。

優しさが不安になるほど光一朗は優しかった。
どんなに俺が、邪険な態度をとっても。
どんなに俺がわがままを言っても。
光一朗は信じられなほど優しくて・・・・俺はいつもいつも不安だった。

大切な初恋の人と俺をだぶらせていたから、一年以上も俺に指一本触れもしないで、大切に大切にしてくれた光一朗。

初めて交わした口づけも、初めて合わせた熱い肌も・・・・・
すべては俺が紳司さんに似てる、そのことがすべての発端・・・・・

あの日まで、光一朗の枕元に有った紳司さんの写真が何よりの証拠だった。
俺に会いながら、俺にキスしながら、光一朗は紳司さんの夢を見てたんだって、それを知ったあの日の辛さを、あの夜の胸を抉るような痛みを俺は今も忘れられない。

何故、光一朗が、あんなにも俺に優しかったのか。
何故、俺の名前をいつも確かめるように尻上がりのアクセントで呼ぶのか。
何故、俺の顔を切なそうな眼差しで見つめるのか。

そのすべての謎が解けたあの夜・・・・・

熱っぽい身体と、熱い吐息で愛を囁きながら、光一朗が抱いたのは俺じゃなかった・・・・叶うことの無かった初恋をあの夜光一朗は実らせたんだ。

だから俺、ちゃんと・・・・・・・別れる決心をしたのに・・・・・

一度だけなら、身代わりでもいいって、俺ほんとに思ったから。

だから俺、光一朗に抱かれて・・・・

光一朗の琥珀色の瞳が俺を映してるんじゃないって知っててもなお、俺は光一朗との想い出が欲しかった。

想い出を抱いて、俺の身体すべてに光一朗を刻み込んで、別れようとしたのに。

なぜ・・・俺はあの時、また同じ迷宮(ラビリンス)に戻ってしまったんだろう・・・・

光一朗が言ってくれたから・・・・

俺を失いたくないって・・・  

紳司さんの身代わりだとか、そんな事じゃなくって俺を嶋村正臣を失いたくないって・・・・・・

だから、俺は、その言葉に縋ったんだ・・・・

今までは身代わりだったかもしんないけど、これからは俺自身を好きになってくれるんだって・・・・・

そんな、なんの確証もない、甘い言葉に俺は縋っちまったんだよな。

その言葉が、嘘だったのか本気だったのかなんてその時の俺に分かるはずも無いじゃないか。

光一朗自身にだってあの時は分かっていなかたのもかもしんないんだから・・・・・・・

だって・・・・その時は光一朗だって知らなかったんだよな、紳司さんにもう一度逢えるなんてこと・・・・

きっと、後悔してるんだ、あの時俺の手をちゃんと離してしまえば良かったって・・・・あの時、あんなこと言わなきゃ良かったって。

だから、俺のことをあんなに冷たい目で見てるんだ。

もう俺なんか必要ないから。

あんなに冷たい目で・・・・・
あんなに冷たい声で・・・・・

もう何も聞きたくない・・・・・
もうこれ以上傷つきたくない。
もう、光一朗の顔なんか見たくないんだ俺。

「正臣は真壁さんとする話は無いようですよ」

頑なに顔を上げようとしない俺のために、落ち着いた声で、類さんが気持ちを代弁してくれる。

「類くん。僕は正臣に話があるんだ。君と話がしたいわけじゃないんだけどね」

「あなたも分からない人ですね?正臣はあなたとは話したくないんですよ」

「これは僕と正臣との問題だ。君には関係ないだろう?」

「いいえ、大いに関係有りますね。
あなたはどれだけあなたのしてきた言動で正臣が傷ついてきたか露ほども理解していないんでしょう?
だから平気な顔をして今頃のこのこ正臣の前に出てこれるんだ。
正臣がここ数日どれだけ苦しんできたか、僕はずっと正臣のそばで見て知ってます。その間あなたは何をしてたんですか?」

「僕の言動で正臣を傷つけた、だって?」

怪訝そうに光一朗が聞き返してる。目を逸らしていても寄せられた綺麗な眉が目に浮かぶ。

「ほら、なんにも分かっていないんだあなたは・・・・
優しそうで綺麗な顔をして、その裏に隠した大人の狡さが正臣をどれだけ深く傷つけているか、あなたは少しも理解していない。
あなたにはもう正臣は必要ないんでしょう?
後のことは心配しなくてもいいですからお引き取り下さい。
正臣は僕が大事にしますから、あなたのように僕は正臣を苦しめたりしない」

床板を踏む足音が俺に向かってやってくると、類さんの細い指が俺の髪を優しく梳いた。

「真壁さんに帰って貰うよ、いいね?」

俺は縋るように傍らに立つ類さんの顔を見上げると、類さんは俺ににっこりと微笑んで、大丈夫だからと頷いてくれた。

俺は恐る恐る戸口に立ったままの光一朗を見た。
ほんの2.3メールとしか離れていない場所にあるのに、光一朗の冷えた瞳の色がなんだかすごく遠く感じられた。

「帰れよ、光一朗。俺あんたと話すことなんかなんにもないから・・・」

一息大きく息を吸い、震える声で、俺はやっと口を開いた。

「正臣?どういうことなんだ?ちゃんと話してくれないと、わからない」

無意識に上げられた、名前の語尾に、俺の頭にはカッと血が上って赤い霞が掛かった。

ずっと、胸の奥に堪っていた、禍々しい思いが一度に吹き出してしまう。

「話すことなんかなんにも無いって言ってんだろ!
二度とそんな風に俺の名前を呼ぶな!
そんな風に呼ばれるたびに俺がどんな思いをしてるかなんて、あんたにはちっともわかってなんか無いんだ!
さっさと、大事な紳司さんとこに行けよ!!!
光一朗となんか出会わなきゃ良かったんだ!
俺・・・・あんたになんか、出会わなきゃ良かった・・・・・・」

悲鳴を上げるように叫んだ俺を、暖かい腕がぎゅっと抱き留めた。

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