龍神の泉 3 

 

俺の険しい表情を見とがめた慎は、怪訝そ うに眉を寄せる。

「こんどは何事だ?ついさっきはミルクを嘗めた猫みたいな顔をしてたってのに」

「なんでもないよ」

「訳の分かんない奴だな、だいたい蓮の事も前から知ってるんなら知ってるって云えばいいのに」

「仕方ないだろう!去年、逢った奴はおまえだと今日の今日まで信じてたんだ。お前こそ双子なら双子だって始めから云えよな!」  

辛辣な口調で責め立てる俺を、呆れ顔で眺めながら慎が諭すように話す。

「なぁ勇貴、自分では気づいてないかも知れないけど、お前にはちゃんと解ってたじゃないか。俺が蓮じゃないってこと」

「そんなの解る分けないだろう?俺はおまえたちみたいな千里眼なんかじゃ無いんだからな!」  

鞄を肩に担ぎながら、大股に駅に向かって歩く俺の前に、唐突に慎がスルリと廻り込んできた。

「俺と蓮の違いが解らないって云うんなら、俺にもキスして見せろよ」  

挑発するように艶やかな微笑をみせながら慎は俺の首に腕を巻き付けた。  

なぜ慎じゃいけない?そんなことは俺にも分かりはしない・・・・ただ、触れ合うほど側に慎の吐息を感じても、華奢な躰が腕の中にすっぽりと収まっても、あの狂おしく震えるほどの激情は湧いては来なかった。

「悪い冗談は止めてくれ、慎」  

ゆっくりと慎の腕を解く俺から離れ、ひょいと肩を竦めると満足げな笑みを浮かべた慎は再び、駅に続く一本道を歩き出した。  

道の端々に野生の野いちごの白い可憐な花と紅い実が甘酸っぱい香りを放っていた。  

俺は気抜けしたように溜息を吐くと、軽やかに歩く慎の後を追った。      

 

夕方の少々込み合った駅前の商店街で前を歩く慎がかなりの視線を集めてることに俺は初めて気が付いた。

慎の美貌に加えてきっと例の噂も関係しているのだろう。すれ違いざまに小声でなにか囁く者さえもいる。  

俺が少し離れていたからか、前から来た茶髪でピアスをはめた2人組が両脇から挟むように立って慎の耳元で二言、三言囁くと淫猥な笑い声をあげた。

慎は動じる様子もなく冷ややかな一瞥をそいつらに向けた。

「いいじゃんよう。ちょっとぐらい俺たちと遊んでくれたって、へるもんじゃなし」

「そうそう、俺たちもう一遍、お手合わせ願おうと思ってたんだぜ」  

にやにやと下卑た笑いを浮かべる。

「慎に何のようだ?」  

急いで近寄るとそいつらのいやらしい視線に慎を晒したくなくて、俺の背中に隠すように慎を後ろに廻す。

「ちぇ!一人だとおもったら今日も護衛付きかよ。いこうぜ」

「タカシさんがあんたの唇が忘れられないってよ」

「またな、別嬪さん」 

離れ際に、クチャクチャとガムを噛みながら、そいつらがねっとりとした目つきで俺の後ろに目をやると慎の躰が悪寒に一瞬震えたのがわかる。   

ふたりが行ってしまうのを見届けた俺は、振り返るなり思わずきつい口調で問いつめた。

「前に、なにされたんだ?」

「なんてことないさ」  

さりげない風を装って軽く返事をする慎の手首をとると、目の前のハンバーガーショップに飛び込んでハンバーガーとポテトとコーヒーを2人分買い、人気のない一番隅の席に座った。  

「今のことも含めて、俺に解るように全部話してくれないか?俺のなかの疑問が今日一日で少しずつ繋がってきてるけど未だ良く解らないことや、知らないこともあるみたいだ。 

たしかに、去年の夏一度、蓮を見てからのぼせ上がってるのは認める。  

でも、お前はもう俺の大事な友達だから蓮の事とは関係ないと思ってる。  

お前もこれから先、まだ俺のことを友達として扱ってくれるなら全部話してくれ」  

目の前の慎をしっかり見据えて俺は訪ねた。

「偏見無く、接してくれるお前が心地よくて、今日まで黙ってた俺がきっと悪かったんだろうな」  

今までに訊いたことないほど真剣な口調で慎は続ける。

「俺たちのこと、今日誰かに訊いた?」  

俺が紘一と真琴に訊いた話をすると、慎は所々頷いて訊いてから、軽く苦笑を漏らした。

「人の口に戸は立てられないって、本当なんだな」

「俺の知らなかったのは、これだけか?」 

「まあ、だいたいそんな所かな。後は神子の力が女人と交わると消えると言われてること。 

それから・・・神子は短命で・・・ほとんど二十五歳前後に神に召されること・・・」  

綺麗な慎の顔が辛そうに歪む。

「れ、蓮もそうだって言うのか?」  

思いっきり頭を殴られるようなショックを受けた俺は、顔を背ける慎の肩を両手で掴んで思いっきり揺さぶった。

「何とか云えよ。慎!」

「運命だと、蓮も受け止めている」

「お前!それでいいのか?」  

やり場のない怒りを慎にぶつける俺に、慈愛に満ちた瞳を向けると慎は呟いた。

「一人でなんか・・・逝かせやしない」

「慎・・・・」

「郷守の双子は、ほぼ三、四代に一度の割で生まれる。でも俺たちの場合、二代前つまり俺の爺ちゃんがその片割れなんだ。  

爺ちゃんは未だ誰もどっちが神子に成るか見当もつかない頃から、俺だけに、父さんや母さんにもしない話を2人だけの秘密だからと話してくれた。  

半身を失うことの身を切られるつらさ。必ず来る別れの時、後をおってお家断絶の憂き目にならぬように有無を云わせず娶らされた嫁。  

普通なら先代の双子と話すこともなく繰り返し同じ事があったんだろうけど、俺たちは違う。  

俺は一生結婚しないし子供も持たない。  

郷守の跡取りは居なくなるけど、それでもう郷守の双子が産まれることもない。俺たちは引き裂かれた半身なんだ、一人で生きては行けない」

「お前が、守りたいって言ってたのは・・・蓮のことなのか・・?」

「そうだ。ふふ、でも安心しな、お前の蓮に対する気持ちとは違うから」

さっきまでと打って変わって慎は俺をからかう。

「その力がなくなれば蓮は助かるのか?」  

聞き流すフリをして話を元に戻した。

「多分な。使う力が大きければ大きいほど体力を消耗するらしいが蓮のあの躰だ、そんなに強い力には耐えられるはずもない。  

もちろん俺たちの力はマンガに出てくるような凄いもんじゃないんだ。

昔からよく虫の知らせって言うだろう?それとか感が鋭いとか、そうゆうものが俺も蓮も生まれつき人一倍強いだけなんだと思う。 

それがどう言う訳か第二次成長期にはいると蓮は男性的な成長をしないぶん、まるで俺の能力を吸い取るように力が強くなり、俺はただの男に成るってわけさ。   

その証拠に俺の方は少し前までは感じていた色んな気も、このごろはほとんど感じ無くなって来てるんだ。  

それから、唯一力をなくすと言い伝えられてる【女人との交わり】にしたって、お前、蓮にそんなこと出来ると思う?」

「お、俺に言われても・・・」  

蓮にキスした俺が言うのも変だけど、蓮と能動的な性とはどうしても結びつかない。

「ところが、困ったことに征服欲の強い男にやたらと狙われるんだ」

「さっきの奴たちか?」

「あいつらタカシってのを頭にいつも十四、五人ぐらいで連(つる)んでるんだ、その中の一人が蓮にトチ狂っちゃてずっと狙ってたらしいんだけど、蓮にはあの黒鬼が大抵ピッタリくっ着いてるから同じ顔の俺で手を打ったってわけさ。   

まあ、蓮が気がついて三鬼引き連れて来てくれたから処女喪失は免れたけどな」  

あっけらかんと話す慎の顔をまともに見れずにまたも後悔がこみ上げてくる。

「俺もアイツらと同じ穴の狢(むじな)だな」

「さっきも言っただろう、蓮さえ嫌じゃなかったらそれでいいんだって」

「蓮は優しいから嫌じゃないって言ってくれたんだ。あの時、友達になりたいって言ってくれた蓮の気持ちを俺は踏みつけにした」  

慎は落ち込む俺を気遣うように親身になって進言する。

「勇貴・・たしかに力に任せて自分の物にしようってのは間違いだと俺も思う。  

蓮の中でお前を想う気持ちと恐れる気持ちの両方があるに違いない。  

蓮はいい意味でも悪い意味でも硝子の中の花なんだ。いままでそいうことからは完璧に守られてきたし、蓮自信恋愛って感情を持ってるのかどうか・・・  

でもお前が蓮を想う気持ちが本物なら時間を掛けて蓮に解って貰うんだな」

「でも、俺も男だぜ、気持ち悪がられないかな?」

「蓮は異様にピュアだからそうゆう禁忌は無いよ。魂と魂が触れ合えばいいんだから。でも大変だぞ、黒鬼もずっと前から蓮に惚れてるし、まして両思いになったとしても肉体的に結ばれるって事がアイツに解ってるのかどうか俺にも良く分かんないからな」

「そ、そんなつもりじゃ・・・」  

どうやら慎は俺をからかうのが快感らしい。

冷めたコーヒーを飲みながら赤面する俺に、蓮の背中の何処に黒子があるんだとか、何処が敏感だとか嬉しそうに話していた。  

「ところで、何しにきたんだ俺たち?」  

食べ残しとコップを捨ててトレイを片づけた俺は改めて慎に訊いた。

「そうだ、早く行かないと店閉まっちまうな」 

慎は急いで立ち上がると横にいた俺の肘に腕を絡めて引っ張っていく。      

「なにがいるんだ?」  

大手家電チェーン店の二階のフロアーまでつれてこられた俺は、パソコンのソフトや備品のあるコーナーで品物を選ぶ慎を信じられない思いで見つめた。  

俺の怪訝そうな視線に気づいた慎はインクのカートリッジを掴む手を止めて。

「お前、もしかして俺たちがまだ薪くべて飯を炊いてるなんて思ってたんじゃないよな?」

「い、いや、そこまでは・・・・・」  

あまり深く考えたことがある訳じゃないけれど、初めに白い着物姿の蓮をみたせいか、どことなくそんなイメージを慎の村に持っていたのかもしれない。  

俺の真正面につかつかと歩いてきた慎は俺の耳を引っ張ると、一言一言区切って言う。

「お前みたいに東京のど真ん中で育った奴からみたら確かに俺の村はど田舎だけど、ちゃんと電気もガスも通ってるし、テレビも見るし車もあるんだよ。勇貴くん」

「それも、そうだよな」  

ぽつりと呟く。  

俺は自分の中で勝手に蓮を異世界の住人にしておきたいだけなのかもしれない。    

 

 

「すいません。これお願いします」  

慎が電気店の会計を済まして、家に迎えにきてもらう電話を掛けてる間に俺は隣の洋品店で織り柄の入った白いハンカチを包んでもらった。

「リボン、おかけしましょうか?」  

二十歳過ぎのちょっと美人の店員がニッコリ笑いながら訪ねる。

「リボン?」

「どなたかにプレゼントされるんでしょ?」

「別にプレゼントって訳じゃないから・・」

「そう?じゃあ、このシールだけにしとくわね」  

わかってるわよ、といいたげに微笑んで、綺麗に紅く塗られた指先でちいさなリボンのついたシールを包装紙の隅に張り付けた。  

 

「ふう〜ん。志賀君も隅におけないんだ」  

聞き覚えのある声がして、店の奥から真琴がひょこっと顔を出した。

「なんだ、お客さん真琴の友達だったの?」

「おまえんち?」

「うん。これは不肖の姉」

「まあ!自分こそ不肖の弟のくせに」  

そう言われれば顔立ちがにているがどちらかといえば真琴の方が可愛らしい。

「あ!郷守くん!こっち、こっち!」  

店の前できょろきょろしている慎に真琴が声を掛けた。

「清水、こんなとこでなにしてんの?」

「真琴んち、ここなんだって」  

俺が口を挟む。  

慎の顔をじっーと見ていた真琴の姉さんが腕組みをしながら俺にいった。

「ねえ、腹が立つと思わない?あたしだってそこそこいけると思ってるのに、弟の真琴は男のくせにあたしよりかわいいし、郷守くんなんてその真琴が霞むくらい綺麗ときてるんだから。  

ほんとおんなとしての自信崩れちゃうわよ。 

男の子なんて君みたいにそこそこかっこよければそれでいいのよ、ね」

褒められてるのかなんなのかわからないけど、表裏のなさそうなお姉さんには好感が持てた。

「面白いな、お前の姉さん」  

慎も気に入ったらしい。

「あ、いけね。清水またな。ぼちぼちターミナルにいかなきゃ。勇貴も乗ってくだろ?」 

慎に言われて腕時計に目をやるともうかなり遅い、お姉さんにもまた来ますと言って俺たちはターミナルに向かった。    

 

俺達がつくと、すでに黒鬼の濃紺のディアマンテがターミナルに止まっていた。

助手席に蓮を乗せて・・・

「俺のせいで遅くなっちゃたんだ。勇貴も送ってやってくれ」  

黒鬼は、ドアを開けて乗り込む慎に渋々うなずいた。  

蓮は窓越しに何か言いたげに、じっと俺を見上げている。  

 

「まって〜志賀君!」  

息を切らして走って来た真琴が勢い余って俺の背中にぶつかってきた。

「あぶないなぁ真琴は」  

よろめく真琴を抱きかかえると笑い掛けた。

「へへ!そそっかしいってよくいわれますぅ」 

ぺろりと舌を出すとさっきの包みを俺の前に出した。

「姉弟そろって、そそっかしくてごめんね」

「あ、ごめん。明日でも良かったのに」

「急ぐといけないと思って」 

受け取る俺に小声で『がんばってね』と囁くと手を振って店に戻って行った。  

「色男は忙しいな」   

車に乗った俺を肩越しに振り返って黒鬼は慇懃に言うと車を走らせた。

「男の焼き餅はみっともないぜ」  

慎が素早く釘を刺す。  

結局そのまま俺は蓮にハンカチを渡せずに車を降りた。  

さっきはあんなに何か言いたげに俺を見ていたのに、蓮は車の中でも、俺が降りて見送る間も二度と俺のほうを見ようとはしなかった。