龍神の泉 6

 

二人だけになると気詰まりな沈黙が訪れた。 

蓮にはどこまで解るんだろう?今まで話していたすべてが解るのだとしたら・・・恥ずかしくなってまともに蓮がみれない・・・  

先に沈黙を破ったのは蓮の方だった。それも見当違いの話で。

「お祭りの話で来られたのでしょう?今年はニュータウンの人たちも来られるようにしようって話が進んでいるらしいから」

「祭り?」

「ええ。来週の龍神祭のことで来られたんじゃないんですか?」

「蓮?此処で俺たちのしてた話の内容解るんじゃないの?」

「いいえ。とてもそんな事までは。僕に解るのは人や自然のだす波動のような物。

たとえば災害とか誰かかが助けを求める声とか、そのほかには今日あなたが来られる前に何となく、ああ志賀さんが来るんだなって解るとか、そのくらいのことです。話の内容なんてとても」  

俺のことを気遣ってわざと知らないフリをして居るんだろうか?

「でも、前の代の神子だった櫂さんは未来が読めたって・・・」

「読めなくはないですよ。大まかにならね。 でも、それには凄く体力を消耗するんです。その未来が遠ければ遠いほど」

「俺の気持ちは読めるの?」  

まだ、ソファの背もたれに手を置いたまま立っている蓮に思い切って聞いてみる。

「志賀さんの気持ち?」

「うん。俺の蓮に対する気持ち」  

高鳴る心臓を宥めるために膝頭を掴んだ。

「解るときもあるし解らないときもある」  

俺から視線を落として蓮は続けた。

「さっきも言ったように僕の感じれるのは波動のような物。細かい心の動きはよく分からないから」

「俺は蓮に波動を出していない?」  

蓮は大きく頭を振った。

「なに?」  

はっきりとした答えが聞きたくてソファをぐるりと回り込んで蓮のそばに寄る。

「こ、好意は感じるんだけど・・・」

「それで?」  

蓮の後ろに立って俯いたままの横顔を覗き込んだ。

「志賀さんはいい人だから、僕にだけじゃなく沢山の人に好意を持っている。特に慎や清水君に」  

真琴の名前を出したときに、ほんの少しだけ唇を噛んだ。

「妬いてくれてるの?」

「妬く?」  

俺の言葉の意味が掴めないと言わんばかりに、微かに綺麗な眉をひそめて小首を傾げた。

「俺が真琴に好意を感じると蓮は嫌な気がするんだろ?」  

祈るような気持ちで確かめる。

「そんなこと・・・清水君はとっても優しくて可愛いもの。志賀さんが好きになるのは当たり前で・・」  

言葉とは裏腹に蓮は苦しそうに顔をしかめる。

「真琴は確かに可愛くて優しい。俺のこの怪我の時もずっと付いて居てくれた」  

包帯の巻かれた左手を蓮の後ろから廻すように前に出した。

「僕だって!」  

包帯をみた途端、傷ついたような目をして顔を上げる。

「なに?」

「あなたが怪我をしたのが解って、授業中に教室を飛び出たら・・・あなたの横にはもう清水君がピッタリついていて・・・」  

まるで責めるような口調で言う。

「あの日図書室で友達になれないって言ったのは蓮のほうだよ」  

責められることが嬉しくて、俺はゆっくりと後ろから抱きしめた。

「あなたを見ると苦しくなるから・・・特にあなたが清水君と居るのを見ると。  

僕も清水君のこと好きなのに・・・」  

右手で蓮の顎を斜めに持ち上げて、俺は唇を重ねていった。

優しく深く俺の蓮への想いが伝わるように。

「俺は慎のことも真琴のことも大好きだけど愛しているのは蓮だけだから」  

そっと唇を離して囁いた。  

頬を上気させている蓮は澄んだ瞳で俺を見つめている。

「僕なんかでいいの?」

「それは俺のセリフだよ」  

俺がどれほど焦がれていたかなんて、蓮は知らないんだから・・・    

 

 

「僕はあの日、誰かが来るのをずっとあそこで待ってたんですよ」  

蓮の家から手をしっかりと繋いで、泉に向かって歩いていると蓮があの岩を指して言った。

「来るのが誰なのか、男の人なのか女の人なのか、お年寄りなのか若い人なのか、まるでベールに包まれたようにぼんやりと形を示さないけれど。

僕にとって、とても大事な誰かがやってくる・・・。  

そして志賀さんが来てくれた」

繋いでいる手にギュと力が入る。

「俺?」

「それなのに、あなたは僕に気が付くと木の陰に隠れてしまった」  

悪戯っぽく笑って肩を竦めると、今度は俺が隠れて蓮を見ていた樹を指さした。

「僕は話しかけるとあなたが逃げてしまいそうで此処にじっと座ったままあなたのことを見ない振りをしていたんですよ」  

あの夏の日と同じ場所に腰掛ると、蓮はその横に俺を座らせた。

「じゃあ蓮は俺に気が付いてたのか?」

「ええ、随分後悔しましたよ。だって僕にはあなたが何処の誰だか解らなかったんですから。

あれからずっと、あなたの事をかんがえていたんですよ。もし、もう一度逢えたらあなたは僕のことを覚えていてくれるのかなって」  

恥ずかしそうに話す蓮があまりにも愛しくて、きつく抱きしめると激しく口づけた。  

蓮の髪をまさぐりながら誰にも取られないように抱き寄せる。

「龍神の奴、俺が大事な神子にこんなことしたら、やきもちを焼くのかな」  

半信半疑で、蓮の肩越しにきらきら光っている泉の中をのぞき込みながら、ぽつりと言った。

「龍神なんて居ませんよ」  

俺の腕の中で蓮がくすりと笑った。

「でも、【郷守の双子】は龍神に愛でられてるんだろう?」  

両頬を包み込んで、ついばむようにキスを降らす。

「日本中、水があるところには必ず龍神伝説があるんですよ。  

昔の人にとって、どんなに日照りがつづいても絶えることなく湧き出てくれる泉は、きっと神懸かりな物に思えたんでしょうね。  

そのうえ、その村には【千里眼】を持つ変な双子が何代にも渡り生まれるのだから。そんな神話が出来るのも無理はないでしょう?」  

首筋に唇を当てるとくすぐったそうに身を捩りながらも、あまりにも理路整然と話す蓮に一抹の不安を感じる。

「蓮?」

「なあに?」

「どんな気分?」

「え?なにが?」

「なにって・・俺に抱かれたりキスされたりするの」

「ん?くすぐったい」  

くすぐったいって・・・それだけ?

まじまじと蓮の邪気のない瞳を見つめると、慎の言っていた両想いになっても大変て意味が何となく飲み込めた。

「俺のこと好きだよな?」  

確かめずにいられない。

「ええ。もちろん」  

何の翳りもなく応えた蓮に、俺はもう一度だけ口づけをした。  

やっとお互いの気持ちを確かめ合えたんだから、まっ!これで十分だとおもうことにしよう。  

今のところは・・・  

いつの間にか西の空が茜色に燃え出して、水辺に居るせいか急激に山の空気がひんやりしてきた。

「風邪引くといけないから、そろそろ戻ろうか?」

「そうですね」  

蓮も目の粗いセーターしか着ていないので 寒くなってきたのだろう、両手を交差させて腕を擦っている。  

貸してやる上着のない俺は、少しでも暖めるように蓮の背中に腕を廻して歩き出した。

家にたどり着くと格子戸に凭れ掛かりながら、慎が俺たちを待っていた。

「遅くなったから、爺ちゃんが晩飯食べていけって」  

素っ気なく言うと踵を返した。

「いいよ、そんなの」  

慎の後ろ姿に断る俺の後ろから蓮が袖を引っ張った。

「いいでしょ?ね?」

「う、うん」  

蓮に乞われれば嫌といえない自分がちょっと情けない。

「食事が出来るまで僕の部屋に来る?」  

玄関に靴をきちんと並べながら蓮が訊いた。 

蓮の部屋・・・二人きりで?つい、いけないことを考えてしまい、赤くなって返事に困った。

「どうしたの?」  

蓮は黙ったままの俺に汚れのない天使のような笑顔を向ける。  

清らかな蓮に比べて、とっても自分が不浄な物に思えた。

「お、俺。晩ご飯ご馳走になるって家に電話しなきゃ」  

しどろもどろになりながらも、咄嗟に話を逸らした。

「遅くなると心配されるものね。こっちに来て」  

蓮は俺に手招きしながら居間に入った。  

居間にはテレビを見ていたのか、慎と黒鬼が座っていた。

相変わらず、いや、前よりも黒鬼の俺を見る目は鋭い。

「はい」  

険悪な空気を蓮も感じるだろうに、そしらぬ顔で俺に電話を渡す。

「ありがとう」  

番号を廻し終わると鳴るか、鳴らないかのうちに母さんが電話に出た。

「母さん?俺」

「勇ちゃん?環が、環が!」

「どうしたの!」  

電話の向こうがやけに騒がしい。

「苺摘みに行って、環だけが帰ってないの」 

既に涙声になっている母はそれだけ言うと言葉に詰まった。

「父さんは?」

「一緒に行ったお友達のお父さんと探しに行ってるわ」

「ともかく、すぐに帰るから。な!」  

急いで電話を切ると、みんながこっちを見ていた。

「ごめん。すぐに帰らなきゃならないんだ。慎、悪いんだけど乗せてってくれるか?」

「なにがあったんだ?」  

バイクのキーをポケットから出しながら慎が尋ねる。

「環が・・・」

「何かあったんだね?」   

蓮は俺の不安に共鳴したかのように両手を堅く握りしめて立っている。  

俺は頭の中で、蓮に頼みさえすれば環の居所などすぐに見つかると解っていた。

それと同時に、その事がたとえ僅かだとしても蓮の命を短くしてしまうことも。

「妹がどうかしたのか?」  

ドアを開けながら慎がもう一度訊いた。

「いや、大した事じゃないんだ」  

心を決めて返事をした俺が、慎と供に部屋を出ようとすると、蓮が目の前に立ちふさがった。

「まって!」  

蓮がこんなに恐い表情をするなんていままで思いもしなかった。

「悪い、蓮。急いでるんだ」

「いやだ。行かせない!」  

きつい口調で言う蓮を、慎もびっくりしたように眺めている。

「お願いだから、僕に嘘を付かないで!」

「蓮・・・だめだよ」  

首を横に振り、蓮の肩を強く掴んだ。

「妹さん・・・迷子になってる・・・山の中で・・・」  

掴んだ俺の腕の上にそっと手を置いた蓮は目を瞑ると言った。

「蓮!やめろ!」  

蓮の身体からあわてて飛び退いた。

「僕のこと志賀さんはやっぱり気味が悪いんだね」  

俺から離れた両手で髪を掻き上げながら寂しそうに蓮は呟いた。

「ちがう!」

「じゃあなぜ?どうして僕に力を貸してくれって言ってくれないの!」

悲痛な声で蓮が叫んだ。

「俺は、俺は蓮の身体が心配なんだ!」

「僕はあなたの力になりたい」  

俺を射るような眼差しから蓮の真剣な気持ちが伝わってくる。

「蓮・・・」

「あなたの為に使えない力なんて、僕にとって何の意味もない・・・」  

ゆっくりと俺に近づくと、改めてもう一度俺の手に触れ、有無を言わせぬ気迫で環のことを思い浮かべるようにと蓮は言った。

「慎!高橋先生に緊急だって電話を繋いで。 それから、黒沢さん、車を家の前につけて」  

緊迫した声で指示を出す蓮に二人は素直に従って動き出した。

「何なんだ?蓮!」  

蓮の表情の険しさに不安がこみ上げて来た。

「なにか、持病があるんですか?怪我は無いのに随分苦しそうだから」  

目を開けて、しっかりと俺を見た。

「喘息の発作が出たんだ!」  

早くしないと、呼吸困難になってしまう。

「蓮!電話繋がったぞ」  

慎が素早く受話器を渡した。

「ええ、僕です。すぐに救急車を峠の近くの三本杉のあたりに出して下さい。

そうです。僕もすぐ行きますから。喘息だそうです。はい。ええと、志賀環ちゃん。ああ、そうなんですか?じゃあ先生も乗ってきてくれるんですね?有り難うございます」  

電話を切るなり玄関に向かうと、既に黒鬼は車を玄関に横づけて待機していた。

「俺は後からバイクで付いて行くから」  

車に乗り込む俺たちに慎が声を掛けた。車が通るにはギリギリの道を上手に砂利を踏みながら進んでいくと神社脇の駐車場からバイクに乗った慎と赤鬼、青鬼が後ろから付いてきた。

「とりあえず三本杉に行って」  

俺と並んで後部座席に乗り込んだ蓮は、それだけ言うと俺の手を握りながらまた目を瞑る。

「ああ、よかった。苦しいのが幸いして木の根本にしゃがみ込んでる」  

小さなため息を付くと目を開き、握りしめた手に力を入れた。

「これで、見失わないですみますよ。すぐに見つけられるから安心して」

「すまない・・蓮」  

どれほどの体力がいるものか俺には想像も付かないけれど、心なしか蓮が疲れているように見えた。  

車が目的地に着くとすぐに救急車も現れた。病人をこれから探しに行くという変な状況に驚く様子もなく、救急隊員さえも蓮の指図に従っている。  

蓮の指し示す方向に真っ暗な山の中を懐中電灯を頼りに入っていくと、山道になれている慎達がかなり前方から叫んだ。

「勇貴!居たぞ!」  

慎の声の方に急ぐ俺の前に環を抱き上げた赤鬼がぬっと現れた。  

「環。大丈夫か?」  

担架に乗せられて既にチアノーゼを起こしかけている環に高橋先生がてきぱきと処置を施す。

「おに・い・・ちゃん」  

苦しそうな息の下から俺を見た環はそれまで堪えていたのだろう。ぽろぽろと涙をこぼした。

こんな真っ暗な山の中でさぞかし恐い思いをしただろうに。蓮が見つけてくれなかったらと思うと今更ながらゾッとする。

「よかったわね。後一時間も放って置いたら取り返しの付かないところだったわ」  

救急隊員が環を乗せている間に高橋先生がそう言った。

「有り難うございました」

「お礼なら蓮君に言うのね。患者の居所が分からないうちに救急車の要請が出来るなんて彼だからこそなのよ」  

ウインクをすると救急車に乗り込んだ。

「蓮君も来なきゃだめよ!君!その子連れて付いてらっしゃい」  

ドアがばたんと閉まり、救急車はサイレンを鳴らしながら病院に向かって走り出した。  

車の所に戻ると蓮は俺に笑いかけた。

「よかった。力になれて・・・」  

そう言って俺の腕の中にふわりと倒れこんで来た。

「蓮!大丈夫か?」

「うん。少し休めばすぐ良くなるから」

「志賀。蓮と早く車に乗れ」  

黒鬼が運転席から声を掛けてきた。  

蓮を抱きかかえながら車に乗せて、真っ暗な山の中を病院に向かう。  

車が走り出すとすぐに黒鬼が携帯電話を後部座席の俺に投げてよこした。

「ほら」

「え?」

「お袋さん心配してるんだろ」  

前を向いたまま、ぶっきらぼうに言った。

「黒沢さん・・有り難う」  

ルームミラーにちらりと視線を投げた黒鬼は何も言わずに頷いた。  

俺なんかよりやっぱりずっと大人なんだな。俺のこと憎いはずなのに、もし俺が反対の立場だったらこの人のように出来るんだろうか?  

家に電話を入れると、環の主治医でもある高橋先生から連絡があったらしく、隣のおばさんが留守番をしてくれていて、母さんは病院に行ったと教えてくれた。

どうやら父さん達は反対の方向を探してたらしい。