********珊瑚礁の彼方へ*********

 

( 11 )

 

 

真珠の輝きで頬を伝う麟の涙。

喜びと、未知への不安が流させただけだと単純に思いこんだ僕は、どれほど愚かだっただろう。

まだなにも知らなかった。

本当のことは何も・・・・・・・

 

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「こっち、こっちだよ」

茂みの中の道なき道を進みながら麟が宏隆を手招きする。
たどり着いた先はぽっかりと拡がる小さな花園。
色とりどりの花々に南国特有の大きな蝶が舞い一層彩りを華やかにしていた。

「これは・・・?麟がここに植えたの?」

ガーデニングと呼ばれる園芸が巷でもてはやされているが、中央に大きな岩を配しまわりを取り囲むように大小の花々が植えられていた。

植物の背丈や大きさのバランスもよく、ついついくどくなりがちな南国の花を上品にまとめて植え込んであった。

「うん。
ストームが来たりして、倒れてしまった木や花達をここに運んで植え直してあげるとみんな元気になるんだよ。
ここは大きな木が守ってくれるから、強い風に倒されないんだ」

いつもの定位置なのだろう岩の窪みに腰を下ろしゆったりと背を預けながら麟は頷いた。

「ヒロが来る前は、大抵一人になるとここに来てたんだ」

「そうか・・・」

「誰にも内緒の僕だけの場所だったんだけど、今日でお別れなんだね」

麟は感慨深げにじっくりと花々を眺めた。

「僕がいなくなっても大丈夫だよね?」

誰に言うでもなく麟はポツリと呟いた。

「きっと大丈夫だよ。ここは雨も多いし、日当たりも良いから、枯れたりしない」

麟の横の地面に腰を下ろし宏隆は膝の上に置かれている麟の手をギュと握りしめた。

離さない・・・・

決して後悔なんかさせない・・・

心の奥で宏隆は繰り返した。

その想いが麟に通じたのか、麟の指が宏隆の指に絡みつき、

「そうだね、僕がいなくなっても心配いらないよね」

自分自身に言い聞かすように囁いた。

あまりの愛しさに宏隆が絡めた指に口づけると麟は驚いて手を引きかけたが、離さないままでいる宏隆の指に、今度は微笑みながらそっと唇を寄せた。

宏隆は幸せだと思った。

このまま時が止まればいいと思ったのは宏隆も麟もきっと同じだっただろう。

愛しい人と、ずっと一緒にいたい、誰もが願う当たり前の願望。

二人が求めたものはたったそれだけのことなのだから。

 

 

「明日の夜明けと共に出発するよ、良いね」

簡素な寝床の用意をしながら宏隆は横にいる麟にもう一度念を押した。

夕方には、誰にも気づかれないようにそっと櫂のボートの確認も済ませてきたし、麟がいつものように凪の世話をしに行っている間に水代わりの椰子の実やちょっとした食べ物も集めて、枕元に用意してある。

宏隆にとっての最大の不安は何よりも麟の心変わりだった。

ついていくのは嫌だと、言い出しはしないかと、念を押す強い口調とは裏腹に内心ではハラハラしていた。

島のことしか知らない麟にとって、宏隆についていくと言うことは、宏隆が宇宙人と異星に旅立つのと同じ程特異な事だろう。

宏隆の懸念を肯定するような、暫しの沈黙の後、麟は噛みしめるようにゆっくりと答えた。

「うん。分かってる。ランプ消すね」

「ああ、お休み」

安堵の溜息を吐き宏隆がゴロリと寝ころぶと、壁際まで歩いていった麟が、片手をかざし、棚の上のランプをフッと吹き消した。

月の出ていないこんな夜は小さな灯火を消しただけでも瞬時に小屋は闇に飲み込まれてしまう。

いつもなら、すぐに隣に敷いた床に戻り横になる麟が、その場に立ちつくしたままなのだろう、姿は見えないが壁際から動く気配が全くしなかった。

「麟?どうかした?」

肘を突き上体を斜めに起こした宏隆が闇に目を凝らすと、少しずつ目が慣れてきたのかぼんやりと壁際に立つ麟のシルエットが見える。

「そ・・・っちへ、いってもいい?」

麟の小さな声が今にも泣きだしそうに震えている。

「なに言ってるの・・・早く、おいで」

麟が不安なのは当然だと宏隆は苦笑した。

起きあがって、ゆっくりと近づいてきた麟を腕の中に抱きしめる。

「大丈夫だから、僕がずっと守ってみせる」

耳朶に口唇を寄せて囁いた。

頷く麟の髪を撫でそのまま横になろうとすると麟がスルリと腕を抜けて、腰の帯を震える指先で外し始めた。

「り、麟・・・?」

微かな衣擦れをさせ、僅かな衣装が麟の肩を滑り落ち、闇の中に麟の白い裸体がくっきりと浮かんだ。

「僕と・・・契って・・ヒロ」

羞恥にわななく麟の口唇から吐息と一緒に言葉が漏れた。

そのままフワリと宏隆の胸に寄せられた麟の肩は小刻みにカタカタと震えていた。

「バカだなぁ・・・
こんなに震えてるくせに」

もう一度しっかりと抱きしめて宏隆は苦笑った。

抱きたくないと言えばそれは綺麗事になるだろう、ビロードのような滑らかな肌に触れ、沸き上がる熱い思いがあることを宏隆も否定はしなかった。でも・・・・・

「無理することはないんだよ。これからずっと一緒なんだから」

磯の香りが微かに漂う、ふわっとした髪に口づける。

「む、無理なんかじゃない!」

眉根を寄せ麟がキッと顔を上げた。

困った宏隆が頬や瞼に口唇をそっと降らすと、耳の辺りまで紅くなってるのが触れた熱さでわかる。

その健気な愛しさに宏隆の鼓動もトクリと跳ね上がる。

華奢な裸身を強く抱きしめると、今にも壊してしまいそうなほど頼りなくて、宏隆は自分自身が怖いくらいだった。

「でも、麟・・・」

ダメだよと窘めかけた宏隆の口唇が麟の珊瑚色をした口唇に塞がれた。

背中に廻された細い腕に力が籠もり、甘い吐息が切なげに漏れると、宏隆の僅かばかりの躊躇いなど簡単に押し流してしまった。

止められるはずなどないのだ、ずっとずっと渇望していたものが、今、手中にあるのだから。

甘やかな時間は波間に揺蕩うように流れ、宏隆に身を任せた麟は宏隆の迸る熱情に浮かされ、まだ決して手慣れているとはいえないぎこちない愛撫にも、切ない歓喜の喘ぎを幾度も漏らした。

いつの間にか姿を現した月の光に青白く浮かぶ麟の華奢な裸身が喜びに打ち震える。

一筋の涙が滑らかな頬を伝う。

「あぁ・・ヒロ・・・ヒロ・・・愛してる・・・」

宏隆が麟の中のサンクチュアリに深く身体を沈めたときに、麟は切なげに泣きながら宏隆の名を囁いた。

涙の真実に気づけない愚かな宏隆は、今まさに麟を自分のものにしたのだという、天にも昇る喜びに、甘い吐息を漏らす麟の口唇を何度も何度も激しく貪り続けた。

 

まどろんで、覚醒した先に瑠璃色の瞳があった。

「・・・眠れないの?」

宏隆が目覚めた途端、麟は恥ずかしそうにそっと睫毛を伏せた。

「ううん・・・そんなことない・・」

「辛・・くない?
ゴメン・・・初めてなのに、酷くしたんじゃないのかな」

「・・・大丈夫・・・平気・・だから、お願い謝らないで・・・」 

麟は宏隆の裸の胸にそっと顔を埋めた。

「大事にするから・・・」

宏隆はおなじ言葉を何度も繰り返し、誰にもとられないように麟の裸身をしっかりと腕の中に抱き込んだ。

滑らかな肌が腕の中にあるのに、何度も口唇を合わせ、あまつさえ身も心もひとつになったのに、今にも誰かにサッと麟をさらわれてしまうんじゃないかという焦燥感が、宏隆の胸から消えてはくれなかった。