********珊瑚礁の彼方へ*********
( 5 )
「僕は麟を愛してるんだ!」
真剣な眼差しが食い入るように麟の顔を見詰めて言った。
「嬉しいな、ありがとう」
真剣な告白に麟はたおやかな笑顔を返す。
「狡いぞ、潜!僕だって」
可愛いオレンジ色の巻き毛を逆立てて、濱が重大告白をした潜と麟の間に弾丸の様に割って入った。
「おい、おい、喧嘩するなよ」
僕は笑いながら二人の首根っこを捕まえて引き剥がす。
チビちゃん達の麟びいきは半端じゃなくて 時折マジで麟の争奪戦を巻き起こし、部屋から出れなくて退屈している僕はそんな騒動を結構楽しませて貰っていた。
今日も突然のスコールに見舞われて、ここに退避してきた三人は誰が麟の膝にのるかから始まって、子犬がじゃれ合うように揉めていたのだ。
「漁?どうしたの?どこか痛くした?」
途中からシュンとなった漁は喧騒から離れた部屋の隅にポツンと離れてしまった。
漁を気遣った麟が漁の前に膝を抱えてしゃがみ、巻き毛の濱や潜とは対照的なサラサラの漁の髪を優しく撫でてやっている。
「違うよ。
ねえ、麟?麟は僕達より波が好きなの?」ふっくらとした頬を上気させて可愛らしいサクランボ色の口唇を尖らせた漁は小さな声で言った。
それまで、微笑ましい気持ちで子供達と麟のやりとりを眺めていた宏隆は、ドキリと心臓を鳴らし、弾かれたように麟の返事に聞き耳を立てた。
「どうしたの?急に」
麟が困った様子で漁に聞き返すと、後ろからしっかり者の潜が、
「波が言ったんだよ。お前達が幾ら麟にまとわりついても無駄だって。 『麟が好きなのは俺だ!麟は俺のだからな!』なんて言うんだもん! あったまきちゃう!
最近、波ったらやったらとイライラして僕達に八つ当たりするんだよ。
今に見てろ、僕は波より大きくなってやるんだから」胸の前で小さな拳を握り、ガッツポーズを作った潜に後の二人もそうだそうだとはしゃぎ立てた。
あやふやなうちに漁の質問は掻き消えてしまい、宏隆の心の中にだけ、それはハッキリと焼き付いてしまった。
『麟は僕達より波が好きなの?』
麟はなんと答えるつもりだったんだろう・・・僕は麟にとって、ただの病人で、世話を焼く対象である『僕達』の中の一人にすぎないんだろうか・・・
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ある朝、ようやく散歩に出れるようになった宏隆は、気遣いながらピッタリと横について歩く、麟の透き通るような肌の白さに改めて驚いた。
「君って・・・・・色、白いんだな・・・」
宏隆が驚くのも無理はない、ずっと小屋の中にいた宏隆には痛いと感じるほど燦々と降り注ぐ太陽と、目の覚めるような透き通った青海が、ここが間違いなく南の島だと物語っているからだ。
そういえば凪も透き通るような白い肌をしていたなと宏隆は思った。
この島で一番肌の色が黒いのは、都会育ちの宏隆かも知れない。
ナゼ・・・・?
変わった所だなと漠然と思ってはいたものの、この時初めて宏隆はこの島を包む不思議な違和感を認めたのだ。
「ん?白いって?肌の色のこと?ヒロは茶色いね」
目の前の日の光に両の手をかざしてしばらく眺めた後に、麟はその華奢な手を、宏隆の肘の辺りにそっと載せた。
重ねてみると、ますますコントラストがハッキリして、麟の肌の白さを一層際だたせた。
「なぜ、麟の肌は日焼けしないんだい?」
意味のない質問だった。
つじつまの合う科学的な答えのないことぐらい、宏隆にも、もう答えのないことぐらい何となく判っていた。
そう、常識では考えられない、奇妙な違和感がここには確かに存在していた。
ここは、宏隆の住む世界と何かが違うのだ。
日本ではないと言うことではなく、まるで、物語の中に存在する異世界に紛れ込んでしまったみたいに。
タイムスリップをしたような生活様式。
家族でもないもの達が共に生活する小さなコロニー。
それだけなら世界のどこかを探せば、そんな宗教コロニーが存在するのかも知れない。
事実アメリカには幾つか機械文明を忌み嫌う、そんなコロニーが実在すると聞いたことがある。
だけど、ここは何かが、何かが変だ。
「日焼け?」
麟は重ねていた手を放し、白く細い首を傾げた。
「いや。いい」
宏隆は麟に微笑み掛けながら、ゆっくりと首を横に振った。
麟は櫂の言うとおり、本当に天使のような子だった。
優しく、可愛らしく、美しい。
そして、この島のこと以外、麟は何も知らない。
明るい光の中で改めてじっくりと見詰めた麟の顔は作り物の人形のように整っていて、小さな顔を取り巻くオレンジ色に近い明るい巻き毛は、強い太陽の光に晒されて、燃え立つようにキラキラと美しく輝いていた。
二人は宏隆の申し出で、かなりの遠出をし、小屋の建つ浜辺からぐるりと林の中を通り抜け、小さな入り江にたどり着いた。
今までは小屋から見える範囲でしか海原をみることが出来なかったが、目の前に拡がる静かな海に目を遣ると、白く波立つラグーンの境界線の中に、同じような小さな島が幾つか点在しているのが見えた。
潮を含んだ、重みのある風に髪をたなびかせ外洋に目を向けた宏隆は、昨日の凪の言葉を思い出していた。
『だいぶ顔色がいいね、ヒロ。あのラグーンを越えて太陽の眠る方角に向かえば、お前の世界が有る。
あと4、5日したら櫂にラグーンの端まで送らせよう。わたしたちはラグーンの外に出てはいけないからね』数日前にフラリと現れた凪は宏隆にそう教えてくれたのだ。
確かに凪は言ったんだ。
『お前の世界』と。
その事を宏隆はまだ麟に話してはいなかった。
子供達も何時しか宏隆に懐き、入れ替わり立ち替わり、麟がいるいないに関わらず波以外の誰か彼かが宏隆の様子を観に来てくれていたが、何故か凪が言ったこの言葉に触れたが最後、麟との別れが来るような気がして宏隆は怖かった。
むろん、宏隆とて、ここにずっといるつもりはなかったし、体調さえ元に戻ればすぐにでも街に帰るつもりでいた。
安否を知ることも出来ずにいる家族の心配も並大抵ではないだろうから、一刻も早く通信のとれる場所へ行き、無事な事だけでも知らせて、両親を安心させてやりたかった。
でも・・・・
街に帰った僕が、再びここに来ることははたして可能なのだろうか・・・・
宏隆はここの所、日に何度も同じ事を自問していた。
凪の言った、『お前の世界』 それはいったい、何を指すのだろう・・・・