********珊瑚礁の彼方へ*********

 

( 6 )

 

宏隆たちの世界とは違うという麟達の世界。 

ラグーンの中だけに存在する・・・不思議な小さなコロニー。    

肩を並べて入り江に立つ麟に、宏隆は点在する幾つかの島を指さして尋ねた。

「あそこに島があるけど、他の島にもやっぱり同じようにコロニーがあるのかい?」

「うん。幾つも有るよ」

「幾つも?どの島にも凪さまみたいな女王様がいるの?」

「女王・・・様?」  

大きく目を見開き首を傾げた麟に、

「えっと・・・女の偉い人、カナ?」  

誰もが知っている言葉を説明するのは、案外難しいもんだなと宏隆は頭を掻いた。

「クスクス。女はみんな偉いんだ。  
そうでしょう?」  

小さく笑ってから、不思議そうに麟は宏隆の漆黒の瞳を覗き込んだ。

「まあ、確かに偉いんだろうけどね」  

宏隆は上手く言葉が通じないことに、短く苦笑った。  

宏隆の苦笑を違った意味に取った麟が心配そうな顔を向けて、

「ヒロ。あんまり急に歩いたから疲れたんじゃない?ちょっと休もう」

麟は宏隆の手を取って、浜から出ると、数本の椰子の木がならんで立つ広い木陰へと導いた。  

大きな葉が眩しい太陽を遮っているそこは、地面の砂もひんやりとして、とても気持ちがいい。

宏隆の横に寄り添うように座った麟は、立てた膝を抱いて、その上にチョコンと顎を載せ、ラグーンのはるか彼方を眺めていた。

「何を見てるんだい?」

「身体がちゃんと直ったら、ヒロはあの向こうに帰っちゃうんだね」  

視線を遠くに馳せたまま、麟はぽつりと呟いた。  

ヒロがいなくなる・・・・  

その事実が不意に麟の心に影を落とす。

「そうだね。早く帰らなきゃ。家族も心配してるしね」  

家族・・・麟には時折ヒロの話す言葉がよく理解できなかった。  

それが何を意味するのかはハッキリとは分からないが、宏隆はその人達と一緒に暮らしているのだと教えてくれた。  

それはどんな意味を持つのだろう。  

島で、新しくペアになるには大人にならなければならないが、ヒロは大人のようにも、まだどこか子供のようにも麟には見え、ヒロがそのどちらに属するのか麟には分からなかった。  

ヒロは僕と一緒に居るよりもその人たちの元へ帰りたいのだろうか・・・・  

麟の胸を何かがチクリと刺して、その疼くような痛みに麟は膝を抱えている腕に力を込めた。  

宏隆が身体さえ治れば、いずれ帰るのだということは麟にも最初から分かっていた。

凪さまや櫂にも、麟が宏隆の命を救ったときから何度もきつく言い含まれていたのだから。  

住む世界が違うのだ。  

凪に会うたびに麟はそう言われていた。

『情を移してはいけないよ、辛いのはお前だからね』  

数日前に凪に言われた言葉の真意が麟にはようやく理解できた。  

宏隆がずっとここにいることなどはありえないし、もし、そんなことが万一有ったとしても、凪が許さないことぐらい、麟にもよく分かっていた。

でも・・・・

「・・・・・・・・・・・・・」

「麟には感謝してるよ。良くしてくれて有り難う」

「お礼なんか・・・」  

麟は口ごもって、寂しそうに長い睫を伏せた。

「・・・あの・・・・・・・あのね、ヒロには誰かがいるの?」

「え?」  

一瞬、麟が放った言葉の意味が判らずに宏隆が麟の顔を見詰め返すと、麟が白い頬を染めて、

「凪さまと櫂みたいに・・・」  

今にも消え入りそうな小さな声で言った。

「恋人がいるかって、こと?ならいないよ。今はね」  

「いないんだ・・・・・・」

宏隆の言葉に麟は明らかにホッとしたような可憐な笑みを浮かべた。

愛らしく中性的な笑顔を見た途端、宏隆は、なんだかみぞおちの辺りがキュンと締め付けられた。  

ちょっと待てよ、麟は幾ら可愛くても男の子だぞ。  

今更、分かり切ったことを敢えて宏隆は反芻した。麟にたいして芽ばえている感情はあまりにも恋に似ている。  

麟の顔から視線を足下に逸らして、岩にあたって砕ける波頭のように、ざわめき立った自分自身にたとえ恋だとしてもどうしようもないじゃないかと宏隆は言い聞かせた。  

確かにここには、凪以外の女は一人もいやしない。  

そしてその凪には櫂がいる。  

そのせいなのか、それは仕方のない、軍隊や刑務所のように、男ばかりの場所では当然起こりうる当たり前の精神作用なのかもしれないが、波なんかはどう見ても、麟に友愛を越えた特別な感情を持っていて、麟が宏隆の世話を焼くことが酷く不快そうだ。  

宏隆自身、麟が波と二人で出かけるのがいやだったのだから・・・・思いは同じと言うことになるのだろう・・・  

ともかく、このコロニーは血気盛んな若者が住むには酷く不健康だなと、改めて宏隆は認識した。  

今まで、男の子を見てドキリとしたことなんか皆目ない、至極ノーマルな宏隆まで変な気を起こしてしまうのだから。  

どれほど、波の態度が気に入らなくても宏隆に彼を責めることは出来ない。  

「ほかの島に行くこともあるの?」  

宏隆は少しでもこの話題から話を逸らそうと、ほかの島について訊いてみた。

「うん。時々櫂が船でつれていってくれるよ」

「どの島にもコロニーはひとつだけ?」  

ここから見る限り島はこの島を含めても5つしかない。  

こくりと頷いた麟に、続けて尋ねる。

「島の住人はここと同じくらい?」

「うん、だいたいそうだね。  
ペアと一緒にどこでもあと4、5人が暮らしてるんだ。  
でも、ほら、あそこに見える一番小さな島にはまだコロニーが出来たばかりで若いペアが二人だけで暮らしてるんだよ」  

右手を真っ直ぐに伸ばし、麟は小さな島を指し示した。

「へえ、じゃあ、新婚さんだな」  

笑い掛けた宏隆に、

「新婚・・・て?」  

麟がぱっちりと見開いた目をしばたたいた。

「麟の言うペアのことだよ。ペアになったばかりって事かな」

「ああ、なんだ。雫と炎はね、とっても仲良しなんだ。  
えっと、雫たちはあの真ん中にあるコロニーにいたんだけど、雫は優しくて強くてとてもステキなんだよ」  

凪と櫂のことを話すときのように、麟はうっとりと目元を和ませた。

「その、雫さんは?男?女?どっち?」  

ここの名前はあまり性別に関係がないようなので名前だけでは性別の判断が容易ではない。

「もちろん、女だよ。雫はとっても綺麗なんだから。
炎はずっと雫に憧れてたから、とっても今は幸せそうなんだ」

「くすっ。じゃあ、やっぱり、あの島でも女性が偉いんだな。
ほかの島もやっぱり女の子が少ないのかい?」

「少ないって?」

「うん、ここには凪さましかいないだろう?僕の街じゃ半分は女だからね」 

「え?ヒロの街には女が沢山いるの?」  

怪訝な表情を浮かべた麟が僕の腕を躊躇いがちに取り、

「その人達も凪さまみたいに綺麗なの?」  

艶やかな瑠璃色の瞳が僕を捉えた。  

僅かに身じろぎするだけでふれ合ってしまいそうなほど傍にある麟の可憐な顔に、トクンと胸が鳴り、 『麟の方が何倍も綺麗だ』と思わず、口走って抱きしめてしまいそうになる。

「まさか、凪さまみたいな美人なんか滅多にいないさ。それより少ないって言ったって、他のコロニーにはちゃんと女の子がいるんだろ?
麟や波こそ、綺麗だなって思う子ぐらいいるんじゃないのか?
そのぅ、ペアになりたい相手がさ」  

沸き上がった動揺を何とか隠し、気づかれぬように大きく息を吸い込んだ宏隆は麟の背中を気安い仲間がするように、ポンと軽く叩いた。

「・・いないよ・・・」  

小さな溜息とともに答えた麟は、宏隆の側から腹立たしげに立ち上がって、

「ごめん、ヒロ。ヒロはゆっくりしていって。 僕、凪さまの湯浴みの用意をしなきゃならないから、先に帰るね」  

さっき二人で歩いてきた道を、小走りに駆け戻って行った。  

あっけなく置き去りにされた宏隆は、小さくなっていく麟の後ろ姿を、バカみたいに茫然と眺めていた。    

しかし、この時の宏隆には、まだ何も解ってはいなかった。  

麟の気持ちも、麟の「いない」と言った言葉が持つ真意も。  

何も、わかってはいなかったのだ。