★☆★いつか見た夢★☆★

 

prologue

 

約束はしない。

違(たが)える事を知っているから。

時は人に忘却を与える。

それはきっと、神様が与えてくれた、優しさなのだろう。

哀しみに、潰されてしまわないように、時が記憶を緩やかに溶かしていく。

あんなにも、真剣に交わした約束をいつのまにか時は忘却の彼方にながし去ってしまうのだ。

必ず、迎えに来ると、あの人は言ったのに。

いつまでも待っていると、僕は応えたのに。

その日が来ることを信じて、ずっとずっと待っていたのに。

約束は、遂行されはしなかった。

幾夜も泣き濡れて、涙がかれ果てた頃には、いつか見た夢のように誓いは輪郭をなくし、いつしか、僕もあの人を待つことを忘れてしまった。

だから、約束はしない。

もう誰も待たない・・・・・・・・

 

( 1 )

 

ドサッ!

「さてと・・・・・荷物より先に着いたのはいいけど、まだだいぶ予定より早いよな」  

三月初旬の日曜日、椎名敦は、やっと手に入れた自分の城にバストンバックを置き腕時計を覗き込んだ。   

引っ越しのトラックが着くのは昼の1時、今からまだ3時間はある。  

さて、どうしたものか・・・・・  

敦は掃除の行き届いた、ガランとした1DKの間取りをぐるりと見渡した。    

今春大学を無事卒業した敦が今日ここに越してきたのは、就職難のこのご時世にようやく決まった勤務先が自宅から通勤するには、恐ろしく不便だったからだ。  

まぁ、それに加え、ぴーちくぱーちくと小賢しい女所帯の我が家から抜け出し、ただ単に一人暮らしがしたかったというのも大きな要因では有るのだが。  

何せ敦には一人息子を構いたがる母のほかに3人も世話好きの姉がいるのだから、いい加減逃げ出したくもなるというものだ。  

「しっかし、なんか肌寒いな。・・・・エアコンのリモコンは・・と、あったあった、左の壁際か」  

5000円ばかり家賃をケチらないで、南向きの棟の部屋にすればよかたかなと、考えながら、敦はキッチンを抜けた奥、部屋の左の隅っこに目的のエアコンのリモコンを見つけて、足早に奥へ向かった。

壁際に立ち、壁に掛けてあるリモコンを手にとり、エアコンに向けた。

ピッという、聞き慣れた電子音と一緒に何かが耳に飛び込んできた。

『う・・・ぅ・・・・あっ・・・ぁ・・』

 へ???  

『・・・・・・・・・ぁ・・はぅっ』

敦の指がリモコンの上で固まった。  

そ、空耳かなぁ・・・?

今は何も聞こえないが・・・・・・・

コクンと生唾を飲み込み、そのままじっとしていると、

『は・・うぅ・・・・ぁぁ・・』  

またしても、微かにだがやはり地を這うような人のうめき声のようなものが聞こえてくる。

ぞわりと背筋に悪寒が走った。

『っぅう・・・ぁぁあ・・・・』

左側の壁を伝い、声が次第に大きくなってきているような気がする。

「お・・・おい、この部屋なんか出るんじゃないだろうな」  

敦は真っ青な顔でキョロキョロあたりを見回した。

『だ。。だめぇ、も・・もう、し・・・・死んっ・・』

「う・・うわぁ・・・!!」  

死ぬだってぇええ?  

大柄な見た目に似合わず、敦はとんと、この手の話に弱い。  

幼い頃から、姉たちにさんざん、恐い話を無理矢理聴かされては泣いていたのだ。  

敦の背中に悪寒がびりりぃ!と駆け抜けた瞬間、

『あ・・・ぁ・・・も、もう、い・・・く!か、和輝ぃ!ぁぁああ!』  

敦は咄嗟に両手で頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「うわぁっっっっぁ・・・・あ?」

廻りきらない思考の中、それでもなんだか今聞いた言葉の中に気になる語句が混じっていたような気がする。

あ・・・・ぁ?今なんて言ったんだ???

頭の中で敦はさっきの言葉をくるりと巻き戻してみた。 

い・い・・・く?、イクって確か言ったよな?

イクってなんだろう?何処に行くんだよ・・・・・・・・

その瞬間、敦はハッと!隣に繋がる壁を凝視した。

大きな図体にはアンバランスな印象を与える童顔はすでに真っ赤である。 

一際高くうめき声が聞こえたあと、さっきまでの怪しい声に変わって、低い話し声がぼそぼそと何かを呟いているようだ。

「び・・・びっくりさせんなよな!」  

ようやく、声の真相に思い当たった敦は一人真っ赤になったまま、口の中で悪態をついた。

「い・・・いったい、今何時だとおもってんだ!まだ朝の十時前だぞ!たく・・・・まさか、毎日聞かされるんじゃないだろうな・・・・・」

人並みな容姿を持ち性格にも問題のない敦ではあるが、いかんせん女性に関しては奥手な方だった。

もちろん経験がないわけではないし、そう言うことをするのが嫌いというのとは違う。

22歳の青年が持つ生理的欲求は人並みに十分持っている。

ただ、恋愛にはとてもメンタルな部分を求めるタイプなのだ。

敦はかしましい姉たちに囲まれて育ってきたせいか、少し女性には食傷気味なところがあった。

毎日平気で自分の前で着替える姉たちの裸を見て育ってしまったせいで、豊満な女性よりも楚々とした女性に深い憧憬を持っているので、性に奔放な今時な女の子はどちらかと言えば苦手であった。

しかし、今の世の中、気だても良くて見目も良くて、慎ましやかなお嬢様など何処にいよう?

第一印象こそ、今度こそはとつき合っては見ても、敦は未だ理想の相手に巡り会ったこともなければ、本物の恋と言うものがどんものかしらずにいた。 

今更ながら、マンションの薄っぺらい壁に舌打ちし、敦はその壁に足を向けて寝ころんだ。

「あ〜あ、こっちは、わびしい独り身だってのに、朝っぱらから鬱陶しい。ベッドの位置は一番右端にしなきゃな」  

左側の壁から離れると、もう何も聞こえては来なかった。 

ただ、壁に寄ってないから聞こえてこないのか、もうそのこと自体が終わったのかは敦には分からなかったけれど。