★☆★いつか見た夢★☆★
( 16 )
「そのときだけど・・・・・・神谷さん、課にいたか?」
琥珀色のウィスキーで唇を湿らせ、すこし言いだしにくそうに言葉を吐き出した敦からグラスを受け取りながら朝永は怪訝そうに眉をひそめた。
「そのときって・・・・どのときだよ?」
「だからさ、その・・・・饅頭を・・・」
「三津浦さんが持ってきたときか?」
両膝を開いた上に肘をのせ身体を前に乗り出したまま、こくりと敦は顎を下げた。
「ああ、その、三津浦さんが開発部に来たとき、神谷さんどんな様子だった?よそよそしいとか、顔色が悪いとかしなかったか?」神谷さんの見せた、先日来の不安定さの根元が、あの、三津浦さんにあるというのなら、絶対に様子がおかしかったはずだ。
俺との間に起きたことを承知で、課長は神谷さんを頼むっていったんだ。こんな時に側にいられなくてすまないと・・・・・・・・・
こんな時・・・・・三津浦さんとの再会の時に。
「おいおい、なんだよ?神谷さん、三津浦さんともなにかあるっていうのか?」
朝永の問いに、敦はもう一度小さく頷いた。「たぶん、三津浦さんは神谷さんの昔の恋人かなんかで、そのことを高瀬川課長も知ってるんだ」
「そんなことは良くある話だろう?男同士って言ったって、恋愛は恋愛なんだ、つき合ったり別れたりしてもなにも不思議なことじゃない。
三津浦さんだって、アメリカに渡る前は本社で一緒に仕事をしていたんだし、そのころ、あの二人になんらかのつき合いがあったとしたら課長が知ってるのもおかしなことじゃない。
この間も言ったように、今、神谷さんがつき合ってるのは高瀬川課長なんだ。
万一、むかしの三津浦さんと神谷さんが何があったにして、そのことで、課長となんらかの問題が起きたとしても、部外者のおまえが口を突っ込むことじゃないんじゃないのか?」
いささか呆れたように、朝永はきっちりと閉めていたネクタイを左右に動かしてゆるめながら、クッションの利いた背もたれにぱふんと背中を預けた。
「なぁ、椎名。
神谷さんのことは、課長に任せておけばいいじゃないか。
椎名はちょっと、神谷さんに関わりすぎているような気が俺にはするよ」
背もたれに身体を埋めたまま、朝永はグィッとグラスを傾けるとグラスの中の氷が朝永の声音と同じくらい冷ややかな音をカシャッと立てた。
「俺はただ・・・・神谷さんが、心配なだけなんだ。
そりゃ、大人なんだから昔の恋人が何人もいたっておかしくなんかないし、どこの会社だって、社内恋愛なら、昔の恋人と今の恋人が社内で鉢合わせすることだってあるだろうさ。
だけど・・・・・もうとっくに終わった恋なら、あんな風に体調をくずしたり、不安定になったりしないもんだろ?」「椎名・・・・・
体調が悪いって、何もこの時期、夏ばてで食欲がなくなってるのは神谷さんだけじゃないだろう?
現に俺だって同じように昼飯食えなくなってたのに、おまえが心配してたのは神谷さんだけだったよな?
それはな、おまえが神谷さんばっかりみてるからだ。
だから、大したことでもないのに、心配になったりするんだよ。
神谷さんがそばにいたら、俺が道ばたで倒れてたって、おまえきっと気づきもしないだろうよ」
整えていた髪を大きく後ろに掻き上げて、朝永は嘲笑するように鼻先で笑った。
崩した服装とほんの少し乱れた髪が、いつものクールな朝永をずいぶんと違った雰囲気にしている。
「だけど、俺は神谷さんが・・」
「いい加減にしろよ!神谷さん、神谷さんって!
気づかない振りをしてやってるんだ。これ以上惨めな姿を俺にさらさないでくれ」
「朝・・・永・・・?」
「ゲイだってことを、同僚に知られていいのか?
確かに課長たちのことは暗黙の了解で通ってるさ。
だけどな、椎名、そんなに世の中甘くないんだ。
まだまだ、駆け出しのおまえが、神谷さんに惚れてるってことを会社の連中に知られてみろ。
ゲイだってことだけじゃなくて、男同士の三角関係だとかなんだとか、噂好きのやつらに面白いように脚色されて、下手すると折角、この就職氷河期に生き残って入った会社にいられなくなるかもしれないんだぞ」
「俺はゲイなんかじゃ・・・・・」
声を潜めてはいるものの、いきり立つような朝永の思わぬ饒舌ぶりに驚いた敦は、あわてて朝永のことばを否定した。
「ああ、わかってるよ。研修であったとき、椎名はゲイの匂いなんかしなかったからな。
同類ってのは初対面の時にだいたいピンくるもんなんだ。
だから俺は、神谷さんのことも課長のことも噂を聞く前に気づいてた」
「同類・・・・って?朝永?」
「俺は女を好きになったことがない」
「え・・・・?じゃ・・・じゃあ、おまえ?」
「そうだよ。いわゆる『ゲイなんか』って世間で言われてるしろもんさ」自嘲するように朝永が低く笑う。
「すまない・・・そんなつもりでいったんじゃないんだ。じゃぁ、おまえ、ずっと前から知ってたのか?俺が・・・その・・・・神谷さんに惚れてるって」
「ああ、同性への気持ちを隠すのになれてる俺なんかと違っておまえの場合、バレバレだったからな。
それに元々のゲイってわけじゃなさそうだったから、神谷さんと課長とのことを教えてやればそのうち熱も冷めるだろうと思って、知らないふりをしてやってたんだ。
なぁ、椎名。
ともかく、神谷さんのことはもうあきらめろよ。
おまえなら、可愛い女の子がいくらでも好きになってくれるよ。神谷さんのことなんか早く忘れた方がいい」「おまえまで、神谷さんと同じことを言わないでくれよ」
はぁ・・・・と、息を吐きながら、敦は空になったグラスにボトルから大量のウィスキーを注ぐ。
「なんだ、もう玉砕済みか?それならよけいにあきらめもつくだろう」
「あ〜あ・・・やっぱり玉砕したのかな・・・・・・俺・・・・」
「ははは。大きな図体して、そう肩を落とすなって。
ほら、不景気な顔してないで、ぐっと飲めよ。
俺も秘密知られちゃったしな、パーッと二人で飲もうぜ」朝永と、杯を重ねて話していると、微かに酔いの回り始めた敦の頭の中に、あの神谷との一夜が夢の一こまのように浮かんでは消えた。
いっそのこと夢なら・・・・・・よかったのに。
神谷さんに出会ったことも、好きになったことも、あの夜のことも・・・・・・・・
To be continued・・・・