★☆★いつか見た夢★☆★

 

( 3 )

 

「広瀬さん、次何処いくんすか?」

教育係の広瀬は敦より5年先輩で、今時珍しいほどの熱血社員だ。

近々、アメリカのシリコンバレーにある支社に栄転するんじゃないかと言う噂を敦も耳にしていた。

ここ数日ずっと、歩かされっぱなしの敦は、広瀬に次ぎ行くぞと促されて、ちょっとばかし弱音を吐いた。

足が棒とはまさにこんな感じを言うのだろう、ましてはき慣れないさらっぴんの革靴の所為で、敦の靴の中はバンドエイドだらけときている。

「何だ、もう弱音か?でかい図体してる割に椎名は甘ちゃんだな。営業はな、足でするもんだ、足で!」

豪快にガハハと笑う。

粗野っぽいイメージがあるが、内面はかなり細やかで、面食いな女性にはあまりもてないだろうが、同性からは頼りにされたり信頼されたりする兄貴気質のタイプだ。

それを言うなら『捜査は足でするもんだ』なんじゃないんすか、広瀬さん刑事ドラマの見すぎっすよ。と心の中で愚痴りながらも、

「はい。そうでした!」

元気よく、イヤ、空元気なのだが敦は広瀬に続いて次の得意先へと向かった。 

 

くたくたになって、本社に戻り、本日の営業日誌なるものを、パソコンに打ち込んでいる敦の所に、帰り支度を済ませた、高畠課長がやってきた。

40後半だろう高畠課長はこの課の要で、時と場合によればかなり、手厳しいとの噂だが、まだまだ新人の敦には人当たりのいいおじさん、と言った印象の人だった。

「だいぶなれたかね?椎名くん」

「あ、はい。広瀬さんがよくしてくださるので」

「そうか、広瀬くんを見習っていい営業マンになってくれよ」

ニコニコと話す、課長に、『俺は、開発部に入りたいんですけど』とも言えずにいると、

「ああ、それで、わるいんだかね、帰り際にこの書類を第一開発部に持っていってくれないか?あそこは熱心だから、まだ結構のこってるはずだから」

「あ、はい。承知しました」

はからずも、課長にお使いを頼まれた敦は、営業日誌を早々と付けおえて、憧れの開発部に向かった。

 

 

朝永まだいるかな?帰りに飯でも食おうって誘うか。

敦は書類を片手に、憧れの第一開発部の扉を軽快にノックした。

「ハイ!あ、椎名」

ノックの音に素早く扉が開かれると、朝永の見慣れた顔が現れた。

多少緊張気味の敦以上に、もともと少し神経質なタイプの彼は同期の敦をドア越しに認めて、きりっと引き締めていた表情を、ほっと緩めた。

なんだよ、研修の時は一番えらそうな顔してたくせに、朝永でもやっぱ気が張るんだ。

「よっ!これ、主任に開発部に持っていくように言われたんだ」

朝永ごしに見える、開発部の内部は磨りガラスのしきりが至る所においてあるものの、雑然と色んな部品がのぞき見えて、小さな頃から機械いじりの好きだった、敦の心を騒がせた。

「ご苦労さん。スミマセン〜営業から、資料届きました〜!」

敦にいつものニヒルな笑みを見せた後、誰に渡せばいいのかわからない朝永は大きな声で、しきりの向こうに振り返って叫んだ。

「営業の何課からだい?一課の高畠課長からなら、私あての書類だけど」

しきりの向こうの人影から返事が返ってきた。

「一課からです。今お持ちします。じゃぁまたな、椎名」

踵を返しかけた、朝永に、

「お前、まだ終わらないのか?」

「え?ああ、もうじき帰れると思うんだけど・・・・」

「それなら、そこの喫煙所で、待ってるよ。晩飯、まだだろ?」

敦は立てた親指をホールに設置された喫煙所の方向に向けた。

「あ、ああ。すまないな」

敦の誘いに朝永は嬉しそうに片手を上げて、足早に衝立の方に向かって行った。

「お邪魔しました!」

朝永を見送り、元気よく声を張り上げて、一礼してから出ていきかけた敦は、たった今朝永が向かった衝立からヒョイっと半分顔を覗かせた人と、ばったり目があってしまった。

栗色の涼やかな瞳に一瞬ここがどこなのか分からなくなり、敦はクラリとする。

たしか、数日前の夜、あの怯えた瞳は俺を映して・・・・・・・・

え?なんだって??

「あれ、あれええ・・・・・・・??」

「やぁ。君、営業部に配属なんだ?」

わっわ!!!何でここに・・・・・神谷さんがいるわけ???

神谷ににこやかに微笑まれて、敦の頭は完璧に真っ白になる。神谷の着ている白衣も、同じく真っ白だった。

「なに?椎名、神谷さんと知り合い?」

続けて顔を出した朝永が意外そうに二人を見比べている。

「え・・・、あ、その・・・・・」

咄嗟にどういえば良いのかわからなくなった敦は一人あたふたと言葉に詰まり、冷や汗まででてくる始末だ。

どうしても、あの日の怯えた切った神谷の姿が頭から離れない。いけないことをしたわけでもないのに、椎名の気分はまさに無理矢理何かをしてしまったような感じだった。

「何、慌ててるんだよ?」

怪訝そうな、朝永に睨み上げられて、敦はなおさらおたおたする。

「さて、お待ちかねのものも来たし。資料を持って帰って、うちで目を通すとするよ。帰ろうか?椎名くん」

朝永と敦の横で、手際よく帰り支度を整えた神谷は、ツイッと敦の腕を取った。

「へ・・・・?」

「君、もういいんだろう?帰ろうよ」

「あっの、俺・・・・・・俺は・・・」

神谷の背後で剣呑な表情のまま、じっと睨み付けている朝永に、すまないと眼差しで謝っている敦を、神谷はとっとと、部屋の外へ連れ出してしまった。

最後に振り返った朝永はフン!ッとふてくされた仕草でそっぽ向いていた。

うわ・・・朝永メッチャ機嫌悪そう・・・・・・

そりゃ、そうだよな、俺からメシ誘ったんだもんな・・・・・

大いに困り果てた敦は、がっくしと項垂れているのに、横を歩く神谷は気にするふうでもなく、

「くくく・・・・椎名くん、さっきは、豆鉄砲食らったような顔してたね」

エレベータに乗った途端、神谷は取り澄ました仮面を脱いで、可笑しそうに笑い出した。

「え?だ、だって、び、びっくりしましたよ〜俺がここの社員だって神谷さんご存じだったんですか?」

「知ってるよ。だって私たちは毎日一緒に出勤してたんだから」

「へ?」

「君が本社配属になった翌日から毎日ね。
君、7:25分の快速に毎日乗ってるだろう?
私は毎日君の背中を見ながら会社まで歩いてるってわけさ。
初日は会社近いのかなぁ?って思ってただけだから、さすがにここに入ったときは驚いたけどね」

「そんなぁ・・・、声かけてくれればよかったじゃないですかぁ」

「いつ気がつくのかな、いい加減気がつくよね?
って思っていたのに、君全然気がつかなくてね。あんがい人間って後ろを振り向かないもんなんだね?
いやぁ、毎朝、楽しかったよ」

いたずらっぽく、神谷がそう言ったときにエレベーターはチンと音を立てて、一階に止まった。

見た目と、中身とのギャップの多い人なのかもしれない・・・・・敦は毎朝自分の後ろから楽しそうに出勤してくる神谷を想像して不思議な気分になった。

普通は気づくだろって言うけど・・・・

後ろなんかいちいち見ませんって。

それより、普通は、声かけるもんでしょう?神谷さん・・・・

「そんなことより、椎名くん、食事はすませたの?私はまだなんだけど、何か食べにいかない?」

本社ビルから夜の街に一歩繰り出すと神谷は敦に訊いた。

「あ、俺もまだです。腹減りましたね」

「もう、9:30過ぎてるからね。あ、そうか、朝永くんとは同期だったね、彼も誘えばよかったのに」

さっきの約束が聞こえていたのかいないのか、にっこりと笑って、そんなことを言う。

神谷さん・・・・・・それもわざとですか?

何でも鵜呑みにする敦は、ほんのちょっと邪推してみたのだが、まさか、先に約束してたんですよとも今更言えず、

「あ・・・・・まだ、朝永は帰れないみたいだったし・・・」

「ふうん。そうなんだ?」

謎の人神谷は、小さくて綺麗な顔を乗せた首をちょっと傾げて、邪気のない笑顔で微笑んだ。