★☆★いつか見た夢★☆★
( 4 )
結局、どうせ帰る先は同じなのだからということで、神谷の提案でマンションのすぐ傍にある居酒屋に行くことになった。
毎晩帰り際にその店の赤提灯を見ながら帰るのだが、敦は初めての廉を勧められるままにくぐった。
こぢんまりした店内は、10人ほど座れるカウンターに6人ほど座れる座敷が4つ。座敷は掘り炬燵になっていてた。「おや、お連れがいるなんてずいぶん久しぶりだね?」
ちょくちょく来るのか、にこやかに会釈をした店主にひょいっと肩を竦めて微笑んでみせた神谷は、座敷でいいよね?と声を掛けてさっさと奥まった席へと入っていく。
神谷さん、一人で居酒屋になんて行くんだ・・・・
どうも敦のなかでしっくりこないような気がした。
「お疲れさま」
中ジョッキをカチンと敦のグラスにあてて、神谷が美味しそうにビールを飲む。
神谷さんってお酒なんて飲むんだ・・・・・
そんな当たり前のことさえ、不思議で堪らない。
ストイックな容姿に休日の朝の情事だけでも敦の中では噛み合わないのに、目の前にいる神谷は美味しそうにビールを飲みながら、貌に似合わないものばかり注文していた。
「皮と軟骨ね。あ、それから生レバーある?」
・・・・・・・なんか、えらくスプラッタなメニューだな。
そんなの今時おやじでもあんまり注文しないんじゃ・・・・
「椎名くんは?何にする?」
一通り自分の注文を済ませた神谷はにっこりと敦に尋ねた。
「あ、俺は・・・・普通の焼き鳥と、肉じゃがと・・・・・・でも、とりあえず腹減ってるんで焼きおにぎり先に貰っていいですか?」
「そうだね、空きっ腹に飲んで酔っぱらうとあとで困るから」
困る?
なんで、俺が酔ったら神谷さんが困るんだろう・・・・
「あ、来た来た。いただきます」
パチンと両手をあわしてコクッと頭を下げる仕草がなんだかこどもぽくて可愛らしい。
万華鏡のように印象がコロコロと変わる神谷に敦はすっかり魅せられていた。
「神谷さんって、俺より何年先輩なんですか?」
焼き鳥をほおばりながら、敦は尋ねた。
同じ年くらいの印象を、引っ越しの挨拶の時に受けていたのだが、会社の先輩だと知るなり、ほんとはいくつなのか気になっていたのだ。
今日神谷宛に営業から行った書類の量から見ても、結構重要な仕事を任されているのだろう。
そうなると去年の入社でないことはいくら新人の敦にでも安易に推測された。
同じ年でないのなら、24.5歳といったところだろうか、年齢はなかなか見た目では判断できないし、神谷は敦からすればかなり小柄らだから年上に感じなかったのかもしれないなと敦は思っていた。まあ、敦と比べれば大抵の相手は小柄に見えるのだが。
まぁ、三つ上がくらいが妥当な線かな・・・・・
「私は3年前の入社」
ほら、ビンゴ。
「そうですか」
三つ違いくらいなら、どうってことないよな。
何がどうって事はないのか、良く分からないが敦は瞬時にそう思う。
3歳差くらいなら、大した年の差ではない。
そのことが何故か嬉しかった。何故嬉しいのか、その気持ちに敦自身はまだ気づいてはいないのだけれど・・・・
汲み出し豆腐を木製の匙で掬いながら、内心、密かに喜んでいる敦ににっこりと神谷が続ける。
「だけど、君は4大卒だったよね?私は院を出てるから、その上なんだか4年も院に残っててね。だから君がストレートで大学を出てるのなら、私は君の7歳上になるんじゃないかな?」
「ええ?じゃ、じゃぁ神谷さん29なんですか?うっそぉ〜」
思わずポロッと焼き鳥の串を取りこぼしてしまう。
7歳も年上・・・・?
思わず呆然と目の前にいる神谷の綺麗な顔を見つめてしまう。
敦の脳裏に「どうしよう」と言う言葉が浮かぶ。何をどうしようなのか、神谷が7歳年上だからなんだというのか。
いったい、自分は何に一喜一憂しているのか、敦には良く分からなかった。
「スミマセン・・・・なんか、俺。もっと年齢が近いと勘違いしていて・・・なれなれしくしてました」
29歳ともなれば、早ければ主任クラスの年齢だ。何しろ敦の教育係である広瀬より2歳も上なのだから。
「なに言ってるの?気にしなくていいよ。私が営業に廻ることは絶対ないから、君の直属の上司っになるわけじゃない。あまり堅苦しくされるのは嫌いなんだ」
大きな身体をシュンと縮込ませて項垂れてしまった敦に、
「それに私たちはお隣さんなんだから、仲良くしようね」
神谷は、優しい笑顔を向けた。
優しいんだ・・・・神谷さん。
神谷の笑顔にぼうっと敦が見とれていると、神谷の携帯が鳴った。
「あ、ちょっと、ごめんね」横に脱いで置いてあった上着のポケットから、携帯を抜き出した神谷は着信の相手を確かめると何故かちらりと敦の方を伺った。
え・・・・?誰だろう?俺の知ってる人?
こちらを伺うにはそれなりの理由があるのではないかと敦は考える。
仕事の電話かな?
もしかして朝永・・・?
敦がくるくると考えを巡らせていると、神谷はちょと困った顔で携帯に話し始めた。
「私です。ええ・・・・もう帰りました。音楽?ええ・・・・ちょっと食事に出てるんですよ。なに言ってるんですか。そんな相手はいませんよ。貴方が一番よく知ってるくせに」
違う・・・・・・・
仕事の電話なんかじゃない・・・・・
いくら、恋愛の機微に疎い敦にでも相手がだれなのかくらいは見当が付いた。神谷の声に、普段にはない甘い艶を感じるからだ。
あの日の朝の相手だろうか?
敦は何故か込み上げてくる苦いものをジョッキに残っていたビールで押し流した。
「駄目です。貴方って人は、わかってるくせにそんなことばかり言うんだから。ええ、じゃぁ、お休みなさい」
苦笑いしながら、プツっと回線を切った神谷はほっと溜息をついて、ポケットに携帯を仕舞った。
「今の電話、恋人からですか?」
トンとジョッキをテーブルに置くと、ビールの勢いを借りて、敦は神谷に詰め寄った。こんなプライベートなことは訊いてはいけないと理性では思うのだが、どうしてか気になって仕方がない。
無性に神谷の相手がどんな人なのかが知りたかった。
「え・・・?あはは、恋人なんかじゃないよ」
神谷は真剣な表情で詰問する敦に向かっておかしそうに笑う。
「君も知ってるだろう?確か新人研修を2日ほど受け持っておられたはずだから、うちの課の課長がね、仕事のことで掛けてきたんだ」
第一開発部の課長・・・・・・
それって・・・・・
かの高瀬川課長じゃないか・・・・・
本社一の二枚目。
確か34歳だとか訊いていたが、営業畑から異色の人事で開発部の課長になった高瀬川課長は研修後もちょくちょく敦に声を掛けてくれていた。何故かほかの新入社員より先に名前を覚えてくれた高瀬川に敦はとても好感を持っていたのだ。
いつかああいう大人になりたい。誰もがそう思うような男だった。きりっとした整った顔立ちにすらりとした長身、エスプリの効いた会話に、きびきびとした身のこなし。
高瀬川の所作を一つずつ思い浮かべて、敦は何故か、俺には敵わないな・・・などと暗澹たる気持ちになった。高瀬川と何を争うつもりでいるのか、未だ敦自身に自覚はないのだけれど。