★☆★いつか見た夢★☆★

 

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「君のこと、いい営業マンになるんじゃないかって言っておられたよ」

高瀬川課長のことをあれこれ考えていた敦に神谷は続けて言った。

「俺のこと?」

「そう、今でもよくそっちに顔だすでしょ?
私には絶対営業なんか出来ないけど、課長はもともとは営業畑の人だからね、今でもあっちに戻りたいんじゃないかな。
成績がハッキリ目に見える部署だから、やりがいも感じるんだろうね。何千万の取引を成立させたとか、何億って言う仕事をとったとかって世界は私なんかは反対に恐い気がするけど」

「そんな大きな取引、俺にはまだ雲の上の話ですよ。広瀬さんの後ろにとことこ付いて廻って、頭下げてるだけですから」

「そう言えば、広瀬くんが君の教育係だったよね・・・・・そっか・・・」

敦の出した広瀬の名前に生レバーをつついていた神谷の箸が止まりさっきまでのにこやかな笑顔がフッと曇った。

「広瀬さんがなにか?」

「教育係がつくのって3ヶ月間だったよね?それまでずっと広瀬くんが君に付くの?」

「そうだと思いますけど・・・・・どうしたんですか?」

「いや・・・それより誰か他の人に変わる話とかでてない?」

「そんな話出てないです・・・・」

「ほんと?ずっと広瀬くんなの?」

何度も聞き返され、

「どういう意味ですか?広瀬さんすごくいい先輩ですよ」

自分の慕っている先輩を責めているような神谷の口調に、微かにむっとした敦は神谷に切り返した。

「え?あはは、やだな」

途端、神谷がわらう。

「広瀬くんはいい奴だよ。ごめんごめん、なんか勘違いさせてしまったかな?」

「だって・・・神谷さん、俺が広瀬さんの名前出したら急に顔曇らしたから・・俺てっきり・・・」

神谷に笑われたことで、急に恥ずかしくなった敦はモゴモゴと口ごもってしまう。

「私が広瀬くんのことを嫌ってるっておもった?椎名くんって先輩思いなんだね」

紅くなって俯いている敦にツイッと、テーブル越しに上体を敦に寄せた神谷はからかうように眉を上げた。

からかわれてるんだ、俺・・・・・・

「神谷さんまで、俺のことからかうんだから・・・やになるなぁ、もう・・」

目の前に寄った、神谷の綺麗な顔がおかしそうに微笑んでいる。

ジョッキ三杯のビールが神谷の目尻を紅く染め、なんだか妖艶な雰囲気すら醸し出して、敦は年上の女性にからかわれているような錯覚に陥りそうだった。

大きな図体にも関わらず、童顔の所為かそれとも姉に構われて育った末っ子の持つ性格の可愛さからか、敦はよく年上の女性に好かれた。
それも何故か対等な恋愛対象というよりは、可愛いからつい、構ってしまうというような扱いを受けることが多かった。

母性本能を刺激する男がいるとしたら、敦はまさにそのタイプなのだ。

「なに?そんなにいつもからかわれてるの?」

「そうっす。俺なんだかやけに年上の女の人にもてるんですよ」

「へぇ、年上キラーなんだ」

「キラーなんてカッコイイもんじゃないんですよ。なんか構われやすいタイプらしいんです。いたぶられるっていうか・・・・・なんか、情けないです」

なんなんでしょうねぇ、そう言うのってと敦はぽりぽりと照れくさそうに鼻の頭を掻いた。

「何となく、分かるよ。椎名くんかわいいから」

「俺のどこがかわいいんですかぁ?図体だってこんなだし」

思わず情けない声が出る。

しかし、今までカッコイイとか素敵と誉められた経験はなかったような気がする・・・・
何故か女たちのほめ言葉はいつも『可愛いわね敦くんって』なのだ。

どう考えても敦には自分が可愛いと形容される理由が分からなかった。
そりゃあ確かに中には可愛い男もいるだろう。たとえば神谷さんなんかは綺麗で笑うと笑顔がなんといも言えないくらい可愛いし、朝永なんかもニヒルに構えているだけにひょいと見せる幼い表情なんかが整った顔立に現れて可愛いなと敦は思うことがある、でもどちらにしたって、二人とも敦から見れば小柄でそれだけで可愛い感じがするのだ。

俺みたいにでかい奴のどこが可愛いんだか・・・・・

「自覚してないところが母性本能くすぐるんじゃないのかな?さて、そろそろ帰ろうか」

ごちそうさまの声と一緒に神谷はテーブル横の伝票を取ると立ち上がった。

「あ、そうですね・・・神谷さん、俺の分・・・」

「うん?いいって、今日は私のおごり」

慌てて、敦も財布を出そうとしたのだが、先に座敷から出た神谷は胸ポケットの財布からサッと一万円札を出して、レジを済ませてしまった。

「スミマセン・・・・こ、こんどは俺がおごりますから」

「うん。楽しみにしてるよ」

暖簾をかき分けながら表に出た神谷ににっこりとそう言われた敦はまた二人で食事に出かける約束が出来たような気がしてなんだかすごく嬉しかった。

☆★☆


翌朝、神谷がいつも通りの時間に部屋から出ると、エレベーターに続く廊下に巨体がぬぼっと突っ立ていた。

「おはようございます!」

にっこりと爽やかな声で元気に挨拶されて、知らず頬が緩む。

「ああ、おはよう。なに?わざわざまっててくれたの?」

立ち止まることなくマンションの廊下を並んで歩きながら、斜め上にある敦の顔を見上げた。

「どうせなら、一緒に行こうと思って。
それにどこかからまた神谷さんに見られているかと思ったら、おちおち、うたた寝も出来無いじゃないですか」

「ははは、それもそうだね。
でもなにもストーキングしてるわけじゃないんだよ。ほら、椎名くんって背が高いから、満員電車に乗っても頭一つほかの人より高くて目立つからさ。
私なんかはちょうど人の波に埋もれてしまうから目立たないけどね」

そう。ある朝たまたまフッと車内を見上げたら、ぽこんと飛び出ていた頭があったのだ。
大抵大柄な男の顔はごつごつしているものだが、その体格に似合わない童顔に神谷はどこかで見た顔だなと記憶のページを捲ってみた。

だがもともとあまり人の顔を覚えないたちの神谷はさっぱりだれだか思い出せない。

結局誰だったろうと・・・首を捻りながら、そのまま男の後を歩いていった。それもたまたま男が自分の行く方向に先先進むからただそれだけのことだった。

いつまでたっても、何故かずっと、背の高い男の広い背中は神谷の十数歩前を示し合わせたように歩いていく。

自社ビルの中にその男の姿がほかの社員と一緒に吸い込まれるように消えたとき、神谷はようやく納得がいった。

ああ、今年、入社した、新人くんか・・・・たぶんあの大きな身体を食堂かどこかで見て覚えていたんだなと・・・・

ところがその翌日、神谷は大きな勘違いに気が付いた。
出勤前のゴミ置き場にその巨漢が小さなスーパーの袋に入ったゴミを捨てているのを発見したからだ。

その瞬間、記憶がフラッシュバックを起こす。
3月の終わり頃、今時珍しく引っ越しの手みやげを持って挨拶に来た、この男のことを鮮明に思い出したのだ。

ああ、隣の・・・・・・・椎名さん・・・だったんだ・・・・・
じゃぁお隣さんで、同じ会社なのか?
それはちょっと・・・困ったかも・・・・・

まいったなと呟きながら、神谷は駅の方向に歩いていく敦の背中から自分の右手に視線を落とした。

そう言えば、彼の手・・・・暖かかったな・・・・・・・

いつまでも、握られていた手のひらの暖かさをやけにハッキリと思い出していた。


その日から、神谷は敦のことが気にかかった。
退社時間は研修中の敦の方がはるかに早いので重なることは無かったが、出社時間はほぼ毎日同じ電車になったので、嫌でも敦の大きな身体は神谷の目に飛び込んでくる。

会社でも、時折団体で社内を歩いている研修組の中に敦の姿を見掛けることも多々あった。

敦の方はいっこうにそんな神谷に気づくことはなかったけれど。


ホールに着くと、二機あるエレベータのうちちょうど一台が止まっていたので神谷は先に中に乗り込んだ。

そうだった・・・・そう言えばあの日。
翌日から、新人が各部署に配置されると訊いたあの夜。
敦が神谷の乗ったこのエレベーターに飛び込んできたのだ。


心臓が張り裂けそうだった。

あの人との逢瀬の帰り・・・・・

駆け寄る革靴の音・・・・・・・

唐突にこじ開けられたエレベーターのドア・・・・

飛び込んできた、深い濃紺のスーツ・・・・

心臓の高鳴りを無理矢理閉じこめて、私はあの場を逃げ出したのだ。


「神谷さん?どうかしました?顔色悪いけど・・・・」

ああ、違う・・・・今ここにいるのは椎名くんだ・・・・

「なんでもないよ、行こうか」

心配そうに見下ろしている敦に一呼吸置いてそう言うと、一階に付いたエレベーターがチンと音を鳴らして止まった。