★☆★いつか見た夢★☆★

 

( 6 )

 


熱い飛沫が幾筋も滴り落ちる。

打ち付けられる熱い湯がけだるい身体に心地良い・・・・・・

十二分にシャワーを浴びた神谷は、脱衣所で手早く身体を拭くと左の鎖骨下あたりに残っているバラ色の印を指でなぞった。

うっすらと曇った大きな鏡に映る乳白色の肌。
淡いピンク色の胸の飾りよりもはるかにハッキリと色をなす紅色はつい今し方交わした熱い情交の名残りだった。

しかし、印は神谷の身体中を見回してもその一つだけ。

そのせいか、その印は神谷の白い肌を引き立て、さらにその存在を誇示しているかのようだった。

ふっと、神谷は息を吐き指先をその場所から放すと、用意して置いた白いバスローブを手に取り、ゆっくりと身に纏う。

洗面台に置かれたブラシを手に取り、額に掛かっている乱れた髪を整える為に再び鏡に向かい髪を後ろに梳かし始めた。

うっすらと霞の掛かった鏡の向こうに、どこか寂しげな男が映っている。

20代後半にしては、幼い、未だ学生のような、いつまでたっても大人になりきれない曖昧な容姿。
何年も働いて自活していると言うのに社会人としてははなはだ心許ない、生活感の無い顔。

小綺麗な顔立ち。

誉め言葉とも揶揄ともとれるいい方で形容される顔は、何の変哲もない卵形で、取り立てて特徴がなく、神谷はあくまで自分のことを人並みな容姿だと思っていた。

男が小綺麗でいったい何の有り難みがあるというのだろう。

もっと、気骨のある男であれたなら、もっと別の人生が歩めたかもしれない。

しげしげと自分を鏡に映して見るたびに神谷はそう思った。

男として、魅力のある人が廻りに沢山いた。そして決して自分はそんなタイプではないのだ。
第一、男に抱かれる男などに真の魅力などありはしないと神谷はどこか達観した眼差しで鏡に映る自分を眺めていた。

それでも良いと思っていた。
抱かれることに喜びを感じ、男同士の壁を取り払うほどに求められ愛されているのだと信じていたあの頃は、確かにそれでも良いと思っていたのだ。

綺麗だと囁かれるたびに、ほんの少しでもほかの誰かより、いくらかでも見目良く生まれたことを感謝すらした。

常識的な禁忌を破り性別の壁を越え、深く深く結ばれたのだから、今度こそ自分は永遠に愛して貰えるのだと、二度と愛する人に裏切られることは無いのだと信じていたのに、そんなことは単なる幻影に過ぎなかった。

愛がなければ出来ないことだと本当にあの頃は信じていたのだ。

でも、今は違う・・・・・・・

何故抱き合うのか・・・・・
いつの間にかそんなことすら考えなくなってしまっていた。
甘いささやきは単なるピロトークにしか聞こえない。

苦笑を漏らした神谷の視線はまた、合わされた胸元からチラチラ覗く印に引き付けられた。

そう言えば何故いつもこの場所なのだろう・・・
神谷は今までも何度か思った疑問を反芻した。

初めて抱き合ったときから何故かこの場所に印を付けられた。

そして、たった一つだけの印が消えないうちに必ずまた同じ場所に彼は印を付けた。
始まりからして、まともな始まりではなかった二人の関係は、取り立てて、拘束も約束もしないいわゆる大人の間柄なのだが、これが唯一彼の心を映す行為なのだろう。

彼がこの印を残さなくなったら、それは別れのサインなのだと神谷は思っていた。
もともと、つき合っているという意識すら無いのだから、別れると言うのも変な気がしたが、いつかは訪れるであろう別れの時に言い訳めいた言葉を聞くつもりなど無かった。
印を付けなくなれば、携帯に入れてある私用のアドレスを消せばいい。
それだけで二人の関係は簡単にリセットされるはずなのだ。

そして、自分からこの印を拒んだら、それが自分からの決別を意味するのだと相手も思っているのだなと神谷は感じていたのだ。

私から拒むことなどないのに・・・・・・・

恋だの愛だのはもうこりごりなのだ。
涙が枯れるほど泣くのも身体をまっぷたつに張り裂かれそうなほどの痛みを伴う恋愛なんて、する奴は馬鹿だ。

「好きになるから、辛いんだから・・・・今みたいな関係が一番いいんだ」

そう、一人ごちながら、いつもはあえて目に留めることさえない、濃い紅色に何故かまたゆっくりと指を這わせていた。

薄くなり消えかけては新たに付けられる所有の印は三年間神谷の肌の上に薔薇を咲かせ続けていた。



「神谷?」

コンコンと脱衣所とリビングのしきりをノックされてそれまで物思いに耽っていた神谷はハッとわれに帰り慌ててバスローブの胸元を掻きあわせた。

「い、今でます!」

「いや、慌てなくてもいいよ。あんまり遅いから気分でも悪いのかと思っただけ・・・・」

まだ彼が話している間に神谷が慌ててドアから出ると、すぐ傍に立っていた、彼の胸に飛び込むような体勢になった。
その振動で男が手に持っていた缶ビールから数滴雫がこぼれ落ちた。

「おっと」

「わっ、スミマセン、課長」

「おいおい、二人でいるときに課長は止してくれって言ってるだろう」

神谷の白いローブの背を抱き留めながら、呆れたように片眉を上げた。

「謝るとつい出ちゃうんですよ。条件反射って言う奴ですね、高瀬川さん」

「酷いいい方だな。それじゃ、まるで私が会社で謝らせてばかりいるようないい方じゃないか」

「いっつも、泣かされてますからね、課長の出す無理難題の注文には」

「それでもちゃんと神谷のチームは難題をクリアするじゃないか。出来ないことを私は言ったりしないよ」

ぐいっと、神谷の身体を引き寄せて、自信ありげに微笑んだ。

ゆっくりと高瀬川の唇が神谷の唇に合わさる。

「ん・・・・ダメ・・ですよ。もう帰らないと・・・」

高瀬川の厚い胸板を押し返すように身を捩った神谷は、壁に掛けられた時計を視線で示した。

「ああ・・・もう12時になるな」

「ええ、早くしないと」

素早く高瀬川から離れた神谷は急いで脱ぎ散らしたスーツを両手に抱え込むと、つい今し方出てきたばかりの脱衣所に飛び込んだ。

「何だ、やけに慌ててるじゃないか?」

「最近遅い時間になるとなかなかタクシー拾えないんですよ」

僅かに開いている扉の隙間から、神谷がちょっと顔を覗かせて応えた。

「タクシーなんか使わなくてもいいだろう。私が送っていくよ」

「あ・・・でも、この間も椎名くんと鉢合わせしかけましたし・・・」

「ああ、あの大きな坊やか。確か隣の部屋に越してきたんだったな?」

「ええ、ですから、送っていただくのはちょっと・・・」

パタンと後ろ手に扉を閉め、神谷はネクタイを首に廻しながら急ぎ足で出てきた。

「気にすることはないだろう?いつもエントランスで見てるわけじゃあるまい?」

慌てているせいかうまく結べないネクタイに貸して見ろと手を伸ばした高瀬川が器用に結んでいく。

「でも・・・」

「こんな時間に一人でタクシーに乗せる方が気になるよ。ほら、結べた。行くぞ」

「高瀬川さん・・・」

「大丈夫だ。心配するな。部屋に上がり込んで、あの坊やに神谷のいい声を聴かせたりしないさ」

「なっっ!」

頬を染めて返事の出来ない神谷の背中に腕を廻し、玄関へと促しながら、高瀬川は声を出して笑った。