★☆★いつか見た夢★☆★

 

( 8 )

 

一晩、敦は考えた。

己の神谷に対するこの感情はなんなのかと・・・・・・・

神谷に対してはもちろん最初から好感を持っているを敦は認めていた。

初めて会ったときから、綺麗な人だと思っていたし、敦のことを同じ会社の新入社員だと知ってからも神谷は変な先輩風を吹かすわけでもなく、マンションに帰れば、気のいい隣人として接してくれる素敵な人なのだ。

ただ、この気持ちを恋だと言うのなら、敦自身どう受け止めれば良いのかが、分からなかった。

神谷の相手が女性ならば、すんなりと受け入れられるのに、神谷の相手が同じ性を持つものだと知った途端、沸き上がるこの不快感は、果たして本当に恋なのだろうかと一晩悶々としながら悩んだのだ。

そりゃ、確かに、好きかと訊かれれば、もちろん好きだよ。

でも・・・俺って、神谷さんとどうにかなりたいのか?

まさか・・・・そんなんじゃないよな・・・

・・・・・・・・・・え?

ど、どうにかって・・・・・う・・うわっ!

自分がした想像に、カッっと頭に血が上り、敦はガシガシと頭を掻きむしって、今浮かんだ妄想をうち消した。

じゃぁ・・もしかしたら、俺はただ単に、男性同士の恋愛に嫌悪感を感じてるだけなのかも・・・・・

そう思うことで、未知の不安を何とかやり過ごそうともしたのだが、その答えは、翌朝すんなりとはじき出された。

いつも通りに、神谷を待って出社しようか、どうしようかと、逡巡し、いつもより10分ほど遅くに部屋を出た敦を満面の笑みを浮かべた神谷が待っていてくれたのだ。

「遅かったんだね?先に行っちゃったのかと思ったよ」

責めるでなく、本当に嬉しそうに、そう言った神谷の笑顔に、敦の胸が痛いほど締め付けられたのだ。

やっぱり・・・・・・これって、普通じゃないよな・・・・・

スミマセン、寝坊しちゃって、と本当はろくに寝てもいないのに嘘を付いて笑った敦は、心の中で『俺、これからどうしたら良いんだろう』とぐったりと呟いていた。

それから、しばらくは平穏な日々が続いていたような気がする。

自覚したからと言って、もともと強引な性格でもない敦は、恋人のいる神谷に想いを告白することもできなかったし、今の二人の良好な関係をあえて壊すつもりもなかった。

ただ、時々神谷が深夜に帰ってくるのが分かると、やりきれないような、切ない想いに苛まれることだけは否めなかったのだが。

☆★☆

「よ、久しぶり」

社員食堂で、コロッケ定食と掛け蕎麦をむしゃむしゃと食べている敦の向かい合った席に、朝永が『ここいいかい?』と尋ねてから腰を下ろした。

HAZAMA電気の本社ビルには今、敦がいるメイン食堂のほかに喫茶室やOLたちの意見を取り入れたちょっとしたカフェテリアまであり、その日の気分でわざわざビルの外にでなくても飽きることなく、色々なものを食べれるようになっている。
しかし、一日中会社にいるのもイヤなのか、結構外にでて食事をする社員も多いのだが、今日は天気が悪いせいか、やけに混んでいて、空いている席を捜さないと座れないほどだった。

朝永がトレイごとテーブルの上に置いた冷やし中華の皿を見て、敦はそばを啜る箸を止めた。

「なんだ?お前それだけ?」

「ああ、なんだかな、冷房病っていうのかな?1日空調の利いた部屋にいるだろ?なんか、だるくってさ・・・・・・食欲ないんだ」

朝永はマジでだるそうに、薄い肩や細い首をコキコキと廻した。

確かにここ数日熱帯夜が続いているし、梅雨の終わりの悪あがきか降ったり止んだりする雨でじっとりと蒸し暑くて出社するだけでもびっしょりと汗をかいてしまうような暑さなのだ。

朝永の夏ばてって言葉がいかにもピッタリ来るような、やつれた風情に、

「俺みたいに暑い外を、汗びっしょり掻きながら一日中はいずり廻ってるモンから見たら羨ましいような気もするけど、確かにずっと部屋の中にこもりっぱなしも辛いかもな」

夏ばてなどと言う、上品なものには無縁の敦は、可哀想にと呟きながら、連日の茹だるような暑さに、いささかも衰えを見せない食欲を満たすために再び箸を動かした。

時は七月の中旬。敦たちがHAZAMA電子に入社して、正式な部署に配属されてから、まもなく三ヶ月が過ぎようとしていた。

「お前見てるとさ、俺なんかには到底、営業なんか出来ないなって・・・・あっ、神谷さ〜ん!こっち空いてますよ」

冷やし中華の上に載せて持ってきた、割り箸をパチンと割った朝永が、不意に敦の背後にその箸を持ったままの手を挙げながら、声を掛けた。

その声に、敦の背中が一瞬、ピクリと反応する。

最近では神谷に誘われるまま、休みの日にお互いの部屋で一緒に夕食を食べたり、時折マンション前の赤提灯に出かけたりするものの、恋心を自覚してからと言うもの、敦は神谷を見掛けるたびに自分の思いを悟られまいとするせいか、過敏に反応し、ドキッ!とするのだ。

「なんか、すごく混んでるね〜今日は」

朝永に声を掛けられた神谷はキョロキョッロと食堂中を見回しながら、二人のテーブルにたどり着くと、クスッと目元を和ませて、敦の横に有るイスを引いた。

「椎名は相変わらずすごい食欲だねぇ」

「あれ?神谷さんも、それだけですか?」

神谷のトレイに載っている、ざるそばを見て敦が眉を上げた。

「だめっすよ。そんなんじゃ、暑いときに冷たいものを食べてばかりいたら、胃が弱っちゃいますからね。ちゃんと、暖かいもの食べないと」

「うん・・・だけど、ここんところ食欲無くてさ」

「だめだめ、だから朝の電車の中で気分悪くなったりするんです」

相変わらず、朝は必ずと言っていいほど一緒に通勤しているのだか、このところの暑さの所為か、神谷はここ数日あまり顔色が優れず、3日前の朝はむっとする、満員電車の熱気に逆上せて、気分が悪くなってしまったのだ。

「なんだ、なんだ、椎名。俺が冷やし中華食べてたって心配しないくせに、神谷さんにはやけに親切じゃないか」

「え・・・いや・・なんだ・・・」

「お隣さんの神谷さんは大事でも同期の俺は大事じゃないってこと、ふぅーーん」

「ああ、もう!お前もちゃんと食えってば」

朝永に揶揄されて、敦は思わず赤面して、言葉を濁した。

気分が悪いと言った神谷を支えるように途中の駅に降ろし、しばらく駅のベンチに座らせていたのだが、そこに運ぶ間の神谷の華奢な身体の感触が敦の腕や身体にしっかりと焼き付いていて、今も、そのことを思い出すだけで、頭に昇る血に拍車を掛けた。

「それより、お前の教育係の広瀬さん、アメリカに栄転なんだって?」

赤くなっている敦から、目の前の冷やし中華に視線を戻しながら、朝永が話題を変えた。

「あれ?朝永もう知ってるんだ?辞令今日の午後発表だそうだけど、まだ今んとこは、内示だけなんだ」

「広瀬って名前をちらっと小耳に挟んだだけなんだけど、確かお前の教育係がそんな名前の人だったなと思って・・・・先輩?」

中華そばの上に載っている細切りのキュウリをあまり美味しそうとは言えない食べ方で、シャリシャリと噛みながら話していた朝永が、驚いたように箸を止め、神谷に声を掛けた。

「・・・・・・神谷さん?どうしたんですか?顔真っ青ですよ!」

ざわざわと話し声や食器が擦れあって立てる音の絶えること無い食堂で、青ざめた神谷だけが隔絶された世界にでもいるように、凍り付いたように目を大きく見開いて朝永を凝視していた。

「神谷さん!また、気分悪いんですか?」

敦が、薄い肩をゆっくりと揺さぶると、

「広瀬くん・・・ほんとに、アメリカに行くの?」

敦の方に首を傾げ、どこか焦点の合っていないような眼差しで見つめながら、神谷はゆっくりと尋ねた。

色を失った唇は心なしか震えている。

「え・・・ええ。俺の教育期間があさってで終わりなんですけど、そのあと向こうにいかれるらしいです。移動人事は今日の午後、正式発表があるとか・・・神谷さん?」

敦が全部言い終わらないうちに、ふらりと立ち上がった、神谷は、何かを口の中で呟くと、箸すら付けていないざるそばを残したまま食堂からでていってしまった。

「お前の教育係と、神谷さんなんかあんの?」

神谷の背中を視線で追っていた敦に、朝永が怪訝そうにぼそりと聴いた。

「え・・・?広瀬さんと、神谷さんがか?」

「ああ、だって、今の神谷さんの様子、尋常じゃないだろ?俺、毎日一緒に仕事してるけど、あの人のあんな反応見たことないし、普通、同僚が栄転したぐらいであんなに驚かないだろ?」

「知り合いだとは言ってたけど・・・・・・」

『それより誰か他の人に変わる話とかでてない?』

敦の脳裏にあの日、居酒屋での神谷の言葉が蘇る。

そういえば、神谷さん、ずっと俺の教育係を広瀬さんがするのかって、訊いてたよな?
なんで・・・なんで、神谷さんが広瀬さんの転勤なんか気にするんだ?