★☆★いつか見た夢★☆★

 

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まさか・・・・
まさかな・・・・・

粗野っぽくて豪快で、でも内面はとても細やかな広瀬と神谷を並べて思い浮かべ、美女と野獣じゃ有るまいしと浮かんだ画像を頭を振って追い出したものの、一度浮かんだ考えは易々と消えてはくれなかった。

宏瀬さんが・・・あの時の男なのか?

漏れ聞こえてきた、甘い声が脳裏から消えてはくれない。

敦はまるで砂を噛むように、さっきまでは美味しいと思って食べていた、食事の残りをのろのろと口に運んではろくに味わいもせずに咀嚼していた。

「課長が出張で良かったかも・・・・」

しばらく黙ったまま、食べていた朝永が、ごちそうさまと箸を置きながら再び口を開く。

「課長?どこの?」

「俺んとこの高瀬川課長だよ。あんな神谷さん見せられないって」

「確かに、今日の神谷さんの様子見たら上司なら気になるだろうけど・・・」

見せられないって?

なぜなんだ?

「なに?椎名知らないの?」

「知らない?って何が?」

オウム替えしに聞き返した椎名の方にずぃっと上体を寄せた朝永が突然声を潜めた。

「神谷さんと高瀬川課長、つき合ってるんだよ。
俺んとこでは公認の中だし、会社の中でもさほど内緒なことでもないらしいぜ。椎名は神谷さんのお隣さんだって訊いてたから、てっきり知ってるもんだと思ってたよ」

さっきから、ずっと広瀬と神谷のことを考えていた敦は、まるでハンマーででも頭を殴られたようなショックを受けた。

高瀬川課長と神谷さん?

居酒屋での電話を敦は瞬時に思い出す。

甘えるような、神谷の口調に、恋人からの電話ではないかと感じたのはあながち間違いではなかったんだ。

「もしかして、高瀬川さんって白のセルシオに載ってる?」

「そうそう。なんだ、やっぱり椎名だって知ってるんじゃないか。外車じゃないところがかえってスマートでカッコイイよな。
そういえば光谷もこの間新車買ったらしくってさぁ」

元の位置に戻りながら、話の矛先を車に向けた朝永の言葉など、もう敦の耳には届いていなかった。
真っ白になってしまった頭の中はかろうじて隠したものの、敦は機械的に朝永の話に相づちを打っていた。

敦の心の中とは裏腹に、ようやくここ数日降り続いていた雨が止んだのか、窓から入ってくる幾筋かの眩しい光が、朝永の掛けている細い眼鏡フレームに反射して、さっきまで神谷が座っていたイスの背もたれに、不思議な模様を浮かび上がらせていた。

☆★☆

 

その日の午後、敦は何度も、広瀬に神谷とのことを訊こうと逡巡したのだが、今現在、高瀬川課長が恋人だと聞いた上に、あまつさえ自分は二人の仲むつまじい逢瀬をこの目でハッキリと見たのだから、どう切り出せば良いのか、分からなかった。

そのうえ、3時前にはシリコンバレーへの栄転が正式に発表されたことも有って、その後は終業時間までずっと、入れ替わり立ち替わり、広瀬に励ましや祝いの言葉を言いに来る同僚が絶えることがなく、結局、敦は一言も広瀬からは聞き出すことが出来なかった。

だいたい、聞いたところでなんになる?

食堂での神谷の動転ぶりから、あの、セルシオに載っていたのが広瀬ではないかと一瞬疑ったものの、それはしっかりと朝永によって、覆され、少なくとも今現在の恋人は高瀬川課長だと知らされたのだから。

それに、営業部に戻った敦は、こっそりPCに有る社員名簿で広瀬と高瀬川の名前に目を通したのだ。

これこそ、そんなことをしてなんになると、自分の女々しさを卑しめながらもキーを打つ両手を止めることが出来なかった。

まず画面に現れた名前は、広瀬泰典(ひろせやすのり)。

広瀬の泰典と言う名前には何となく覚えが有った。たぶん自己紹介の時に広瀬自身が名乗ったのだろう。
ただ、会社の先輩の名前を呼ぶことなどないので、今では記憶の角に追いやってしまっていただけなのだ。

続いて、ポンとエンターキーを押す。

現れたのは、想像通りの名前だった。高瀬川和輝(たかせがわかずき)。あの時の名前だ。

このことを知って何になるんだろう・・・・・・
さっきから何度も繰り返した言葉を、ディスプレイをじっと凝視したまま敦はもう一度呟いた。

昼からずっと粟だっている敦の胸を、今は言いようのない絶望感が重く覆い尽くしていた。


結局その日は、広瀬の栄転を祝うと言う名目で、広瀬の仲のいい同期たちが、就業時間とともに広瀬を連れて行ってしまったので、敦も、いつもより早く帰ることが出来た。

営業部の方の歓送迎会は広瀬と入れ替わりにアメリカから凱旋してくる社員が戻ってきてから執り行われることになっていたので、来週の金曜日になったのだ。

引継事項も色々有るらしいが、どうやら、その彼が本社に戻ってきてから広瀬と直に会ってするらしく、来週そうそうには出社すると言うことだった。

今日一日はほとんど、外回りにでることもなくて、身体はいつも以上に楽なのに、数年分のショックをいっぺんに受けたような気のする敦は重い足取りでマンションに帰り着き、どんよりとした溜息を付きながら、鍵穴にキーを差し込んだ。

そのとき、計ったようにカチャリと隣のドアが開き神谷が顔を覗かせた。

「早かったんだね?」

痛々しいような微笑みが敦を貫いた。
さっきまで、泣いていたのだろうか、神谷の瞼がほんの少し腫れて赤みがさしてした。

神谷さん、何が辛いんですか?

俺には何も出来ませんか?

俺は貴方の悲しむ顔なんか見たくない・・・・・・・・

迸るような想いが、口から飛び出そうとするのを敦はぐっと奥歯を噛みしめるとで必死に留めた。

「ええ・・・・神谷さんはお出かけですか?」

そうだ。何が有ったにせよ、この人を慰めるのは俺じゃない・・・・・・

「ん・・・一人で部屋にいたくなかったから・・・飲みにでも行こうかと思ったんだけど・・・」

神谷の目線がチラリと敦の反応を伺うように見遣った。
泣きはらし、赤みの差した目元が嗜虐的でやけに艶めいて見えるのが、敦には辛かった。

「一人で飲みにですか?」

「うん、誘う相手がいなくてね。でもめんどくさいから、やっぱり、やめようかな・・・・」

微笑む仕草が、誘っているようにも取れて、敦はどう返答すれば良いのか分からなかった。

「何いってんですか、呼び出せば、すぐに来てくれる人がいるでしょう?」

嫌味とも取れる敦の言葉に、柳眉を心持ち寄せた神谷は、滅多に曇らすことない顔を、あからさまに曇らせて、くるりと背中を向けた。

「いれば、呼んでるよ。おやすみ、椎名」

その瞬間、無意識に敦は神谷の手首を掴んだ。

「お、俺の部屋で一緒に飲みませんか?」

神谷の真意など、全く理解できなかったが、敦は神谷をこのまま帰したくはなかったのだ。